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素直に誉め言葉を受け取れない。だからこそ「役に立つ」ことに執着してしまうとき

    AIに褒められて「嬉しくなる」「依存してしまう」という話に、なかなか共感できませんでした。私自身は、褒められても、素直に喜べないことが多いからです。

    だから私には承認欲求なんてないんだ…と思い込んでいましたが、誰かの役に実際に立てたと分かった時だけは、嬉しいと感じることがあります。

    これも形を変えた、承認欲求なのかもしれませんね。

    この記事はこんな人におすすめ

    ・褒められても素直に喜べない方
    ・「自分には承認欲求なんてない」と思っている方
    ・人の役に立ちたいのに、自分ばかりが、すり減ってしまう方


    褒められてもうまく反応できない時があります。

    褒めていただいた、その気持ちは嬉しいんですけどね。

    でもその内容を心から信じられることって少なくて、「お世辞かな」「気を遣ってくれているのかな」と相手の意図の方が先に気になってしまう。

    同じような葛藤をお持ちの方は多いのではないかと思います。

    私の場合は、褒めて頂く内容は能力である場合が、多いです。

    例えば、仕事で「いい子だね」「感じがいいね」と人柄を褒められたことがありません。

    別に「いい人」と言われたいわけでもないんですけど、能力以外のところを見てもらえた経験がない、という事実だけが、なんとなく心に残っています。

    昔、別の現場の新人の女性と、私と上司とで、居酒屋でカジュアルに面談をする機会がありました。

    話を聞いていると、彼女はこう言いました。

    「現場の人は、私をすごく『いい子だね』って褒めてくれる。でも本当は、仕事で役に立ったとか、能力を褒められるようになりたい」

    それを聞いて、私はなんだかクサクサした気持ちになり、ビールをゴクゴク飲んでいました。

    だって、私はいつも能力を褒められて、「いい子だね」とは言われない。

    彼女はその逆で、「いい子だね」と言われた上で、能力を褒められたいと言っている。

    表面的な「能力」なんて、仕事に慣れてくれば誰だって褒められるものではないでしょうか。でも「いい子だね」と言われるのは難易度が高い。私にとっては。

    ないものねだりなんでしょうけど、能力しかとりえがないからそこに縋って来た人間は、どうしたらいいんでしょうね。

    そんな風に思いました。


    少し昔にさかのぼりますが、私が子どもの頃、母が私に「なんのとりえもないくせに」と言い放ったことがあります。

     
     
    「知る」ことは優しさ。不登校/双極症の経験を持つひきこもりのITエンジニアが、生きづらさを抱えるあなたへ「それでもきっと、大丈夫」のヒントを3年間、毎日発信しています。病気でも、不登校でも、ひきこもりでも。きっと、私たちそれぞれの「だいじょうぶ」を見つけられる。(毎日19時更新)

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