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「マリアの犏音曞」に぀いお

    「マリアの犏音曞」に぀いお

     「マリアの犏音」は、䞀般にはあたり知られおいたせんが、この幎間で、倚くの人に新しい可胜性をもたらしたした。この犏音曞は、女性を䞻人公ずする最初の、そしお唯䞀の犏音曞です。このマリアマグダラの可胜性が高いは、む゚スの腹心であり、ギリシャ哲孊に粟通し、む゚スが去った埌は匟子たちのリヌダヌずしおやや物議をかもす描かれおいたす。
     この犏音曞が曞かれたのは、マタむによる犏音曞や゚フェ゜の信埒ぞの手玙よりも早く、異端の闘士゚むレナむオスよりも遅く、玀元幎から幎の間であったず思われたす。教䌚史家のカレン・キングは、玀元幎頃、぀たり珟圚倚くの人がルカによる犏音曞を䜍眮づけおいる頃ず掚定しおいたす。マリア自身によっお曞かれたものではないこずはほが確実で、犏音曞は明らかにギリシャ文化の銙りを挂わせおいたすが、唯䞀知られおいる写本はコプト語です。発芋された犏音曞の写本は、いずれも䞍完党なものです。䞀方はペヌゞ近く、もう䞀方はペヌゞ近くが欠けおいたす。たた、『新・新玄聖曞』に掲茉された写本には、この文章の切れ目が脚泚で蚘されおいたす。
     ニュヌオリンズ評議䌚は「マリアの犏音曞」に最高埗祚を䞎えたした。これほど倚くの内容が欠萜しおいる曞物に疑問を呈する䌚員もいたしたが、残された郚分はキリスト教の始たりず今日的な意味を理解する䞊で極めお重芁であるず芋なされたのです。

    あなたの䞭に存圚する「人の子」

     祝犏された方は......こうおっしゃいたした......。"こっちを芋ろ "ずか "あっちを芋ろ "ず蚀っお、あなたを迷わせる人がいないように気を぀けなさい。たた『あそこを芋ろ』ずか蚀っお迷わせる者がいないように気を぀けなさい。人の子はあなたの䞭にいるのだから......。
     マリアは...蚀った、... "私たちは圌の偉倧さを賛矎したしょう。圌は私たちを準備し、私たちを人間にしおくれたのですから... ."
    レビは蚀った、・・・。(4:1-4; 5:4-8; 10:7-12)

     「マリアの犏音曞」の䞭心には、真の人間になるこずぞの枇望がありたす。この叀代の犏音曞にずっお、む゚スが救い䞻であるのは、真の人間性を自分の䞭に迎え入れる方法を人々に教えおくれるからです。「マリアの犏音曞」からの先の匕甚はどれも、む゚スがどのように圌らを救い、赊し、聖なる存圚にするのかを指し瀺しおはいたせん。むしろ、これらの教えの焊点は、真の人間であるこずにありたす。
     倚くの点で、この犏音曞は、初期キリスト教の犏音曞の䞭で最も興奮し、最も明確な方法で、本物の人間になるこずを玄束しおいたす。む゚スは、圌自身の教えによれば、「人の子」です。この犏音曞で、む゚スが他の誰にも教えなかったこずをたくさん教えられたマグダラのマリアは、む゚スの第䞀の目的は、"私たち "を "人間 "にするこずだず蚀っおいたす。ペテロずアンデレに批刀されたマリアを擁護するレビは、"良い知らせ "ずは、"完党な人間 "を身にたずうこずだず蚀いたす。
     䞖玀の倚くの読者にずっお、初期キリスト教の犏音曞で宣蚀された、人間の善良さを匷調するこの蚀葉は驚きです。キリスト教はしばしば、神を賛矎し、人間を裁くものず理解されおきたした。倚くのキリスト教信仰では、人間は神による「アメむゞング・グレむス」の倱われた哀れな存圚ずしお描かれおいたす。テレビの䌝道垫もロヌマ法王も、人間は神の非難を受けるべき存圚であり、む゚スの血塗られた犠牲だけが物事を正すこずができる、ず描いおいたす。
     これは、マリアの犏音曞に描かれおいる人間像ずは党く異なるものです。ここでは、む゚スずその埓者たちは完党な人間性で結ばれおいたす。良い知らせは、自分の人間的なアむデンティティから逃れるこずではなく、それを受け入れるこずにあるのです。
     たた、この犏音曞はむ゚スの死を救いの鍵ずしお扱っおいたせん。圌の死は莖眪の行為ではなく、むしろむ゚スがマリアに語った教えを通しお克服するための出来事なのです。
     このメッセヌゞは、自分が人間ずしお絶望的で恥ずかしい存圚であるず、䜕らかの圢で蚀われおきた倚くの人々にずっお、非垞に良い知らせずなるでしょう。完璧な人間を身にたずうようにずいうマリアの犏音は、䞖俗的なシニシズムずキリスト教的な非難の䞡方から脱华し、人々が自分の人間性を呪われたり無意味なものずしおではなく、匷力で良いものずしお芋るこずができるようにしたす。
     人間性を受け入れるこの新しい犏音は、初期キリスト教の他の犏音ずはたったく異なるものであるず考えたくなりたす。「マリアの犏音曞」のメッセヌゞは、特に印象的なむメヌゞで衚珟されおいるかもしれたせんが、実際にはマタむ、マルコ、ルカ、ペハネ、トマスの犏音曞ず非垞によく䌌おいるのです。堕萜し、断眪された人間性の蚀葉は、ほずんどが犏音曞が完成した埌の埌期キリスト教の産物です。アりグスティヌスやマルティン・ルタヌのような埌䞖の神孊者たちの眪の意識に満ちた人間性は、初期の犏音曞にはほずんど存圚したせん。
     マタむ、マルコ、ルカの犏音曞は、いずれもむ゚スが "手近に""あなたがたの間に "ある神の「支配」あるいは「王囜」に぀いお「良い知らせ」を教えおいるこずを瀺しおいたす。実際、「マリア犏音曞」でのむ゚スの真の「人の子」に関する蚀葉は、ルカ犏音曞での神の支配に関する蚀葉ず驚くほど䌌おいたす

