メインコンテンツへスキップ
見出し画像

短編小説 ようやく

     陽葵ひなたの机の上には、いつも行き場を失った書きかけの原稿と、書籍やノートの類が雑多に積み上げられていた。

     大学では文学部に在籍し、小説家を目指して新人賞の公募に応募する日々を送っている。しかし、交友関係は広くない。陽葵は名前に反して、俗にいう「陰キャ」の部類だった。

     そのせいで、SNSや小説投稿サイトの喧騒も苦手で、公募の結果も鳴かず飛ばず。モチベーションはすり減り、手応えのない焦燥感だけが募っていく。

     そんな陽葵の日常に、半年前まで無遠慮に土足で踏み込んできていたのが、幼馴染の佳月かづきだった。

     学部は違うものの、同じキャンパスに通うことになった際、頼りないままで親元を離れた陽葵の母が心配し、幼馴染でしっかり者の佳月に合鍵を渡してしまっていたのだ。

     それをいいことに、勝気で活発な佳月は陽葵の部屋へ勝手に出入りし、書きかけの原稿を漁る。そして、読み終えた原稿の裏に、決まってびっしりと感想を書き残していくのだった。

     その感想が、陽葵にとっては悩みの種だった。

    「主人公の心理描写が、まるでガラス細工を扱う猫のように中途半端。引っ掻きまわしたいのか守りたいのかハッキリして。あと、三章の叙述トリックは読者をナメすぎ」
    「キャラクターの性格と行動が、だいぶかけ離れてない? 冷静沈着で慎重な性格のキャラが、なんで一人で敵陣に突っ込むのよ」
    「『ぶきらっぼう』じゃなくて『ぶっきらぼう』でしょ」

     その文章は、辛辣を極める。
     あまりのことに、文句を言うこともしばしばだったが、この手の言い合いで、佳月に勝てる気がしない。

    「じゃあ私が読んでそう感じたってことでしょ。文句あるならもっと伝わる書き方しなさいよ」

     最後は大抵、これで終わる。
     その感想文は、的確なときもあれば、そうではないときもあった。くどいようだが、言い回しはとにかく辛辣で、「文学を志す」というプライドをズタズタに切り裂かれるような言葉の数々に、陽葵のメンタルはすり減っていった。

    (俺の小説の何がわかるっていうんだ……)

     うっとうしさと、自分の才能のなさを突きつけられる恐怖に耐えかねた陽葵は、ある日から、母に頼み込んで合鍵を回収させ、佳月を徹底的に避けるようになった。

     LINEの返信を絶ち、大学でも姿を見かければ身を隠した。佳月は最初のうちは面白くなさそうに文句を言っていたが、やがて陽葵の拒絶を察したのか、ぱったりと干渉してこなくなった。

     静寂が戻った。誰も勝手に部屋に入ってこない。批評におびえる必要もない。陽葵が望んでいたような理想的な、そして孤独な創作環境だった。

    ――だが、半年が過ぎた頃、陽葵は自分の文章が変わってしまったことに気づいた。

     これまでは三作品に一作くらいのペースで、どうにか一次選考を通過していた。それが、ここ半年の間に書いた八作は、微塵もかすりもしなかったのだ。

     それだけではない。パソコンに向かっても、筆がまったく進まない。
     プロットを組み、一応の完結までこぎつけても、紡ぎ出される言葉は酷く平板で、生気を感じられなかった。

     かつては物語のなかに息づいていたはずの登場人物の体温や、血の通った葛藤が、綺麗に削ぎ落とされている。

     悶々とした日々を過ごす中、陽葵は大学の講義の合間を縫って、たまにプロットの添削をお願いしていた文学部の野間助教の研究室を訪ねた。

    「先生、最近どうも筆が乗らなくて……。公募の結果も振るわないんです」

     デスクでパイプを咥えたままの野間は、くすりと笑うと、眼鏡の奥の目を細めて陽葵を見た。

    「中山くんは、『朋友相交あいまじわるは 善導をもって忠告すること 固もとよりなり』という言葉を知っているかね」
    「ほうゆう、あいまじわるは……?」
    「うむ。吉田松陰の言葉でね。友人が交際することは、互いに善い道へ導くよう忠告し合うのが本来の姿だ、という意味だ。君ね、あの活発な幼馴染くんが来なくなってから、自分の文章から『他者との摩擦』を失ってしまったのではないかね?」

