
こんなにも人が好きだったんだ
大学受験で薬学部を選んだ理由のひとつに、人が好きじゃないからっていうのがあった。
医学部は人を対象に研究するけど、薬学部ならマウスや細胞を相手にすればいいと聞いて、自分にピッタリやん、って思った。
それくらい高校生のときの自分は、人間関係が得意じゃないと思ってたし、趣味もなくて勉強くらいしかやることもなかったし、ひとりでいても平気だと思っていた。
ちょっと斜めに構えて、人と距離をとる癖は大学でも抜けなくて、心から信頼し合える友達は結局できなかったように思う。今思うととても勿体ないんだけど。
なんというか、一緒に遊んだり飲んだりはするけど、自分の弱いところを見せられる人はいなかった。
唯一全部さらけ出せたのは最初に付き合った彼女だったけど、ふたりで闇堕ちしちゃって上手くいかなかった。
変わったのは会社の同期と出会ってからかもしれない。
誕生日には、10人以上いる同期でおめでとう動画を作ってくれたり、結婚式でもわざわざ京都まで来てくれて、数ヶ月かけて自分と妻の写真で巨大なモザイクアートを作ってプレゼントしてくれたりした。彼らの前なら素直に涙を流せたし、「嬉しい」「幸せ」みたいな小っ恥ずかしい気持ちも言葉にできてしまった。
「マイトンは、なんか助けちゃうんだよな」と言って、困っているといつも助けてくれる仲間たちだった。
でもそれも、いっときの花火みたいなもので、ずっと続くわけもなく気が付くとまた元の真っ暗闇に戻っていた。
仕事では、人を好きになる必要もなかった。
研究を好きになれれば、それ以外いらなかった。
煩わしい人間関係には蓋をして、脇目もふらずに研究だけに時間を使う。
周りの人が、バランスよく人間関係もちゃんと作って、上手に階段を登っていくのを横目に見ながら、つまずいたり、コケたりしているうちに、同じ土俵で戦うのはしんどくなって、ますます人と距離ができた。
だけど、ずっと寂しくなんてなかった。
これは、強がりでもなんでもなくて。
どれだけ1人でいようが、素直な気持ちをもらす人がいなかろうが、ほんとに寂しくなかった。
だけど、今、猛烈に寂しくなる瞬間がある。
noteで知り合った友人たちと飲んでいるとき。
仲の良い人とLINEをしているとき。
みんなでワイワイ集まっているとき。
そういう時に、急にスポッと周りにトバリが降りて、真っ暗闇になる感覚がある。
物理的には周りにひとがいて、なんならとても優しくて楽しい時間のはずなのに。
あれだけ1人の時には感じなかった寂しさを、今、とても強く感じている。
きっと。
誰よりも人を求めているんだと思う。
今、この「人を求めている」って文字をスマホで打つだけで、頭の奥があつくなって、視界が滲むくらいに、誰よりも人を求めてしまっている。
今、この文章は、ショッピングモールのベンチに座って書いている。
周りには楽しげな家族連れがたくさんいて、みんな幸せそうに笑っている。
そんな人たちを見ても、寂しさは全く感じない。
きっと自分にとって寂しさは、関係のある人たちとの間で感じるものなんだと思う。
ショッピングモールで1人なのは当たり前だし、周りの誰とも接点はない。だから、この人たちとつながりがなくても寂しくないし、知らない人の幸せと自分を比べることもしない。だから、ここにいるとむしろ正気でいられる。
だけど、つながりのある関係で、「もっと」を求め始めた途端に、返ってこない寂しさに押しつぶされそうになるんだと思う。
もっと話したい。
もっと知りたい。
もっと近くにいたい。
もっと自分を見てほしい。
この時間が終わらないでほしい。
この、「もっと」が寂しさを連れてくる。
ついこの間、暗くないと光を見つけることができないって話を聞いて、自分は逆もあるなと思った。
光があるから、闇が濃くなる。
いやー、我ながらめちゃくちゃ重い。
ここでこんなこと告白するだけで何人か離れたかも知れない。
だけど、この寂しさすらも、書くことで生きる実感に変えられると思っている。
あぁ、この人たちのこと、こんなにも好きだったんだと気付くこともできる。
それってきっと悪いことじゃない。
きっと、これだけ大切な人たちに出会ってしまった私の人生は、これからも寂しいものになるんだと思う。
でも、裏を返せば、寂しいと思える出会いがあったということ。
実はこんなにも人が好きだったんだって。
きっと、ただそれだけのこと。
(本文1786字)
こちら、たまごまるさんの企画に参加します(リベンジ笑)
たまごまるさん、よろしくお願いします☺️
