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誰かのふつうが痛かった

    ボクは社会人になってADHDだとわかった。
    診断された時はほっとしたのを覚えている。

    つい最近、双極性障害だということがわかった。
    なおさら、ボクの人生まあまあハードモードだったというわけだ。

    薬が本当に効いてるのかわからないまま、1ヶ月が経とうとしていた。効果があるのかないのか、自分ではまだ判断がつかない。

    こんなボクでも、相談をしてくれる人がいる。

    その人は「『考えすぎ』という言葉に苦しくなってしまった。」といった。

    誰かの何気ない言葉に深く刺されているようだった。

    ボクには到底拭えない傷だし、その人にとっては涙が溢れるほど心底辛いことだったんだと思う。

    理解しようとはする。ただ、わかった気になってはいけないと思う。
    痛いと思っても痛覚は共有できない。

    その人が痛いなら死ぬほど痛いことなんだと。ボクがそのレベルを推し量ることなんておこがましんじゃないかとさえ思う。

    ボクはそんな偉い人間じゃない。

    だからこそ思う。

    ボクらには見る目があって、触る指があって、聞こえる耳がある。

    じゃあ脳の中に足りないものがある人はどうなんだろう。

    見えていない部分が足りない人は、普通として扱っていいんだろうか。だから障害者と呼んでいいんだろうか。

    わかってる。

    あくまでも平易な言葉に落とし込んだ時のラベルの話だ。

    だけどボクには壁に感じる。生きづらさを覚えている。
    いつかこの痛みを無くすんだ。

    生きづらさのない世界をボクは作りたいから。

     
     

    yas

     
     
    歩いてたら見つかる素朴な幸せが好き。ラップのはじまりが見つからない。

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