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遣隋使と「天子」―なぜ聖徳太子はこの言葉を使ったの?

    607年、聖徳太子は小野妹子を遣隋使として隋に送りました。

    このとき、隋の皇帝・煬帝に渡された国書には、よく知られている一文があります。

    「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」

    ここで登場する「天子」という言葉が、遣隋使を理解するうえで重要です。

    「天子」とは?

    「天子」とは、もともと中国で**「天から選ばれた支配者」**という意味で使われた言葉です。

    隋では、皇帝が「天子」でした。

    つまり、

    隋の天子=隋の皇帝

    ということです。

    聖徳太子は日本の大王も「天子」と表現した

    国書では、

    「日出ずる処の天子」=日本の大王

    「日没する処の天子」=隋の皇帝

    と表現されています。

    つまり、聖徳太子は日本の大王と隋の皇帝を、同じ「天子」という言葉で表現したのです。

    これは、日本と隋を対等な立場として表現したものと考えられます。

    なぜ隋の皇帝は不快に感じたの?

    当時の中国では、皇帝を中心とする世界観が強く、

    「中国の皇帝こそが特別な存在である」

    という考え方がありました。

    そのため、隋の皇帝・煬帝からすれば、

    「日本の王まで自分と同じ『天子』を名乗るのか」

    という印象になります。

    実際、『隋書』には、煬帝がこの国書を見て不快感を示したことが記されています。

    それでも遣隋使を送った理由

    では、なぜ聖徳太子はこのような表現をしたのでしょうか。

    大切なのは、日本が隋に従う国としてではなく、対等な国として外交をしようとしたことです。

    もちろん、当時の日本と隋には国力の差がありました。

    それでも日本は、

    「隋の皇帝に一方的に従うのではなく、日本にも独自の支配者がいる」

    という立場を示そうとしました。

    「遣隋使」は単に中国の文化を学ぶための使節ではありません。

    日本が隋とどのような関係を築こうとしたのかを考えると、「天子」という言葉の意味がよりよく分かります。

     
     
    中学受験を専門とする塾にて、国語や社会を中心に指導を行なっております。志望校別コースを歴任し、集中講座ではアンケートクラス内1位を何度も獲得。複数校舎で主任を務め、数多くの生徒を合格に導いてきました。2025年より現職に就任。合格実績:麻布、武蔵、女子学院、豊島岡女子、渋谷幕張他

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