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『春を待てずに』──恋人へ

    ──空が灰になるのを遠くから見ていた。

    「雪だね。」

    あの朝、何の気なしに呟いた一言にあなたがひどく噛みついた。

    僕は全然わからなくて、「ごめんね」とだけ伝えたけれど目も合わないまま。

    それが去年の二月のことでした。

    あの後、僕は透明なボウルに卵を一つ割り入れて、バニラエッセンスを五滴も垂らしてしまって。

    「あ……」

    言わなきゃいいのに、「入れ過ぎた」って。
    言ったんですよ。
    覚えていますか?

    あれは、叱ってほしかったのかもしれません。
    「もう、何やってるの?」って。

    だけどあなたは窓の外を見つめたまま。
    あまりに静かだったので、心配になったのです。

    そしたら、あなたは僕のカーディガンを抱きしめて眠っていました。

    窓の外の雪灯に照らされた寝顔がいとおしくて。
    しばらく見つめていたのです。
    時計の針の音が妙に大きく聴こえるほどに静かで。
    この世界にあなたと僕の二人だけ、取り残されたような気持ちになっていました。

    どれ程の時間が過ぎたでしょう。
    あなたの睫毛がゆっくりと動きました。

    一瞬、ほんの一瞬でした。

    片面焦げたホットケーキ。
    黒くなったところを削りながら食べましたね。

    「もう、何やってるの?」

    気づけば二人で笑っていました。
    あれからしばらく部屋は焦げ臭くて。

    僕達は開け放った窓の横、布団をかぶり「寒い、寒い」と身を寄せ合っていた。

    「私、雪が好きなの。」
    あなたは照れくさそうに囁きましたね。
    僕はもう、それ以上何も……

    それから、八月の高原。
    そうです、二日目に僕が熱を出した……

    土と緑でひんやりとした庭で、あなたは僕の手を引いて、花の名を教えてくれました。

    僕はルピナスを指さして、
    「大きなヒアシンスだね」と言いました。
    あなたは振り返り、
    「もう、何言ってるの?」って。
    ケラケラと、木漏れ日みたいに笑っていたっけ。

    ふいに風が吹き、あなたは帽子をおさえていた。
    白樺の木陰、そこに言葉はいりませんでした。
    その頬に触れたとき、もう一度風が吹いたことを覚えています。
    そして次に僕が見たあなたは帽子をかぶっていなかった。

    二人で必死に探しましたね。
    どこにあったでしょう?
    あ、僕はちゃんと、覚えていますよ。

    十月の中頃には、二人でヒアシンスの球根を植えましたね。

    僕があんまり深くに埋めたものだから、あなたは
    「もう。」
    とだけ言って、浅いところに植え直してくれました。

    「これなら咲くよ。」

    そう微笑んで、土のついたままの指先を口元でこすり合わせて。
    だから、その手を包み込んだのです。
    だけど……

    「冷たい!」

    僕の手の方がよっぽど冷たくて。
    それでも二人、そのままで。
    額を合わせて笑いました。

    ……泣いているのですか?
    ごめんなさい。
    僕は今、君のそばにいるはずなのですが。

    見えないのです。

    聴こえないのです。

    触れられないのです。

    だから、これは全て僕の思い出話。

    ──空は今、何色ですか?

    ↑
    序章という名の前編。

    ↑
    夜中のファミレスでスリーピースバンドが爆裂に話し合う。

    ↑
    こっちは遺書書きまくるのに全然死ぬ気配ない人の話。

    ↑
    ゆきお様・作
    ゆきお様作品の主人公は語彙も切返し力もピカイチ。
    ワードセンスがプリズム光線の如く輝きます。

     
     
    ラブラドールの匂いで肺を満たしたいアラウンドサーティ。 9歳児に親育てされている本末転倒人間。 文字に嫌われた人間が、しつこく文字を掻き集める滑稽な姿を東京の片隅からお送りしております。 ※連載小説も基本的には一話完結として読める構成を目指しているので、おじけづくことなかれ。

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