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ノーボーズ ノーライフ(僧侶の巣窟で熱が出た話)

    今回は僧侶としての話を書いている。
    今までほとんど馬のことばかりだった。しかし実は、私は曹洞宗の僧侶なのだ。ビックリしている人もいるだろう。だが自分でもたまにビックリするくらいなので、全く問題はない。

    曹洞宗では毎年、福井県の大本山永平寺で「御征忌」が行われる。正確に記せば、「高祖大師御征忌法要が厳修される」ということになる。

    高祖大師とは、曹洞宗の開祖である道元禅師の尊称だ。遷化された命日の9月29日に向けて、23日から1週間かけて報恩法要が営まれる。わかりやすく言えば、毎年本山で1週間かけて回忌供養をする、といったところだろうか。

    ああ。ここまで書いて、すでに疲れている。この世界は、やたら難しい表現を使いたがるのだ。これで正しいのかどうか調べなければならないし、一つひとつの単語に対して「こういった意味ですよ」と説明を加える必要も出てくるので、ストレスが半端でない。

    以降、なるべく平易にわかりやすく書いていくつもりなので、僧侶の方々におかれましては、優しい気持ちで読んでいただきたい。あと本山にはチクらないでいただきたい。


    御征忌は本山である永平寺と、別院である東京の長谷寺の二か所で営まれる。僧侶がどちらも参加できるように、東京は1か月開催をずらしてある。かつコンパクトにまとめ毎年10月27~29日の3日間で行われる。

    長谷寺は港区の西麻布という、とんでもない立地にあり、交通の便も良く、俗世ならではの魅力に満ち満ちている魔都にある。
    だからというわけではないが、山奥の永平寺ではなく、こちらの御征忌のみ参加する僧侶も少なくない。この表現に深い意味はない。



    (この長谷寺は私が馬の世界を離れてから、2年半もの軟禁修行生活を送った中心となる場所だ。修行生活はネタに溢れ、おかげで私はすっかり病んだのだが、それはまた別のお話なので、いずれ機会を設けて書いていきたい。)

    この長谷寺の御征忌には、毎年何百人という僧侶が全国から集まってくる。
    まあ全国には2万人以上の曹洞宗僧侶がいるらしいので、ほとんどは来ていないという面もあるのだが、それでも一つのお寺にコレだけの僧侶が集まって、ウゴウゴしているのは壮観で、宗教ヤベーなイベントでもある。

    私は修行を終えて以来、御征忌では「受付係」要員として召集されている。ほとんどの元修行僧は、法要を盛り立てるために参列する「ウゴウゴ要員」として呼ばれているので、数人しかいない「受付係」は少し異質な存在だ。

    というのも、この受付係は、通常より長く修行し、修行僧の中でも高い役職に就いた経験のある僧侶が、選出されるのが通例だからだ。
    御征忌全体に精通し、ありとあらゆる質問に答え、対応できる能力が求められる。

    私も確かに、長い間修行していた。
    だが高い志があったゆえの長期修行ではない。出来が悪すぎて、単純に「修行を終わる方法」すら理解していなかったのだ。
    気が付いたら同期はほとんどいなくなっていた、というのが事実だ。


    つまり、私には全く向いていない役回りなのである。正直、今どんな法要が行われているのかすら分からない。
    受付で先輩方(といっても20歳近く若い)が、している打ち合わせ的な会話も、はるか昔に忘れた単語が飛び交って、そこはかとなくしか理解できない。
    まるでフランス映画を英語の字幕で追っているような、うっすらぼんやり具合である。

    もちろん修行中に御征忌は経験している。なんなら新人僧侶を指導する側にも回っていた。

    しかし、それはすべて過去の話だ。日常的に行わない法要の記憶など、五十の半ばを過ぎれば、ほぼ失われている。
    だいたい昨日食べたものすら覚えていないし、「昔、某夫人は可愛くて優しかった気がする」程度に、頭の中の記憶とは頼りないものだ。


    なので私は(例年通りではあるが)、単純業務に没頭することにした。
    来訪僧侶の名前を聞き、名札を渡し、参加料を受け取り、領収書を書く。それだけである。
    それ以外は一切何もしない。質問はハニワのような顔で受け流し、全て諸先輩方に振る。

    先輩方は惚れ惚れするくらいに流れるように処務をこなしながら、少しでも手が空けば「せっかくだから」と、法要に参加していた。
    「じろーさんも法要に出る?」と誘ってくださるのだが、駄々っ子のようにかたくなに拒否した。

    そんな余裕などなかった。場の雰囲気になじめな過ぎて、ここに踏みとどまることで精一杯なのだ。


    御征忌も2日目となった。
    新たに受付にくる人は、グッと減る。先輩方は法要に参加する機会が多くなり、私が留守番として一人ポツンとしている場面も増えてきた。

    そんな折、ひとりの老僧が受付に来た。
    「おう」
    初手から偉そうな雰囲気を自ら発している。嫌な予感しかしない。どうして僧侶という人種は、こうも偉そうにする(人が一部いる)のだろうか。


    名前を伺い、声がかすれていたので聞き取れず、再度伺うと、それだけで明らかに機嫌が悪くなった。どうして僧侶という人種は、こうもキレやすい(人が一部いる)のだろうか。

    さらにマズいことに老僧の名刺が見つからなかった。あたふたと探していると、信じられない音が響く。

    「チッ‼」
    え・・・?今、この人舌打ちした?