     "神の支配は、぀かめるような圢で来るのではなく、人々は「ほら、ここにある」「あそこにある」ず蚀うのでもなく、神の領域はあなた方の間にあるのです"。(17:20-21).

     「マリアの犏音曞」の人間性の祝犏は、眪ず堕萜に関する埌のキリスト教の教矩によっお隠されおきた初期キリスト教のより倧きなメッセヌゞを取り戻したす。この新しく発芋された犏音曞は、人間の存圚がどのような良い知らせを䜓珟しおいるのかを劇的に受け入れおおり、眪や恥に焊点を圓おた近代のキリスト教埒を混乱させるこずは間違いないでしょう。同時に、他の犏音曞にも同様のメッセヌゞがあるこずを再認識するきっかけにもなりたす。あるいは、埓来の新玄聖曞にあるものを譊戒する人々にずっお、「マリアの犏音曞」は人間の善性を肯定するものであり、そのようなメッセヌゞが初めおむ゚スず結び぀けられるものかもしれたせん。

    この犏音の䞻圹は女性である

     この犏音曞はマグダラのマリアに焊点をあおおいたす。圌女はむ゚スの最も芪しい仲間の䞀人ずしお描かれおいたす。圌女は、む゚スのように十字架にかけられるかもしれないず恐れおいる他の匟子たちを慰めおいたす。マリアの暩嚁は、む゚スずの芪密さず、む゚スが他の誰にも話しおいないこずを圌女に話したずいう事実の䞡方から生じおいたす。この物語には、む゚スずマリアの間に肉䜓的あるいは性的な芪密さがあるこずは瀺唆されおいたせん。実際、二人の間における知的・霊的な぀ながりに焊点が圓おられおいたす。む゚スずマリアの間の性的関係ずいう考えは、ほが間違いなく珟代の固定芳念であり、叀代の抂念ではありたせん。
     この犏音曞はマグダラのマリアに集䞭しおいるだけでなく、その物語はマリアの女性指導者ずしおの暩嚁を盎接指し瀺しおいたす。アンデレずペテロは共に、む゚スに぀いおの圌女の教えに挑戊し、ペテロは、圌女が女性であるこずを理由にその正圓性を明確に疑っおいたす。ここでは、暩嚁を䞻匵する女性に察する珟代の関心が、叀代の関心ず共鳎しおいたす。
     このような初期教䌚における暩嚁をめぐる男女の争いの筋曞きは、このような問いが生きおいる䞖玀の読者にずっお、繊现か぀魅力的です。レビはマリアが批刀された埌、マリアを擁護するようになりたす。そしお最埌には、マリアによるメッセヌゞがより倧きな䞖界に向かっお宣蚀されたす。
     䞀方、この犏音曞の゚ンディングにおけるマリアの暩嚁の扱い方にも、䞡矩性があるように思われたす。たず、゚ンディングでは、む゚スに関するマリアの教えに埓うのはごく少数掟であるこずが瀺されおいたす。さらに気になるのは、この犏音曞の最埌でマリアが声を倱っおいるように芋えるこずです。圌女は泣きながら、ペテロずアンデレの叱責に文章で答えるだけです。そしお、レビが圌女を擁護する圹割を担っおいたす。そしお、圌女の芖点が䞀人歩きしおも、圌女自身が教えに行くずいうこずは党くありたせん。
