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【ごたぎさん】20260405──あおぞら号とこまどり号 あの頃はなぜ団体行動したのか

    いつもありがとうございます。
    架空の仏壇屋、桑名屋の西野光照です。

    Vista(ビスタ)、覚えていらっしゃいますか。
    眺望という意味だったと思いますが、伯父が近鉄に勤めていたこともあり、私にとってビスタといえば近鉄のビスタカーでした。

    不思議なことに、私の周りでは「ビスターカー」と、少し伸ばして呼んでいたのを覚えています。

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    そして、団体専用列車のあおぞら号。
    当時、そろばん屋の旅行といえば奈良の近鉄あやめ池遊園地と決まっていて、その団体列車に乗るのが小学生の楽しみのひとつでした。

    私はあやめ池へ行く機会はなかったのですが、1974年、修学旅行であおぞら号に乗り、名古屋まで向かいました。

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    そこから国鉄の団体列車、こまどり号に乗り換えて、5時間かけて東京へ向かったのです。当時、新幹線は開業していましたが、旅費を安くするため、一般客に迷惑をかけない配慮だったと思われます。

    あらためて調べてみると、当時の名古屋駅には団体列車専用のホーム、いわゆる0番線があったようです。こまどり号も1973年10月に廃止廃止されていましたが、その後もこまどり号は走っていたようです。

    あの頃は、列車に乗ること自体が、すでに旅のはじまりでした。

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    そして、忘れていけないのが修学旅行の鞄でした。男子も女子もマディソンかプーマでした。まだ、学校指定の鞄ではない、少し自由な雰囲気が残っていた時代です。

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    夜になると、みな同じような芋ジャージに着替えて、部屋では決まって枕投げが始まります。
    あの頃はそれが当たり前で、何も疑問に思いませんでしたが、今になって思えば、みんな同じ格好で同じ時間を過ごすというのは、とても不思議な光景だったと思います。


    今日の記事です。学びをありがとうございました。



    今日のごたぎさんです。随時更新中です。

    マガジンに追加していただき、ごたぎさんでした。



     
     
    桑名寺町の架空の仏壇屋「桑名屋」の店主です。昭和の空気、仏花、神社仏閣、古い道具や人とのご縁を、のんびり綴っています。「なんか落ち着くなぁ」と思っていただけたら嬉しいです。

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