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自分の感情を「事実」だと信じ込んでいませんか? 「決めつけ」から自由になる練習

    私たちは、日々さまざまな出来事に直面します。
    そのとき、本来であれば以下のようなプロセスを辿るはずです。

    ・「事実を見る」
    ・「それを元に判断する」

    これが普通……かと思いきや、実はそうではないことがよくあります。

    「なんだかこの仕事、やる気が出ない。きっと、私がやるべき仕事じゃなかったんだ」

    「私がこんなに辛いんだから、相手は悪人だ」

    「書いた記事にたくさんの温かいコメントをいただいたけれど、なんだか恥ずかしいことを書いてしまった。書くべきじゃなかったんだ」

    つまり、

    ・「自分の感情を見る」
    ・「それを元に判断する」

    となってしまうんですよね…。

    このように、客観的な事実ではなく、自分の「感情」を根拠に物事を判断してしまうこと。

    心理学の世界では、

    「感情的決めつけ(Emotional Reasoning)」

    と呼びます。

    これは私たちの心のフィルターが偏ってしまう、「認知の歪み」の一種です。

    知っていただくことで、苦しみの正体に気づきやすくなり、より幸せな毎日を過ごしていただきたい。
    そんな思いから、このマガジンでは折に触れて解説しています。

    (過去の解説記事まとめはこちらです)

    今日は、この「感情的決めつけ」がどのように働き、私たちの心にどんな影響を与えるのか。
    一緒に見ていきましょう。

    この記事はこんな人におすすめです

    ・「自分がダメだ」と感じると、本当にダメな人間に思えてしまう方
    ・周りの言葉よりも、自分の不安や落ち込みを信じてしまう方
    ・客観的な事実と、自分の感情を分ける方法を知りたい方


    感情は「証拠」にならない

    私たちが物事の因果を確認する時、本当は、事実を根拠に判断したほうが、正確な判断になりやすいんです。

    だけどどういうわけか、自分の「感情」を根拠にしてしまう時があるんですよね。

    特に抑うつ的な時は、矛先が他人に対して……というより、自分に向いてしまうことも多いです。

    「自分が本当にみじめに感じる…。私は無能なんだ」

    こんな風に。

    けれどおさらいになりますが、認知というのは以下のように進んでいきます。

    事実がある
    ↓
    その事実を解釈する(フィルター)
    ↓
    判断する

    例えば、「プレゼンに失敗した、私は無能だ」という出来事があったとします。

    このとき「プレゼンに失敗した」というのは、まだ事実ではありません。

    「プレゼン中に噛んでしまった」というのも、まだ事実に辿り着いていないんです。

    「プレゼン中に3回ほど噛んでしまった」
    これが起きた「事実」です。

    しかも、3回噛んだことが「失敗」だというのは、あくまで自分の「判断」であって事実ではない。

    こんな風に、事実は何で、どこからが自分の解釈なのか?

    これを普段から分けるようにしていかないと、事実ではないことに引きずられて、判断を誤ってしまうことがあります。

    正直、仕事でもそういうことはありますね。

    「周囲の評価」さえ歪めてしまう罠

    客観的な事実に近いのは、周囲の評価でしょう。
    だけど、ここにも罠があります。

    「私は失敗したんだから、あの人が褒めてくれたのはおべっかだろう」

    このように、またしても事実を感情で歪めてしまうんです。

    失敗したのが事実かどうか。事実でも、「おべっかだ」はただの想像に過ぎません。

    ……心当たりありませんか?

     
     
    「知る」ことは優しさ。不登校/双極症の経験を持つひきこもりのITエンジニアが、生きづらさを抱えるあなたへ「それでもきっと、大丈夫」のヒントを3年間、毎日発信しています。病気でも、不登校でも、ひきこもりでも。きっと、私たちそれぞれの「だいじょうぶ」を見つけられる。(毎日19時更新)

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