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不登校だった私が、それでも誰かの「幸い」だと信じられるまで。

    あなたは、見えないものを信じることができますか。

    といっても、霊とか魂のお話ではありません。

    ただ、私達に見えているものが「世界で起きていることのほんの一部」なんだって分かっているのと、いないのでは、出来事の受け止め方が、変わってくるなぁと思うんです。

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    私は中学生ぐらいの頃、不登校でした。

    親は心配したのでしょうね。何度か心理士さんや、精神の専門家と引き合わせようとしてくれたことがあるんです。

    ある日アポを取ってくれたのは、どこかの大学で精神医学を専門にしている男性でした。当時まだ三十代くらいだったかな。

    家でお話するのもなんだから、どこか外でお茶でも、ということになったんです。

    (その辺の説明はややこしいので割愛しますが、ひきこもりにも色々あり、私は外に出たり人と話すのは、問題ないタイプでした)

    けれど私は当時、そういう「はたらきかけ」をまったくありがたいとは思っていなかったので、「行けたら行く」ぐらいのテンション。

    そして、実際に約束をすっぽかしました。

    遠くから来てくださっていたのに。

    それでも、私は当時まったく悪いとは思っていませんでした。

    説明に苦慮しますが、自分がどう思われるかということを客観視するのが難しい状態だったのだと思います。

    2回目のお約束の時、私は悪びれもせずに現れて挨拶し、ふたりで喫茶店に入りました。

    話の内容は、なんでもない雑談です。
    まぁ、最初は信頼関係を築かないとどうにもならないですよね。

    けれどふと話が途切れた瞬間。

    相手の方は少しうつむいて、「あの時は残念だったよ」と口にしました。

    私は黙っていました。
    答えを考えていたのでもなく、衝撃に震えていたのでもありません。

    ただただ、意味が分からなかったんです。

    当時の私は少し容姿にコンプレックスがあったので、
    「私が醜いから会ってみて残念に思ったっていうこと?」
    と、とんちんかんなことを思っていました。

    でも後になって振り返ると、そんなわけはないのです。

    前回約束をすっぽかされて待ちぼうけたことを、私が全く悪びれもせず一言も謝らないので、反応を見るために言ってみた、という感じだったのではないでしょうか。

    でも、そんなの関係ない。
    私は「行けたら行く」ぐらいに思っていた。
    以上。

    それが全てで、相手の方の気持ちを考えることができなかったんです。

    こういう風に、私はデフォルトの状態では人の気持ちに思い至るのが難しくて、ズレてしまうことがあります。

    今でも空気が読めなかったり、人の気持ちが分からなくて困ることがあります。多くの経験と絶え間ない集中で、なんとか一般的な方の最低ラインくらいには、振舞うことができるようになってきました。

    ところで、これを読んでいるあなた、お裁縫は得意ですか。

    もしあなたがとても不器用で、何かを縫うのがすごく苦手だとしたら、一針一針にものすごく神経を使うと思うんですよね。針が変なところに刺さって怪我をしないか、隣にいる人を傷つけないか、気を張り続ける。

    針仕事なんて好きじゃないし、なんでやらなきゃいけないのかも分からない、と思いながらチクチク続ける。

    今の時代、お裁縫はするもしないも自由だけれど、人間と付き合うことは、人間である限り続くんですよね。人生を通して、ずっと。

    それでも、人が好きだったんです。

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    当時、私が無礼をはたらいたあの先生には、申し訳ないことをしました。

    きっと私の社会性の無さを、心の中で診断されたでしょうね。

    社会復帰が絶望的だとまでは思われなかったかもしれませんが、困難かもな、ぐらいには思われたと思います。

    それでも私は、その後気合で高卒認定を取ったり、進学したり、就職したり……と、無理やり一般的な社会人のレールには戻れたのです。

    そういう私の未来って、その時の先生にとっては、想像もつかなかったと思うんですよ。それでも「良かったな」と喜んでくださるのではないかと思うんです。

    だから、なんでしょうね。

    誰かを支えようと手を伸ばす時、その瞬間、その手は振り払われたり、届かなかったりするかもしれません。

    その絶望の瞬間は冷然とした「結果」のように感じられるけれど、実はその働きかけが本人も思い寄らないところで実を結び、意外な影響を与えたりすることが、あるんだと思います。

    それは支える側も、支えられる側も一緒です。

    そういえば、その先生のお名前。
    一度お会いしただけなんですけど、私は文字を覚えるのが得意なので、長い時間が経っても何となく覚えていました。

    そうしたら、ひょんなことから、その方のお名前を見かけたんですね。
    学校に行けない子どもたちについての文献で。

    驚きました。

    私はこれまで、あの先生がどこの誰なのかは全く知らなくて、興味もなく、調べてみようとも思いませんでした。

    今では教授になられていて、その道の専門家として大成されたようです。

    良かったですね……!

    なんだか、パソコンを通じて再会できたような気持ちになりました。

    私と話した経験は、その場ではあの方にとって苦いものだったかもしれません。

    けれど、その後、別の子の治療や研究に役立っていたらいいな。

    そんな風に、私が知らないところで、私の存在が誰かに良い影響を与えていたら、嬉しい。もうその想像をするだけで、心がほっこりしました。

    もちろん実際にはどうか分かりません。
    でも、そう思うのは自由ですし、そう思っていいんだと思います。

    私だけじゃなくて、これを読んでくださっている方にとっても、同じです。

    自分の何気ない行動が、誰か他の人の幸せや、心や人生を豊かにしてくれたら嬉しいですよね。

    そう信じてみても、いいんですよ。

    そうしたくなければ、しなくていいし。

    ただ、そういう考え方の選択肢があるということ。
    それを知るだけで、少しだけ、生きやすくなる気がします。

    あなたは、見えないものを信じることができますか。


    #YeKu
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    #生きづらさ
    #人間関係
    #多様性を考える
    #あなたに夜明けを

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    「知る」ことは優しさ。不登校/双極症の経験を持つひきこもりのITエンジニアが、生きづらさを抱えるあなたへ「それでもきっと、大丈夫」のヒントを3年間、毎日発信しています。病気でも、不登校でも、ひきこもりでも。きっと、私たちそれぞれの「だいじょうぶ」を見つけられる。(毎日19時更新)

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