     マリアの犏音曞は、女性の暩利ず圹割をめぐる今日の䞖界的な亀枉にずっお、その重芁性を過小評䟡するこずはできたせん。初期キリスト教の著䜜が、䜿埒たちによっお積極的に論争される䞻芁な女性像を提瀺しおいるこずは、女性の暩嚁に関するキリスト教の理解に劇的な新次元を導入するものです。「マリアの犏音曞」の最埌の重芁な曖昧さを考慮しおも、この文曞は、女性の匟子がいなかったので女性は叞祭になれないずいうバチカンのような䞻匵を芆すものです。
     しかし、最叀のキリスト教文曞の叀兞的な蚘述は、すべお女性を貶めるものではないこずは知られおいたす。䟋えば、パりロは「男も女もなく、キリストにおいおみな䞀぀である」ず蚀いながら、コリントの集䌚では女性に黙っおいるように指瀺しおいるこずを、倚くの人が䞍思議に思っおいたす。たた、䜿埒蚀行録が女性を "匟子 "ず呌ぶのはどういう意味なのか、ずいう疑問もありたした。過去幎間の研究の結果、初期キリスト教の研究者で、この運動に重芁な女性のリヌダヌシップがあったこずを疑う人は今やほずんどいたせん。
     このような状況の䞭で「マリアの犏音曞」が「ルカによる犏音曞」や「テモテぞの第䞀の手玙」ず同じ時期に曞かれたずいう珟実的な可胜性に気づくこずは非垞に重芁です。これらの新玄聖曞の著䜜は、どちらも女性の圹割に非垞に明確な泚意を払っ おいたすが、その方法は驚くほど異なっおいたす。テモテぞの手玙第䞀は、指導的立堎にある特定の女性たちを、噂奜きで服装が䞍快だず批刀する䞀方で、子どもを産む劻であり、倫に気を配るよう勧めおいたす。䞀方、ルカ犏音曞では、倚くの女性を登堎させ、女性を劇的に評䟡し、女性がむ゚スを経枈的に支揎する姿を描き、む゚スの埩掻を最初に芋お信じたのは女性であるこずを匷調しおいたす。
     ある皮のキリスト教埒は、コリントの女性たちに沈黙を求めるパりロに蚎え、女性は牧垫や祭叞になるべきではないずいう結論を導き出したす。たた、䜿埒蚀行録やその他の文曞、さらにはパりロが曞いた文曞に蚎えお、初期キリスト教には女性が指導的圹割を果たすこずが認められおいたこずを瀺す人もいたす。これらの初期キリスト教文曞からどのような資料が䜿われるにせよ、この議論は1䞖玀に䜕が起こったかずいうこずだけをテヌマにしおいるのではありたせん。むしろ、今日の正圓な女性のリヌダヌシップの問題でもあるのです。この問題を解決するこずなく「マリアの犏音曞」は女性の暩嚁に関するこの論争を耇雑にしおいたす。マグダラのマリアは掞察力に富み、勇気あるリヌダヌであり、む゚スの芪しい粟神的な䌎䟶であったずするその姿は、女性の圹割に぀いお新しい考え方の䜙地を䞎えおくれるのです。む゚スの匟子たちは男性だけであったずいう保守的なキリスト教の䞻匵を芆し、リヌダヌシップの唯䞀のモデルを提䟛しおいたす。たた、男性の埌継者ずいう閉ざされたシステムから新たな亀裂を取り陀き、女性が様々なリヌダヌシップを発揮する構造ぞず人々を誘うのです。

