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優しさと我慢の境界線を引く。苦しい人間関係は、続けてもお互いに「優しく」ないから。

    「人にも自分にも、優しくありたい」

    そう願うのは、とても自然なことです。
    でも、その優しさが、あなた自身を苦しめていませんか? 

    たとえば、会うたびに嫌味を言ってくる人。
    お金の無心や、何かの勧誘をしてくる人。

    そこまでではなくても、なんだか失礼で、話すたびに心がざわざわする人……。

    そんな相手を前にした時、「あの人にも事情があったはずだ」と考える。
    それは「寛容さ」であり、素晴らしいことです。

    でも、「相手の事情」と「自分が今、つらい思いをしている事実」を混同してしまうと、辛いまま。誰かに利用されたり、攻撃されるがままになったりしてしまうこともあるんですよね。

    私たちは、どこで線引きして、境界線を引けば良いのか。それを考えることで、自分のことも、そして結局は相手のことも守ることができるんです。

    この記事はこんな人におすすめです

    • つい自分を犠牲にして、他人を優先してしまう方

    • 理不尽なことをされても「自分が我慢すればいい」と思ってしまう方

    • 「冷たい人だと思われたくない」という気持ちが強い方

    • 人間関係の適切な距離感がわからず、悩んでいる方

    「事情がある」ことと「私が傷ついている」ことは別の話

    「その人に事情がある」。

    これは本当のことです。心理学の分野では、人間の言動には必ず理由があると考えます。だから、会うたびに嫌味を言ってくる人も、やたらとキツイあの人も、何かしらの理由があってそうしています。

    でも、

    「私はその人の言動で苦しみ、傷ついている」
    「金銭的、身体的なデメリットを被っている」

    これも、まぎれもない事実です。

    だから、「まあ、事情があるんだろうから」と寛容になるために、「相手のために自分を犠牲にする」のは、少し違うのかもしれません。

    それはあなた自身に対して、あまりにも不公平です。

    だって、「ちょっと困ったあの人」と、今「困っている」あなた。
    なぜ「あの人」を優先して、あなたを犠牲にするのでしょうか。

    私たちは同じ世界に生きる、対等な人間同士です。
    相手を不当におとしめるのも、自分を不当におとしめて犠牲になるのも、「私たちは公平である」という前提に立っていません。

    あなたも、その人も、同じように尊重されるべきなんです。

    それに、「利用する」「される」「苛立たせる」「苛立つ」という関係がずっと続くと、相手を予期せぬ「加害者」にしてしまう。不公平な関係は、結局、誰のためにもならないんです。

    自分を犠牲にしないために

    では、どうすれば良いのでしょうか? 
    そんな時、相手をあえて傷つけたり、罵る必要はありません。

    でも、この人と付き合い続けると、「ずっとモヤモヤしそう」「嫌な気持ちになる」「お金を貸しても返してくれないだろうな」……。
    そんな風に、今後も続きそうな嫌なやりとりを強いられるなら。

    距離を取っていいんです。
    その人がたとえ家族や友達、恋人であっても。

    もし自然に関係を終われそうにないなら、勇気を出して伝えてみてください。

    「もう今度からは会わないようにするね」
    「ごめん、お金はもう貸せないんだ」

    相手は引き下がらないかもしれません。

    でも案外、あっさりしている場合もあります。

    あなたを利用するために側にいた人には、あなた以外にも同じような相手がたくさんいるからです。

    自分を守り、幸福を追求する権利

    私たちは、自分を守る権利があります。
    そして、自分の幸福を追求する権利があります。

    これは、日本国憲法第13条にも書かれています。

    すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

    あなたが幸せであることを、心から願ってくれる存在が必ずいます。そもそも、国の設計思想がそうなっているのです。

    そしてあなたにも、「この人には幸せでいてほしい」と願う人が、必ず一人はいるはずです。

    自分自身を守ることで、その大切な人のために使う時間や体力、お金を残しておける。

    だから私たちは、寛容でありつつも、何よりもまず自分を守る必要があります。

    「この人にも事情があるんだろう。この人のことも大切にしてあげたい。でも、私は同じくらい、自分のことも大切にする」

    これは両立できます。

    自分を守った上で、まだ差し伸べられる手があるなら、手を差し伸べる。
    何か具体的なことができても、できなくても、自分と同じくらいの幸せが、その人にも訪れますように、と願う。

    それだけでも、意味があるのだと思います。

    私自身の経験

     
     
    「知る」ことは優しさ。不登校/双極症の経験を持つひきこもりのITエンジニアが、生きづらさを抱えるあなたへ「それでもきっと、大丈夫」のヒントを3年間、毎日発信しています。病気でも、不登校でも、ひきこもりでも。きっと、私たちそれぞれの「だいじょうぶ」を見つけられる。(毎日19時更新)

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