     野間の言葉に、陽葵はハッとした。そして、忘れていた記憶の抽斗が、音を立てて開いた。

    ――遠い昔。十歳だったか、十一歳だったか。もう正確には覚えていない。夕暮れの公園のブランコで、小説家になりたいと夢を語った日。

    『いつか絶対に、僕の本を出すんだ……』
    『じゃあさ、私がその最初の読者になってあげる! だから、世界で一番面白い物語を書きなさいよね!』

     研究室を出た陽葵は、足早に自分のアパートへと向かった。

     部屋に戻った陽葵は、半年前に佳月が赤ペンで酷評を書き殴っていった古い原稿用紙の束を引っ張り出した。ページをめくる。荒々しい文字の隙間に、ふと見慣れないメモが混じっていることに気づいた。

    『ここは好き』
    『この主人公、嫌い。でも、どうしても続きが気になる』
    『いい場面。自然と涙がこぼれた』

     批判だけではなかった。
     赤い文字の端々から、物語に一喜一憂し、誰よりも真摯に心を揺らしている気配がにじみ出ていた。

     佳月はただ文句を言いたかったわけじゃない。彼女は最初から最後まで、陽葵の小説を誰よりも本気で読み、エールを送ってくれた「最初の読者」だったのだ。

     その温かな摩擦を自ら切り捨てたからこそ、自分の物語から血の通った熱が失われていったのだと、陽葵はようやく思い知った。

     胸の奥で、何かが激しく渦巻いていた。恐怖でも絶望でもない。ひりつくような、圧倒的な創作欲求の火花が散っていた。

     その夜、陽葵は猛烈な勢いでキーボードを叩き始めた。
     迷いはない。登場人物の息遣いが聞こえ、言葉が雪崩のように画面を埋めていく。深夜から明け方にかけて、寝るのも忘れて書き上げた。

     タイトルは「幼約」。

     翌日。陽葵は大学の講義を思い切って全休した。
     アパートの近くの花屋で、純白の小花を束ねた花束を買う。少し気恥ずかしかったが、今の自分にはこれがどうしても必要だと思えた。

     佳月の部屋のインターホンを鳴らすと、しばらくして、ジャージ姿の佳月が寝癖を少しだけ跳ねさせてドアを開けた。

    「……なに? あんた、私を避けてた――」

     言葉を最後まで言わせず、陽葵は差し出した原稿の束と、白い花束を彼女の胸に押し付けた。

    「……これ、新作。読めよ」

     息を弾ませる陽葵を見て、佳月は丸く目を見張り、それから呆れたような、しかしどこか嬉しそうな、あの面倒くさい笑みを浮かべて鼻を鳴らした。

    「なにこれ、急に。……カスミソウ? 花言葉なんて気取るキャラじゃないでしょ」
    「いいから、読んでくれよ。そして、前みたいに言いたい放題言ってくれ。……ただし、これからは裏に書くんじゃなくて、俺の隣で直接言ってくれ」

     佳月は花束と原稿を抱きしめたまま、しばらくぽかんとしていたが、やがてふっと息を漏らして、力強くうなずいた。

    「……仕方ないわね。覚悟しなさいよ、書く手間が省ける分、ビシバシ行くからね!」

     夏のアツい風の中、二人の影が並んで長く伸びていた。
     陽葵の胸には、久しぶりに心地よい熱が満ちていた。


    本文2,871文字(ルビ含む)

    こちら、「灯火杯 7th 2026 summer」への参加作品となります。

    灯火さん、皆さん、よろしくお願いします!


    #灯火杯
    #灯火杯7th


    あなたへのおすすめ