
落とし物の持ち主【拝啓文芸部】
出かけた帰り道、少し疲れていた私は、ふと思い立って公園に立ち寄った。普段はあまり来ない公園だったけれど、ちょうど長いベンチがあったので、そこに腰を下ろした。
ふう、と息をつく。
右肩にかけていたバッグを外し、隣にトン、と置いた。そのとき、バッグの向こうに何かがあるのに気づいた。
「ん? なんだろう、これ」
小さな木の塊のようなものが、ベンチの上に置かれていた。最初は子どもが忘れていった積み木かと思った。
でも、よく見ると、どうも違う。
まず、色が渋い。
子どものおもちゃにしては、ずいぶん落ち着いた色をしている。しかも、妙にツヤツヤしている。
ニスでも塗ってあるのかと思ったけれど、それだけではないような気がした。
長いこと誰かが触ってきた木の、あの独特のなめらかさがある。角は少し丸くなっていて、指が当たるようなくぼみもあった。
ずいぶん使い込まれている感じがする。
私はそれを手に取って、あちこちから眺めてみた。何かの部品だろうか。
穴が開いている。ネジか何かを通すための穴のようにも見えるけれど、ここを固定したら、このくぼみは何のためにあるんだろう。
しかも、よく見ると二つの木製パーツが複雑な形で組み合わさっている。
釘やネジは見当たらないのに、ぴったりと嵌まっていて、どうやって作ったのかもよくわからない。もしかしたら外せるのかもしれないけれど、元に戻せなくなったら困るので、外してみるのはやめておいた。
そもそも何かの部品だったとして、どうしてその部品だけが公園のベンチにあるんだろう。
誰が持ってきたんだろう。
何に使うものなんだろう。
これだけ使い込まれているんだから、きっと大事にされていたものなんじゃないだろうか。
……いや、私、何やってんだっけ。
ふと我に返る。そうだ。ちょっと疲れたから休もうと思って、ベンチに座ったんだった。
いつの間にか、すっかり謎の木製物体に夢中になっていた。
私はそれを元の場所に戻し、もう一度ベンチに座り直した。たぶん、誰かがここに座ったとき、忘れてしまったんじゃないだろうか。
ふと、自分のバッグに目がいった。
ファスナーには、小さなマスコットがぶら下がっている。長いこと一緒に出かけてきた、お気に入りだ。
もしこれがどこかで外れてしまったら、私はきっと探すだろう。通った道を戻ってみたり、立ち寄ったお店で聞いてみたり、警察に問い合わせたり。
この木の物体も、誰かが探しているのかもしれない。
かといって、私がここで見張っていなければならない理由はない。
……ないんだけど。
このまま置いていったら、誰かが気づかずに座ってしまうかもしれないし、ゴミだと思って捨てられてしまうかもしれない。
そう思うと、なんとなく立ち去りにくくなってしまった。
結局、私はしばらくベンチで休みながら、ときどき周囲を見渡していた。
誰かが慌てて戻ってこないかな、と思ったのだ。でも、それらしい人は現れなかった。
そろそろ帰らないと。
私は木の物体を見た。
うーん。
もう一度見た。
……うーん。
そして結局、それを持って立ち上がった。
もし私が大事なものを落としたら、警察に問い合わせると思う。だったら、警察に届けておけば、持ち主のところに戻る可能性があるんじゃないだろうか。
幸い、帰り道には小さな交番があったのを思い出したのである。
交番の中に入ると、穏やかな感じの警察官が声をかけてくれた。
「どうされました?」
「実は、落とし物を見つけまして……」
そう言うと、警察官は用紙とボールペンを出してカウンターに並べた。
用紙はどうやら、拾得届というものらしい。
え、何か書くの? と、ちょっとだけ引く。
「落とし物を持ってきただけなのに、何か書かないといけないんですか?」
「そうなんです。決まりがありまして」
警察官は穏やかに言いながら、ボールペンを私に手渡す。
まあ、決まりなら仕方がない。
私は用紙に向かった。
拾った日付。拾った場所。
ええと、あの公園、何公園だったっけ。少し考えて、思い出した名前を書き込む。
「A公園のベンチの上」
よし。次は……品名。
ここでボールペンが止まった。
品名。
……品名?
