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ふつうの椅子よりも、ずっと長く【エッセイ】【#いつもの場所に座って】

    座椅子って、ふつうの椅子より、深く残っていく気がしませんか。

    私は母子家庭で育ちました。
    大きくなってからは、ずっと「かぎっ子」です。

    家に帰っても誰もいない。
    一人で過ごすのが得意な子どもでした。

    でも、まだ小さい頃は、母がいつも家にいて。

    小さな私が学校や遊びから帰ってくると、「お帰り」と優しい声がします。

    母はいつも、部屋の隅にある座椅子に座っていました。茶色っぽい花柄の、当時の私にとってはずいぶん大きな座椅子です。膝の上にお洋服を広げ、毛糸で小さな花を作っていました。

    母は近所のお洋服屋さんから、ささやかな「内職」のお仕事をもらっていたんです。
    セーターやブラウスに、かわいいお花を一つずつ、針で縫ってつけていく。

    できあがるのは、ビーズやパール、時にスパンコールでかざられた、世界で一つだけの作品たち。

    あっという間にできあがるお洋服と、それを作り出す母の手は、魔法のようでした。

    私は、帰ってきたらすぐ、母のそばに行きます。
    座って、手元を覗き込んだり。
    「針を使っているから危ない」と何度追い払われても、しつこくまとわりついたりして。

    でも、座椅子に座っている母を見る機会は、減っていきました。
    内職ではお金が足りなくなった母が、働きに出始めたからです。

    それからは、いつもぽつんと、空っぽの座椅子があるだけ。

    でも、座ると、なんだかまだ母の「匂い」がするような気がしました。

    私は一人でよくそこに座り、ゲームをしたり、本を読んで過ごしていました。

    ひとりでいると、楽しいです。
    なんでも自由にできるから。

    でもずっとひとりでいると、誰かが私のそばにいたいと望んでくれるのか、分からなくなっていきます。

    そんな様子を見た母が、ある日
    「その椅子は、YeKuちゃんには大きすぎるよね」
    と、一生懸命にはたらいたお金で、子供用の座椅子を買ってくれました。黄色い地にクジラ柄の、かわいい座椅子です。

    買ってもらった時は、「私用の座椅子だ」と喜びました。
    でもしばらくすると、私はまた、母の座椅子に座るようになって。

    母は「せっかく買ってあげたのに、なんで?」と残念そうにしています。

    当時の私は
    「大きい方が広々できるから」
    なんて答えたのですけれど。

    本当はそこに座ると、

    「ここにいていいよ」
    「一人じゃないよ」

    と、誰かが言ってくれている気がしたから。


    座椅子はふつうの椅子よりも、やわらかい素材でできていますよね。

    だから、スポンジの一つひとつに心がぎゅっと沁み込んで、残してくれる気がする。その人が去ってからも、ずっと長く。

    それは大人になってもまだ、あたたかくて。



    #いつもの場所に座って企画への応募のために執筆しました。
    いつも、ありがとうございます。

     
     
    「知る」ことは優しさ。不登校/双極症の経験を持つひきこもりのITエンジニアが、生きづらさを抱えるあなたへ「それでもきっと、大丈夫」のヒントを3年間、毎日発信しています。病気でも、不登校でも、ひきこもりでも。きっと、私たちそれぞれの「だいじょうぶ」を見つけられる。(毎日19時更新)

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