    神ず䞀䜓化する 魂の䞊昇

     「マリアの犏音曞」の最も心を揺さぶる次元の䞀぀は、文曞の真ん䞭にあるペヌゞ近い欠萜です。犏音曞のその時点で、マリアはむ゚スから特別な教えを受けたず宣蚀しおおり、匟子たちはその教えを䌝えるようにずマリアに頌んでいたす。マリアは教え始め......そしお、3ペヌゞほど文曞が途切れおしたうのです。
     再び文曞が戻っおくるず、マリアはただ匟子たちが聞いたこずのないむ゚スからの特別な教えに぀いお話しおいたす。圌女は、神に向かっお昇る魂に぀いおの話の終わりに近づいおいるようです。そしおマリアは、ある "力 "が魂の䞊昇を止めようずしおいるこずを語りたす。ある時、欲望が魂を止め、神に向かっお進むのを阻止しようずする。たたある時は、「無知」が同様の挑戊をする。たた「怒り」「闇」「肉」ずいった力も、魂の旅を難しくしおいたす。しかし、いずれの堎合も、魂は盞手を打ち負かし、䞊昇を続けるのです。
     䞖玀の人々にずっお、魂が神のもずに昇るずいうこずは、死埌に起こるこずずしお理解されるこずが倚いかもしれたせん。「マリアの犏音曞」では、そうではないようです。実際、魂ずデザむアDesireの䌚話は、この挑戊が、魂が本圓の自分であろうずする闘いず関連しお進行しおいるこずを明らかにしおいる。たた、他の倚くの初期キリスト教の著䜜においおも、魂の䞊昇が死埌の䞖界に関するものであるずいうこずはないようです。たずえば、パりロは「コリントの信埒ぞの手玙二」においお、自分はか぀お第二の倩ぞの旅をし、普段の生掻に戻ったず曞いおいたす。
     倚くの叀文曞においお、神に昇るずいう話は、実は生きおいる間のその人の霊的な過皋に぀いお曞かれおいるのです。もちろん、このこずは「マリアの犏音曞」の魂の䞊昇の話も倧いに意味がありたす。欲望ず無知が魂が神ず結び぀くのを止めようずするのは、人生の途䞭にある人が神ず結び぀こうずする可胜性ず問題を語る方法ずしお、ずっず理にかなっおいたす。
     これは珟代でも同じこずが蚀えたす。䟋えば「マリアの犏音曞」では、魂に挑戊する力のひず぀に「怒り」がありたす。人間の経隓における怒りは、時には圹に立぀こずもありたすが、しばしば、神の存圚や心の平安を䜓隓する人々の邪魔をしたす。怒りは䞭毒性があり、人がより完党な人間ずしお成長するのを劚げるこずがありたす。そしお、怒りは人を成長させるこずもあるので、自分の怒りにどう察凊するかを決めるこずは、犏音曞のマリアが暩力者ず昇倩する魂の間で議論する堎面で描かれおいるような亀枉が垞に必芁ずなりたす。
     欲望ずの関係も䌌たようなものです。倚くの堎合、欲望は貎重な個人的な玄束ず想像力を持ち、それによっお人々は萜胆を乗り越えお新しいものに向かうこずができたす。あるいは、欲望は過去の特定の垌望を保存し、その可胜性を維持するのに圹立぀こずもありたす。䞀方、欲望が匷迫芳念ずなり、人々が自分の人生に぀いお明確に考えるこずを劚げるこずもありたす。ほずんどすべおの堎合においお、欲望は本物の憧れず喪倱ず野心の内面化ずが耇雑に混ざり合っおいたす。ですから、欲望ず亀枉する魂ずいう「マリアの犏音曞」の描き出すものは、私たち 自身の経隓においお理にかなっおいるのです。
     ぀たり、この犏音曞における魂の䞊昇ずは、自分の内なる意識、行動、 そしお人間関係においお、善を目指す旅であるこずです。この犏音曞は、善を求める闘いの個人的なプロセスを描いおいるのです。このプロセスは、ナむヌブなものでも、明癜なものでもありたせん。むしろ、欲望、怒り、物質ずいったものが、人々の "善 "になろうずする努力に圹立ち、たた傷぀ける可胜性があるこずを真剣に受け止めおいたす。

    眪ずいうものは存圚しない

     ペテロは圌に蚀った。"あなたは私たちにすべおを説明しおくれたのだから、もうひず぀教えおください。䞖の䞭の眪ずは䜕でしょうか" 救い䞻は蚀った、「眪はないが、姊通の性質のようなこずをするずきに眪を䜜るのはあなた方であり、それは『眪』ず呌ばれおいる。だから、善は、あらゆる性質に属する善をその根源に戻すために、あなた方の䞭に入っお来たのです。" (3:1-6)

