
AIの時代に、私がシャッターを押す意味
今年もCP+の会場には、新製品が沢山並んでいた。
AIのサポートを受けて、カメラはますます便利になり、自動化されていく。
その進化の先が、カメラ好きにとって本当に幸せな未来なのかどうか。
ふと立ち止まってしまう。
例えば、こんなふうに。
数年後のCP+。新興カメラメーカーのブースにて。
スタッフが説明する。
「当社の入門機の新機能、AIキャプチャーです。もうカメラの前で考える必要はありません。カメラを向ければ、AIが適切な画角を切り取り、適切なタイミングでシャッターを押してくれます。」
私は唸ってしまう。
「それって......AI任せにして良いんですか?」
スタッフが笑顔で返す。
「そこで当社はAIレシピ機能を開発しました。人気のインスタグラマー風写真も、憧れの写真家風の一枚も、ボタンひとつでAIがそれっぽく撮ってくれます。」
私はいよいよ苦々しく尋ねる。
「私は自分らしい写真が撮りたいのだけど。」
スタッフは待っていましたとばかりに答える。
「そんなこだわりのある皆さんのために、カスタムAIレシピも搭載しています。あなたの自信のある写真をAIに読ませてください。後はファインダーを見てなくても、あなたらしい写真を撮ってくれますよ。」
ーーー。
こんな話もまんざら夢物語ではない。
すでに撮影後の編集や選別ではAIが活躍している。
子連れでゆっくりカメラを操作する余裕のないパパママには、理想的な機能かもしれない。
けれど私は、シャッターだけは自分の指で押していたいと思う。
なぜそうしたいと思うのだろう。
もしかすると、それは——

私の目で見て、私の指で決めた瞬間でなければ、それは私の人生の一コマにはならない気がする。
写真は、整った記録であるよりも、私がそこにいたという記憶のよすがであってほしい。
カメラは便利になるほど、少しずつ私たちの身体から離れていく。
それを自由と受け取るのか、それとも寂しいことだと感じるのか。
その問いは、結局、私たち自身に返ってくる。
AIがシャッターを押してくれる時代に、その一瞬を、誰の決断として残したいですか。