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作品と作者の人格に関係はないけれど。

    「自分が推していたあの人が、実はひどいことをしていたらしい……」 「本当なら応援しづらいけど、それでも作品は面白い……」 「でも、それってなんだかモヤモヤするな……」こんな経験、ありませんか?

    はじめに

    日本でよく目にする「炎上」という言葉は、著名人などが何かをやらかして誹謗中傷を浴びる現象として知られていますね。ニュースを見ていると、まるでそれが日本だけの独特な文化のように扱われることがありますが、英語圏でもキャンセルカルチャーと呼ばれていて、社会問題になっています。

    例えば、ハリー・ポッターシリーズ(ウィザーディングワールド)の原作者であるJKローリング氏が、かつて

    ・「トランスジェンダーの(肉体的な性別が)男性が女性用トイレを使ったり女性用の更衣室に入るのは、それを悪用した性犯罪などを誘発するので危険である」という主旨の発言をしたところ
    ・トランスジェンダー差別だとバッシングが始まる
    ・映画のキャストまで意見を求められ、踏み絵のように「JKローリング氏の発言は良くない」と言わされる
    ・JKローリング氏が原作となった映画やゲームの関係者も釈明を求められる

    という事態に発展しました。

    この件をご存じの方も多いのではないでしょうか? この出来事は私の理解による説明であり、細かいニュアンスに違いがあるかもしれませんが、「一人の言動をもとに、一気に大勢から非難される」という点は事実です。

    私は子供の頃からハリー・ポッターシリーズが大好きで、静山社から出ている日本語訳のみならず、英語の原書や、オーディブルでも所有していて、シネマコンサートまで見に行くくらいの同シリーズの大ファンです。なのでこの件にはショックを受けました。

    一方で日本の炎上事件は…

    私は芸能人や著名人の不倫、あるいは真偽不明の不祥事が報じられた際に、当事者ではない第三者が執拗に誹謗中傷を続けることにモヤモヤしていました。被害・加害の関係者本人ではなく、全くの見ず知らずの人間が攻撃するのは「何なんだろう……」と理解できないでいました。

    ところが先日、好きなYouTuber同士の裏でもめごとがあったという話を知ってしまいました。しかも、それは当人たちも認めている事実でした。

    頭の中では「本人同士の問題だろうし、あまり気にしなくてもいいかな……」と思いつつも、どうしても加害側のYouTuberを素直に観られなくなってしまったんです。たとえ面白い動画を出していても、「とはいえ、あの人を傷つけたんだよな……」と考えると心から楽しめなくなるんですよね。

    認知的不協和が生む違和感

    この「好きだけど、でも何か引っかかる」という状態は、心理学でいう認知的不協和そのものです。

    認知的不協和というのは、「ダイエットしているのに暴飲暴食してしまう」とか「体に悪いと知りつつタバコを吸う」時に生まれる独特の不快感のことです。つまり、自分が知っていること(認知)と自分の行動の間に矛盾があると気持ち悪いんですよね。

    一般的に認知的不協和を抱えた人は、自分の信念や認知を過小評価したり、行動を変えて不快感を抑えようとします。

    例えば「ダイエットしているのに暴飲暴食してしまう」人は「1日くらい食べても大丈夫だろう」とか「明日運動して取り戻せばいい」とか「そもそも私はそんなに太ってない」とか自分に言い聞かせるわけです。

    これって誰でも覚えがありますよね。

    私のケースでは「自分はこの動画を楽しんでいる」という現実と、「この人を応援することは、この人の加害行為を助長する行為なのかもしれない」という思いがぶつかり合い、苦しさを生むんです。

    結果として私は、心がざわつくのを避けるために、そのYouTuberの動画を見る機会を減らしました。

    私はこれまで炎上した著名人を叩く人の気持ちが分かりませんでしたが、そういう方々の一部は、認知的不協和に苦しんでいるのかもしれないなと思うようになりました。

    どう付き合っていくか?

    これを読んでいる方も、似たような経験をしたことはありませんか? 身近な友達関係やSNSコミュニティでも、誰かが誰かを傷つけていたら、ちょっとその場に居づらくなることがありますよね。

    そういう時、いま自分が感じている認知的不協和を見つめることで、少しずつ自分なりの基準を整理することができるかもしれません。

    ・思い切って、制作物(動画・書籍など)と発言や行為を切り離して考えてみる
    ・「本人たちに直接関わりがないのに、私がそこまで怒る必要はあるのか?」と自問してみる
    ・逆に、「やはり自分は被害を受けた側の立場に寄り添いたい」と考え続けることで、大事なものをクリアにする

    このように自分のスタンスを整理することで、「全部ダメ」か「全部OK」かの二択ではなく、より柔軟に考えることができます。

    もしかすると、どんな選択をしても多少の後ろめたさは残るかもしれませんが、それも人間らしさなんでしょう。

    おわりに

    炎上やキャンセルカルチャーは、私たちの日常やオンラインコミュニティの中でいつでも起こりうるものだと感じます。

    SNSが盛んな今だからこそ、そうした情報とどう接し、自分の気持ちをどうまとめるかは、誰にとっても身近な問いではないでしょうか? 皆さんは日常生活の中で「好きなものを応援したい気持ち」と「許しがたい行為が引っかかる気持ち」が交差する瞬間に、どのように向き合っていますか?

    自分の心がざわつくところにこそ、新しい発見があるかもしれません。


    #YeKu #雑感 #キャンセルカルチャー #炎上 #コミュニティ  #認知的不協和 #モラルジレンマ

     
     
    「知る」ことは優しさ。不登校/双極症の経験を持つひきこもりのITエンジニアが、生きづらさを抱えるあなたへ「それでもきっと、大丈夫」のヒントを3年間、毎日発信しています。病気でも、不登校でも、ひきこもりでも。きっと、私たちそれぞれの「だいじょうぶ」を見つけられる。(毎日19時更新)

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