    僧侶って舌打ちしていい人種なの?戒律犯してんじゃないの?
    老僧の目はキュッと奥まっている。もはや刺してきそうな雰囲気である。

    改めて名簿から探す為に、老僧の寺院名を尋ねた。
    文字を間違えるといけないので、メモ用紙に自分で書いてもらおうとすると、完全にキレた。

    「旧漢字の〇って言ってんだよっ!」
    かすれた甲高い声で怒鳴ってくる。

    実にムカつくジジイである。舌打ちし返してやろうかと思ったが、私にそこまでの度量は無い。
    老僧は、わざとらしく身を乗り出してきた。私の名札を舐めるように見ている。まるでチンピラだ。

    「お前、コクブっていうのか!全っ然、使えねえな!おいコイツ、ダメだぞ!」
    誰ともなく、言いふらすように叫んでいる。

    んだと、コラ。急に活舌良くなってるんじゃねえぞジジイ。

    僧侶のくせにみっともなくプンスカしやがって。「怒」は一番愚劣な煩悩と知らんのかコラ。煩悩具現化最終形態ジジイが。このハゲがっ!

    若い頃は、尖ったナイーヴと呼ばれた、この俺を知らんのか!とジジイ以上に内心で怒り狂ったが、これはのちに文章で書いているからだ。

    実際のその場の私は、見事にうろたえ、手汗をかきまくり、みっともないくらいに平謝りであった。

    ちょうど先輩僧侶が戻ってきて、瞬時に火消ししてくださり、事なきを得たが私のHPはほぼ底を尽きかけてしまった。

    嗚呼、もう帰りたい。

    長谷寺に着いた瞬間から思っている事ではあるが、来年こそ来るのをやめようと心底思う。




    リフレッシュしようと、表へ出た。
    広い境内は、僧侶の車で覆い尽くされ、歩きにくいほどであるが、やはり外の空気は気持ちが良い。

    それにしても、結構な高級車が止まっている。

    ただでさえ坊主丸儲けなどと揶揄される、このご時世で、如何なものかと思う光景だ。
    きっとあのジジイの車も高級車に違いない。

    別に金銭的に余裕があるのであれば購入は勝手だが、檀家さんの目につく場所には停めない、そのくらいの節度はあるべきではないだろうか。

    象でも轢き殺せそうなランドクルーザーや、フル装備レクサス。ココイチのトッピング全部乗せカレーのようで、もはや悪趣味ですらある。

    羨まし過ぎてジロジロ眺めていると、後方からゴリラがタンを絡ませながらドラミングしているような、独特のアイドリング音が境内に響いた。

    見ると、スリッパが限界突破したようなスポーツカーが、這うように入ってくる。しかも目の覚めるような真紅色であった。

    おいおいおい。

    いくらなんでも、それは酷すぎる。せめて色くらいは落ち着いたものにしないと。

    羨望のまなざしで指を咥え、物欲しそうに見ていると、目の前で窓がスーッと下がった。

    「ちょっと貴方!お墓参り行きたいんだけど!車どこに止めればいいのよ!」

    トンボの複眼のようなサングラスを付けたお嬢様が、顔を出して言った。
    そうだった。ここは港区西麻布。そういう立地だった。ココイチレクサスなど歯牙にもかけないお檀家さんが、ゴロゴロいらっしゃるのであった。


    駐車場係の業者方に対応を任せ、げんなりしながら、受付へヨロヨロと戻った。


    嗚呼、ほんとうに何故、私はここに居るのだろう。

    僧侶となる為、ここで過ごした日々を思い出す。まさに修行であった。
    馬の仕事と比べれば、体力的には全然問題無くて、むしろ運動不足気味でヌルかった。

    しかし異国のような専門用語や、法要の行程、礼儀作法、あらゆる所作、お経の暗記などフルコンボで、「お寺で地獄の苦しみ体験しちゃおうぜツアー」であった。

    先輩方からは「ネチネチ」という言葉を見事に具現化した叱り方、納豆を心のひだに塗り込んで、さらに追熟させるような叱責を受けていたのも懐かしい。
    対する私は、竹を横に叩き割ったような、と評されるくらい、性格がサッパリとしている人間だ。
    これは絶対将来ネタにしなければ浮かばれないと、心の中のデスノートにずっとネチネチと記し続けて対抗したものだ。