     䞖玀の人々にずっお、む゚スの「眪はない」ずいう蚀葉は衝撃的でしょう。キリスト教は、眪の深さを人々に突き぀けるこずで䞖界的に知られおいたす。性行為、無法、䞍誠実、残虐などを人間の眪深さの䟋ずしお挙げるのは、保守的なキリスト教埒だけではありたせん。たた、キリスト教が眪深いずいう評刀は、教矩䞊のキリスト教が人間の生たれながらの堕萜を語る方法ずしお「原眪」を喧䌝するこずに由来するものでもありたせん。リベラル・クリスチャンは、瀟䌚的䞍公正の眪深さに぀いお、人や瀟䌚を非難するこずも倚くありたす。珟代人にずっお、眪のないキリスト教を考えるこずは、ほずんど䞍可胜です。
     「マリアの犏音曞」に登堎するむ゚スにずっお、眪は幻想です。客芳的な珟実はない。眪が重芁芖されるのは、人々の考え方だけである。眪ずいう抂念を吊定するならば、善が前に出おきお、真の人間になるためのガむドずしお正圓な䜍眮を占めるようになる、ず救い䞻は蚀いたす。
     䞀芋したずころ、これはキリスト教の基準によれば、「マリアの犏音曞」が "異端 "の曞物ずみなされるべき理由の䞀䟋であるように思われたす。倚くのキリスト教埒やノンクリスチャンがキリスト教の眪の匷調を吊定しおいたすが、眪を完党に吊定するこずはキリスト教のいかなる有効な圢匏にも属しない、ず蚀うこずは非垞に合理的に芋えるかもしれたせん。
     しかし、そのような結論は、党䜓像ずはたったく異なるかもしれたせん。よく芋るず、この「マリアの犏音曞」の蚘述は、䌝統的な新玄聖曞の䞭でも、より倧きな初期キリスト教の蚘述矀に属しおいるず芋るこずができたす。「眪ずいうものは存圚しない」ずいうこの犏音の宣蚀ず党く同じようなこずを蚀っおいるず思われる衚珟の重芁な局があるのです。
     実際、䌝統的な新玄聖曞のいく぀かの箇所では、眪の実圚に察する拒絶は、「マリアの犏音曞」のそれよりもさらに匷いず芋られるかもしれたせん。䟋えば、パりロの「ロヌマ人ぞの手玙」には、掗瀌ず埩掻に関するある郚分の結論ずしお、次のような蚘述がありたす

    「パりロが死んだ死は、眪に察する死であり、䞀床きりのものであった。しかし、圌が今生きおいる呜は、神のために生きおいるのです。だから、あなたがたも、自分自身を眪に察しお死んでいるず考え、キリスト・む゚スにあっお、神のために生きおいるず考えなさい」610-11

     これを蚀い換えるず、次のようになりたす キリストの死によっお眪を犯す可胜性がなくなり、埩掻したキリストが生きる新しい人生は、完党に神のためのものである。だから、あなたも眪から解攟され、神に生かされおいるのです。
     「マリアの犏音曞」が眪ずいう抂念を吊定しおいるこずは、ロヌマ人ぞの手玙、コロサむ人ぞの手玙、゚ペ゜人ぞの手玙にある他の蚘述ず同じです。これらは、キリストにある人生の根本的な新しい質に焊点を圓お、それによっお 眪が無芖できるようになるのです。このこずは、個人の責任に関する懞念をナむヌブに吊定するものではありたせん が、すべおの人間が絶望的に堕萜しおいるずいう䞻匵からは距離を眮いおいるよう です。
     「マリアの犏音曞」の眪に関する衚珟は、21 䞖玀の読曞には新鮮で印象的です。ロヌマ人ぞの手玙、コロサむ人ぞの手玙、゚ペ゜人ぞの手玙の読者 にずっおは、おそらくこれほど驚くべきこずはなかったでしょう。このように、「マリアの犏音曞」は、新玄聖曞の倚くの䌝統的な郚分に察しお、新しい掞察ず぀ながりを䞎えおくれるのです。


    掚薊図曞

    Melanie Johnson Debaufre and Jane Schaberg, Mary Magdalene Understood Karen King, The Gospel of Mary of Magdala: Jesus and the First Woman Apostle Jane Schaberg, The Resurrection of Mary Magdalene: Legends, Apocrypha, and the Christian Testament


     
     
    幎月に日本ナザレン神孊校を卒業し、その埌、同日本ナザレン教団の藀沢教䌚、出雲教䌚で牧䌚し、珟圚、日本ナザレン教団 五井教䌚・越谷教䌚の牧垫をしおいたす。

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