2026年10月 第4週 礼拝説教要約
『導く人がなければ』(使徒の働き 8章25〜31節)
■ 導入 サマリヤ伝道を終えたピリポは、主の使いと御霊の導きによってエルサレムからガザへ下る荒野の道へと遣わされます。そこで彼は、律法上は救いから最も遠く見えながらも真摯に神を求めていた「エチオピヤの宦官」と出会います。主なる神のユーモアと緻密なご計画の中で行われる個人伝道の模範と、霊的な「導き手」の重要性が描かれます。
■ 1. 荒野への派遣と神のユーモア ピリポはサマリヤでの成果の後、休む間もなく炎天の荒野「ガザに下る道」へ遣わされました。人目のない時間や場所への導きに思えましたが、そこには女王の財産を管理する「高官(ガゼス)」が待っていました。神は時に「ガザ」と「ガゼス」のような言葉遊びやユーモアを交えつつ、ご自身の主権的な御手によって私たちを思いがけない宣教の場へと召し出されます。
■ 2. 救いから遠く見える者への神の備え エチオピヤの宦官は、異邦人であり社会的・身体的背景からも律法の枠組みでは救いから最も遠い存在に見えました。しかし彼は、遠方からエルサレムへ参詣し、帰り道にも熱心にイザヤ書を音読するほど、神の救いを受ける準備が整えられていたのです。神は人間の常識や境界線を越えて、最も深く救いを求めている者へと私たちを遣わされます。
■ 3. 「近寄っていっしょに行く」宣教とまことの導き手 御霊の命じに従い、ピリポは走って馬車に寄り添いました。相手の文化や立場に全人格的に「近寄っていっしょに行く」ことこそが宣教の基本姿勢です。「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」という宦官の言葉は、すべての人が真の羊飼いであるキリストと、御言葉を解き明かす導き手を必要としている現実を示しています。ピリポを馬車に招き入れた時、神の時にかなった美しい御業が成就しました。
■ 结び 主なる神は今日も私たちに「立って行きなさい」と語りかけ、誰かを主へと導く小さな羊飼いとして遣わしておられます。自分の思い込みや常識にとらわれず、御霊の促しに即座に従い、寄り添いながら福音を分かち合ってまいりましょう。