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「元気出して」に答えるのがしんどい。それでも、気持ちを大切に持ち続けて

    落ち込んでいるとき、
    「元気出して」「気持ちは分かるけど、明るくしなきゃ」
    なんて、声をかけてもらうことがありませんか?

    嬉しく感じることもあれば、なんだかしんどい時もあるような気がします。

    相手の期待に合わせて「うん、がんばるよ」と返事をしたあと、なぜか余計に疲れてしまうことがあるんですよね。誰にも見せなくても。

    今日はそのことについて、少しだけ書いてみたいと思います。


    以前、祖父が亡くなったときのことです。

    会社で忌引きを取り、数日後に出社した私は、まだ少し落ち込んでいました。
    歩いていたら、先輩が「忌引きだって? 大丈夫?」と、祖父のことを聞いてくれたんですよね。

    「入院していて、高齢だったんです」と話したところ、先輩はこう返しました。

    「そんなに生きたんだからしょうがないよ。大往生じゃん。元気出して」

    驚きと共に、両肩にずしんと重いものが乗っかる感じがあって、私はうつむいてしまうのをこらえながら、「そうですよね」と笑顔を浮かべました。

    悪気がないのは、分かっています。私を励ましたかったのだと。

    でも、別れの悲しみに「大往生だったかどうか」って、関係あるのでしょうか。

    高齢で亡くなったのは、事実です。
    けれど、もう会えないことの悲しみは、享年で決まるものではないですよね。

    noteを見ていると、大好きだったペットや大切なご家族を亡くした方の記事を拝見することがあります。

    最後のお世話の様子から、リアルタイムに書かれている方もいます。

    すると、「もう年だから」と完全に割り切っておられる方ばかりではないと気づきます。

    ほとんどの方は、ギリギリまでお世話をして、何かあれば心配して、できれば、もっと生きてほしかったと願っているように感じました。

    「大往生だった」と数字で納得できる別れなんて、存在しないのかもしれません。

    それに、毎日一緒にいたわけではなくても、「どこかであの人が元気に過ごしている」のって救いに感じられるじゃないですか。

    祖父は散歩が好きで、晩年まで「健康が一番」だと繰り返すぐらい、元気な人でした。だから私の心の中の祖父は、今も日がな一日絵を描いたり、散歩をして過ごしているようです。それが実際には存在しないと突きつけられたのは悲しい。

    あの日から、私は「元気出して」や「暗い顔しないで」という言葉を、少し身構えて受け止めるようになりました。

    病気のこともあって、よく、言っていただくんですよね。

    悪意はないんです。

    でもそれを言われるのが痛い時があるから、かわす準備をしている自分がいます。


    皆さんはどうでしょうか。

    「元気出して」と言われた時、「うん、がんばるよ」「元気出さなきゃね」と返したことはありませんか?

    きっと優しさから、目の前の「励ましている人」に合わせているんですよね。

    相手を安心させるために、自分の悲しみを脇に置いている。

    本当は、自分が励まされたくてその場にいるわけではないかもしれません。
    ただ話を聞いてほしかっただけかもしれない。

    でも相手が「元気出して」と言った以上、「元気になった姿」を見せなければならない気がします。

    結果として、つらい人がつらいまま、相手のために笑うのはしんどいかもしれません。

    でも、きっと誰も悪くないから

    ただ、励ます側に悪意がないことも事実です。

    相手はこちらを心配して、少しでも気持ちを軽くしようと声をかけてくれているのだと思います。

    私は自分の感じ方を書きましたが、むしろ「励ましてほしい」と感じる人だっているでしょう。つらい時に「がんばれ」と言ってもらえることで、前を向けるような。

    どちらかが正しい、間違っている、という話ではないんですね。

    その時の状況、相手との関係性、自分の状態。いろいろなものが重なって、ある日は嬉しい言葉が、別の日には痛くなる。

    じゃあ、一緒になって泣いてくれればいいのかというと、私の場合は、それも違う気がしますね。

    ただ話を聞いて、否定しないでいてくれること。
    そこにいてくれること。

    求めているのは、それだけかもしれません。

    でも、現実には「元気出して」と言われる場面はなくなりません。

    職場で、家で。
    落ち込んでいる時に「明るく」求められることは、きっと、これからもあるでしょう。

    元気に振る舞わなければならない場面もあるかもしれません。

    でも、それでもいいんです。
    相手のことを想って合わせるのは、本当に、優しいからじゃないですか。

    けれど、自分だけは、自分の悲しみを知っている。
    それを相手の言葉で、なかったことにしなくてもいいと、私は思うんですよね。

    周りに合わせて笑うことと、自分の気持ちを否定することは別のものです。表面で「元気な顔」をしていても、「悲しんじゃいけない」と思う必要はありません。

    悲しみは、ただ誰の手も触れられない場所に、そっと置いておいてもいい。

    誰かを想う気持ちや、それゆえに感じる、痛み。
    目の前の相手が何を言おうと、その大切さが変わることはありません。

    自分で抱きしめて、大切に守っていてもいい。
    もちろん、そうしなくてもいい。

    自分の気持ちを変えるかどうか、決めるのは自分でいいんです。
    だから、どうか、自分の気持ちごと、自分を大切にしてくださいね。


    #YeKu #メンタルヘルス #生きづらさ #ポジティブ疲れ #グリーフケア #セルフコンパッション

     
     
    「知る」ことは優しさ。不登校/双極症の経験を持つひきこもりのITエンジニアが、生きづらさを抱えるあなたへ「それでもきっと、大丈夫」のヒントを3年間、毎日発信しています。病気でも、不登校でも、ひきこもりでも。きっと、私たちそれぞれの「だいじょうぶ」を見つけられる。(毎日19時更新)

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