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イヴ・サンローラン|美と挑発、そして一瓶のシャンパーニュ『日経xwoman Terrace』寄稿文

    本記事は、2023年5月11日付『日経xwoman Terrace』に寄稿した記事を転載・改訂したものです。

    春めく日本では、ゴールデンウィークの訪れとともに、旅の行き先を探す人々が増えてくる頃だろう。その人気の渡航先のひとつ、パリは、この時期もやっぱり世界中の人々を惹きつけてやまない。

    パリ発の芸術は、訪れる者に新たな活力とインスピレーションを与えてくれる。古典から現代アートまで多彩な作品が揃うルーヴル美術館やオルセー美術館、クラシックから現代音楽まで幅広い公演が行われるオペラ座、そしてパリ・ファッションウィークをはじめとするモードの展示会まで──この街が文化の中心であり続けていることに、疑いの余地はない。

    イヴ・サンローラン美術館との出会い

    最近、私の目を引いたのが「イヴ・サンローラン美術館」だった。2014年に公開された映画『イヴ・サンローラン』を以前に観ていたこともあり、彼の軌跡を展示するこの美術館にはずっと惹かれていた。

    この映画は、サンローランの創造と苦悩、そして同性の恋人であり後援者でもあったピエール・ベルジェとの関係を軸に描かれている。ファッションという枠を超えて、生き様そのものが芸術であると感じさせられた。

    以下は、映画『イヴ・サンローラン』のプロモーションビデオ。

    サンローランの生い立ちと才能の開花

    イヴ・サンローランは1936年、フランス領アルジェリアで中産階級の家庭に生まれた。幼い頃から人形に服を着せて遊ぶことを好み、デザインへの情熱を自然と育んでいった。

    17歳の時、パリの名門「パリ・クチュール組合学校(エコール・ド・ラ・シャンブル・サンディカル・ド・ラ・クチュール・パリジェンヌ)」に入学。IWS主催のデザインコンクールでは、カクテルドレスで最優秀賞を受賞。しかも、そのドレスの縫製を担当したのは、あのユベール・ド・ジバンシィであるという事実が、いかに早くから彼の才能が認められていたかを物語っている。

    21歳という若さで、彼はディオールの主任デザイナーに抜擢された。イヴ・サンローラン美術館では、当時の貴重なビデオが見られるのだが、彼が人前で描くデッサンの腕前は、まるで画家のようである。

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    ピエール・ベルジェとイヴ・サンローラン

    1958年、ディオールでの最初のコレクションでは、従来のAラインに代わり、より広く、裾が膝をカバーする程度の「トラペーズライン(ブランコ線)」を発表。モード界に新たな衝撃を与えた。

    1961年、ディオールを去ったイヴは、恋人であり資産家でもあったピエール・ベルジェの出資により、自身のオートクチュール・メゾン「イヴ・サンローラン(YSL)」を設立。

    当時はまだ珍しかった黒人モデルの起用や、上流階級のモデルたちの活用など、彼のファッションには強いメッセージが込められていた。ナオミ・キャンベルのようなスターを育てたのも、イヴの革新的な姿勢の表れだ。

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    1965年秋冬コレクションで発表されたモンドリアン・ドレス

    引退と晩年

    2002年1月22日、パリでのオートクチュールコレクションを最後に引退。その後はモロッコのマラケシュの自宅で静かな時を過ごした。同年10月31日、「彼以上の才能を持つ後継者は見つからない」という理由で、パリ16区アヴェニュー・マルソーのメゾンが閉店となった。

    2008年6月1日、癌のため逝去。享年71歳。『着こなしは、生き方だ』という彼の言葉は、今も多くの人々の心に残っている。

    シャンパンと香水、そして裁判

    イヴ・サンローランとシャンパンには、深い縁がある。YSLの広告キャンペーンでは、たびたびシャンパンが登場した。彼にとってシャンパンは、ラグジュアリーで洗練されたライフスタイルの象徴であり、その美意識が香水にも表れている。

    1993年、YSLはシャンパーニュの名を冠したフレグランス『シャンパーニュ』を発売。その香りには、まさにシャンパンのニュアンスが込められていた。ところが、ここで国立原産地品質研究所(INAO)が異議を唱え、裁判沙汰となる。

    パリ控訴裁判所は、イヴ・サンローラン社が最新の女性用香水にシャンパーニュの呼称を使用することを禁止した第一審の判決を支持した。フランスの領土のみに関連するこの判決では、シャンパーニュは海外で販売を続けることができたので、世界中がこの闘争に注目した。『シャンパーニュ』は、米国では 2 月 14 日にニューヨークのサックス フィフス アベニューで発売された。 パルファン・イヴ・サンローランは、150,000 フランの損害賠償と 75,000 フランの付帯費用の支払いを命じられたが、3ヶ月で 2 億フランを超える、ヨーロッパで最も売れた香水を生んだ。

    その後、1996 年に Yves Saint Laurent、次に Yvresse (フランス語の「ivresse」のiをYに変え、YSLらしくしたもの。 「ほろ酔い」という意味。)に改名を余儀なくすることになる。実は、この事件の前の1997年に、イヴは男性用の香水「プール・オム」のプロモーションのために、レンズの前でヌードのポーズをとり、世界中の度肝を抜いたことがあった。その位、香水には相当な気合を入れていたということだろうが。

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    YSLのフレグランス『シャンパーニュ』

    美術館の余韻

    そんな彼の挑発的な人生と美への執着を、美術館でじかに感じた私は、胸が大いにドキドキ、ハラハラした。館を出る頃には喉が渇いて、やっぱりシャンパーニュが飲みたくなり、結局、馴染みのバーへと足を運んでいた。

    そして、ふと考えた。イヴ・サンローランこそが、あの『シャンパーニュ』という香水をも通じて、世界で最も多くのシャンパーニュを「売った」人物だったのではないかと──。

    本稿は、公開されている情報や資料をもとに、その魅力を紹介しています。また、掲載写真は各公式サイト等より引用しています。

    イヴ・サンローラン美術館(Musée Yves Saint Laurent Paris)
    住所:​5, avenue Marceau, 75116 Paris, France
    最寄り駅:
    ・地下鉄9号線「Alma-Marceau(アルマ・マルソー)」駅(出口2:Avenue du Président Wilson)
    ・RER C線「Pont de l’Alma(ポン・ド・ラルマ)」駅(橋を渡ってすぐ)


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