「どうされました?」
警察官が声をかけてくれた。そういえば、私はまだ肝心の落とし物を見せていなかった。
「あの、これなんですけど……」
私は例の木の物体を差し出した。警察官はそれを受け取って、じっと見つめた。
「……これは、何でしょうかね」
聞きたいのは私の方である。
とはいえ、こんな穏やかな警察官にそんなことを言うわけにもいかない。私も同じように首をかしげた。
「……何なんでしょうね」
私は、公園のベンチにあったこと、何に使うものかはわからないけれど、ずいぶん使い込まれているように見えることを説明した。
警察官は木の物体をいろいろな角度から眺めながら、うなずいた。
「そうですね。なんだか、ずいぶん使い込まれている感じがしますね」
「そうですよね」
「大事にされてきたものなんじゃないかというのは、私もそう思いますよ」
「そうですよね!」
わかってくれる人がいた。ちょっと嬉しくなったところで、警察官が言った。
「でも、一体何に使うんでしょうかねえ」
振り出しである。この人も、私と同じところにはまってしまった。
私は用紙に目を落とした。品名の欄は、相変わらず空白のままだ。
「ちなみに、この欄って埋めないといけないんですよね?」
「そうですね。一応、全部の欄を書いていただく決まりなので……」
そりゃそうだよね。書かなくていいですよ、なんて言うわけないよね。
「……何て書いたらいいと思います?」
私は警察官に振ってみることにした。
警察官も、手のひらの中の物体を見つめて、困ったように笑った。
そうだ。そりゃ、そうだ。
笑うしかない。
「多分ですね」
私は言った。
「多分、木でできてると思うんですよ」
「そうですね。木製ですね」
相変わらず穏やかな返事である。しかも即答である。そこから何か、いい感じの言葉をつなげてくれないかな、とちょっとだけ期待したのだが、空振りに終わった。
「……何かの部品ですかね?」
「そうですね。この穴とかを見ると、そんな気がしますね」
どうやら、お互いの認識は同じらしい。
「じゃあ、品名は『部品』って書きます?」
私はボールペンの先を品名の欄に近づけながら、若干上目遣いで警察官を見た。
「…………」
まあ、ここで判断を委ねられても、相手も困るだろう。私はとりあえず「部品」と書いた。
これで先へ進める。
と思ったら、次の欄には「特徴」と書いてあった。
……特徴。まだあるのか。
いや、わかる。例えば巾着を落としたなら、大きさとか、水玉模様だとか、そういうことを書くんだろう。私だって何かをなくして警察に問い合わせたら、当然聞かれるはずだ。色は、形は。手元の物体と、照合するために。
わかるんだけどさ。
私は改めて、例の木製部品を見た。特徴ねえ。
木製。妙な形。ツヤツヤ。穴がある。くぼみがある。二つのパーツが複雑に組み合わさっている。
……特徴しかない。
いや、特徴はあるんだよ。むしろありすぎるくらいある。ただ、それをどう説明したらいいのかがわからない。
とはいえ、何か書かないことには終わらないので、「木製、穴が二つ」などとさらりと書いた。警察官は、うんうんとうなずきながら見ている。
そうだよね。
別に添削しなければいけないわけじゃないし、正解があるわけでもない。拾った人がそう認識していた、ということがわかればいいんだろう。
そんなにこだわらなくてもよかった。
私はようやく書き終えた用紙を警察官に渡した。警察官は上から順番に内容を確認していった。そして、最後の方で手を止めた。
「それから、報労金についてなんですが、こちらはどうされますか?」
……報労金?
落とし物を拾った場合、持ち主が見つかれば、落とし物の価値の5%から20%に相当する報労金を請求できるらしい。
私は改めて、あの木製部品を手に取った。
「これの10%とか20%ってことですか?」
そう言いながら、二つの木製パーツの継ぎ目あたりを指でなぞってみる。
「この辺ですかね?」
警察官は私の指先を見て、ちょっと笑った。
「いえ、現物を分けるわけではなくて、金銭的な価値に換算して、その何%かということになります」
……まあ、そりゃそうだろう。落とし物を拾われるたびに、その物が少しずつ小さくなっていったら大変だ。
私はもう一度、木製部品をまじまじと眺めた。
「でも、ここがなくなったら、違うものになっちゃいますもんね。辞退します」
「そうですか」
警察官は相変わらず穏やかに答えて、書類の「希望しない」に丸をつけた。
本当は、ちょっとだけ迷った。
お金が欲しかったわけではない。ただ、もし持ち主が見つかったら、お礼をいただくという名目で、これが一体何なのか聞いてみたい気持ちはあった。
でも、まあ、いいか。
お金に換算して考えるのも、なんだか違う気がする。それに、謎は謎のままの方が楽しいのかもしれない。
長いこと誰かに大切にされてきたらしい、あの妙な木製部品。
どんな人が使っていたんだろう。
きっと、探している。あんなにしっかり手入れされてる感じがしたんだもの。
ちゃんと、持ち主の手元に戻るといいな。
そう思いながら、私は交番をあとにした。
【拝啓文芸部】参加第二弾!!
ちょっと難しかったですが頑張りましたー!
道端を歩いていて、これ、なんだろなーと立ち止まること、結構あります。
あ、あるよね?みんなあるよね!?