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アダルトチルドレン「親を諦める」ということ。親との決別とその先にあるもの



アダルトチルドレンの回復過程では、
「親を諦める」
そんな局面がある。

過去の喪失、怒り、悲しみ。
それらを感じつくして、親を手放す段階。


親への期待を諦める段階。
親が「毒親」だった、と認め、受け入れる段階。

生きづらさを抱える人が、
過去の家庭環境や親子関係を振り返ったとき。
生きづらさを解消していくためには、
避けては通れない。

私はここで、手放すのに時間がかかりました。

この記事では、
親に対する諦めってどういうことか。

どういう意味を持つのか。


自分の経験、今振り返って思うことを、
書いてみたいと思います。



自己紹介---こんにちは! ヤンさんです。



わたしもまた、アダルトチルドレンの一人です。

長年、生きづらさを抱えて生きてきました。

現在はだいぶラクになり、
それでもまだ、回復の途上にいます。

アダルトチルドレンの辛いところは、
何よりも「自分の性格のせいだ」と思って、
さらに自分を責めてしまうこと。

わたしもそうでした。

人の評価を気にして、過度に自己犠牲をしたり、
頑張りすぎてつぶれそうになったり。

「どうせ自分はダメだ」「どうせ私なんて」
と心を閉ざしたり。

なんとかしたくて、
カウンセリングを受けたり、
自己啓発やセミナーに行ったりと、
いろいろな勉強をしてきました。

行きつ戻りつ、揺れながら、
少しずつラクになっていったんです。

わたしの経験が参考になればと思い、
noteで発信しています。



アダルトチルドレン、機能不全家族、毒親という
言葉が、あちこちで目に入ってきますよね。

私は、これらの言葉をなんとなく避けていた。
何となく嫌だな、と思っていた。

あなたは、どうですか?



毒親と認めたくない。
うちは、毒親っていうほどではない。

そう思っている人も多いのではないでしょうか。
私は、長らく、そう思っていました。


生きづらい。
うまくいかない。
しんどい。


けれども、

親はそこまで悪ではなかった。
愛してくれている部分もあった。
親が好きだ。

だから、
毒親という言葉を使いたくない。
親に悪い気もして。
罪悪感さえ感じていました。

そして、
親を断念する、諦めるということが、
なかなかできなかったんです。

だけど、毒親だった、と認めた今なら、
わかります。


毒親だったと受け入れること、
親を諦める、ということは、
もっと自分だけの、内的世界でのことで。

そして、親を想う気持ちと併存できるもの。

一方的に親を責めたり、
断罪することではないんです。

毒親という言葉は、象徴に過ぎない。


この内的世界での、
親への諦め、親との決別を経て、
はじめて、新しい安心の世界が
入ってくる余地がある。



実際、毒親と認めてから、
ものすごくラクになりました。


自分が自分に戻ってきた。
そんな感覚。

文字通り、世界線が変わる体験です。
そんななかを、いま、生きています。

苦しい最中を、
一人歩いている誰かの参考になれば、
と思って書きました。


そして、毒親って言葉にためらいを感じる人に読んで欲しいなと思っています。


そして、それは、怖いことでははないよって
伝えたい。 


…認めるまでが、辛くて、しんどいんですよね。


この記事では、
親を断念する、諦める、とはどういうことか。

自分の経験を通じてわかったことを綴ります。


この記事を読み終わる頃には、
親を断念する、諦めるとはどういうことか、
その本質が理解できるはずです。



※これは、個人的な体験からくる、私的な見解です。
今後、加筆、修正するかもしれません。


 
 
「誰かのための私」をやめて、自分らしく生きていく【心のリハビリ実践記】。 心と思考をひも解いて、人生を取り戻すためのヒントを綴ります。 看護師/HSP/機能不全家族/AC

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