    思いに耽りながら、顔が異常に熱っぽくなっているのを感じた。
    そういえば修行中、何故かずっと私の平均体温が37.5度もあったことを思い出す。
    長らく不思議だった。理由も、修行中に隠れてせっせと筋トレに励んでいたせいかと思っていたが、勘違いだったらしい。


    現状を鑑みるに、これはアレルギーだ。
    もはや身体が僧侶アレルギーなのだ。全ての体細胞をもって抵抗し、熱を発しているに違いない。
    私は、ここにいてはいけない人間なのだ。

    ふと窓に映る自分の顔が目に入った。まるで吸血鬼に血を吸われ、萎んでいく過程のような表情ではないか。

    もう、おじいちゃんじゃん。

    私はどちらかといえば、若く見られる方だし、年齢を驚かれれば、そんな若くないですよと謙遜しつつ、得意気にのけ反るくらいには自覚もしている。

    が、今はとんでもなく劣化しているのが明らかだ。なにかに怯え、憔悴しきっている可哀想な老人がポツンと映っている。


    嗚呼、なのに何故わたしはここに戻ってくるのだろう。

    冒頭で書いているように、ほとんどの僧侶は来ていないのが実情だ。だから、イヤなら来なければいいだけの話だ。

    責任感?それは違うだろう。私は元から、そういったものは持ち合わせていない。
    ドリームファームの場長であった頃も、面倒臭い事案は、全て出来の良いスタッフに丸投げしてあげたし、私はその結果与えられる、牧場への名声のみ得られれば良かった。

    強迫観念というのが、近いかもしれない。DVの被害者が、自ら選んで加害者の元へ戻る現象と同じと言われれば、そんな気もする。
    ただし今はもう、先輩僧侶(といっても20歳以上若い)は私の不出来を一切叱らない。むしろ憐憫のまなざしで、絶滅危惧種を愛でるように大切な扱いを受けている。だから、これも違うのだろう。


    結局のところ、これはやはり私の修行なのだ。ここに参加することで、完全に初心に帰ることができる。
    馬の世界で、名調教師や名馬のご威光を背に調子に乗りまくっていた私は、この場所で自分が如何になにものでもないのかを学んだ。

    謙虚さを学んだ、などという体のイイ話ではない。

    リストラされたおじさんがコンビニでバイトをして、自分の子供より若い古参バイトに「使えねージジイだな」とか言われる、あるあるな光景が身につまされ過ぎるという話だ。
    自らをなぞらえて気が付けば落涙し、動悸息切れを起こし、不安で養命酒を煽りたいくらいだ。

    ―・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

    「初心の弁道 すなはち本証の全体なり」とある。
    「初心の修行こそが、本来の悟りの全体である」といったような意味となる。

    更に道元禅師は初心に関してこうも言っている。
    「はじめて發心するときは、他人のために法をもとめず、名利をなげすてきたる。
    名利を もとむるにあらず、ただひとすぢに得道をこころざす」

    これは「世間的な名誉・利益・他者からの評価ではなく、ひたすら道を得ることを願った初心」の大切さを説いている。

    私にとって、初心に帰れる場所があるというのは、とても貴重な事なのだろう。
    それもノスタルジックな意味の「帰れる」ではなく、否応なしに叩き込まれる初心の場所だ。

    この場所があるからこそ、私は僧侶として立っていられるような気がする。

    ―・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

    「ふーーん、あのさぁ」
    御征忌でどんなに辛い思いをしたのかを、涙ながらに語っていると、某夫人が言った。

    「来年はしっかり準備すればいいだけじゃない?」
    ・・・至極まっとうっぽいが、実につまらない提案である。

    なにを言っておるのか。そんなことはとっくの昔に知っている。しかし気が付けば、毎年その時が来ているのだ。

    ここは如何ともしがたいのだ。光陰矢の如しという世の真理を知らないとは、いかにも某夫人は浅はかである。

    毎年慌てふためき、凹んで、もう来るものかと思い、けれども来年届くであろう往復ハガキの出席欄に、震える手で〇を付けるのが、だいご味なのだ。

    ・・・イヤけどもう、ほんとに来年はいいかなと思っている。

    了

     
     
    ウマに恩返し中の僧侶。僕の人生に関わってくれた全てのウマと人に感謝。以前は競走馬に乗ってドリームファームで威張ってた人。現在は曹洞宗の僧侶。今もなおエルコンドルパサーとナカヤマフェスタと二ノ宮敬宇JRA調教師のおかげで良い思いをしている。ご一読いただけると功徳が積めます。

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