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『紫石英の遺言』第三幕「雪の下のアネモネ」

    ──あなたの中の猟奇性を炙り出すのに相応しいのは僕だけだ。

    雪の窓辺は白を白く曇らせ始めている。

    ──まだ認めたくないの?
    捻ひねった首が戻らないよ。

    真珠が散らばる枠の中の、穢らわしい笑顔を座らせる。

    「お久しぶりです、マルグリット。」

    少し伏目がちに囁く。

    「お元気でしたか、アルマン。」

    ああ、重い。
    睫毛が重い。

    あんなにたくさん眠ったのに……
    大きなあくびを二回する。

    「なんてはしたない!」

    ピシャリと音はしたけれど、僕はケラケラと笑ってた。

    だってね、マルグリットが窓に指で落書きしたんだ。
    僕の名を。
    そしたらさ、お外の椿の白いのがうれしそうに顔を上げたんだ。
    なんでだろうね。
    マルグリットはすごくはしゃいで、僕の手をとって叫んだんだ。

    「遊びましょ」って。

    僕はびっくりして、黙っちゃった。
    でもさ、気づいた時にはもう止まれなかったんだ。
    白い木造りのドアを押し開けて、僕たちは裸足のまま、ふわふわの白い世界に飛び出した。

    彼女はさっきの白い椿を大事そうにその華奢な指で包んで僕の手に乗せてくれた。

    だから、それを彼女の真っ黒な髪に挿したんだ。
    何度も、何度も。
    滑り落ちるたびに、何度も。

    しばらくして、あの大窓が開くのが見えた。

    「アルマン!」

    彼女はとびっきりの笑顔で大きく手を振った。
    その度にフリルから硝子の破片みたいに光が弾けて、僕はそれをぼんやり眺めてた。
    眠くて、眠くて仕方なかったんだ。

    すっかり白は白に覆われて、視界ゼロ。
    グラスの底が暴れているみたいだね、大丈夫?

    指先がかろうじて出るくらいのシャツのまま、腕を伸ばす。

    目を擦れば、右の人差し指の関節が煌めき始める。

    そろそろかな?

    「お兄様は、立派ですね。」
    「そうなんだ。お勉強を教えてくれるしね。」
    「お優しいのですね。」
    「うん、いけないことしちゃったら、ちゃんと叱ってくれるんだ。だから僕ね、お兄ちゃんのこと……」

    ──La vita è nel tripudio……

    どこからやり直そうか?

    あの日の窓は横倒しでもう何も見えない。

    ああ……
    甘ったるいんだよ、シャルドネが。

    ──お兄ちゃん、覚えていますか?
    いつかのあなたのお誕生日の朝のこと。

    広いお庭の隅っこで、白いアネモネ咲いたから、僕はあなたにあげようと、靴も忘れて飛び出しました。
    くたびれた羊のぬいぐるみの手を引いて。

    背中がぽかぽかしてすごく気持ちのいい日。

    手だけでは持ちきれなくなったお花を抱えた時、急に目の前が暗くなったから、慌ててお空を見上げたよ。

    そしたらね、お空はちっとも変わってなくて。
    綿菓子みたいな雲がふわふわたくさん流れてた。

    僕はお腹がぺしゃんこになった羊と、たくさんのお花に囲まれて、しばらくお空を眺めてた。

    「きれいだね」

    笑ってたんだ。

    だって、僕の泥だらけの足を見てお兄ちゃん、言ったでしょう?

    「悪い子だ」って。
    でも、春風みたいな指先で髪を撫でてくれたよね。

    大好きだったんだ、あなたのことが。

    ──Quando non s’ami ancora.

    今、空が見えない。

    大窓から差し込む光の中で溺れている。
    白銀は容赦なく肺胞を穢していく。

    ──お兄ちゃん、もうひとつ、いいですか?
    あれは僕の誕生日の夜のことでした。

    窓の外では月灯の下、雪を抱いた白い椿が眠っています。

    ただただ、あなたの言葉を信じていた。

    ホイップクリームの泡の弾ける感覚も、いちごの種の割れる音も、こんなにも鮮やかに思い出せるのに味だけがわからない……

    「いい子だ」
    そう言って僕の前髪を掴んで押さえつけました。

    シャルドネに灼かれた咽喉といつまで経っても乾かない舌先の苦み。
    大人になろうとする重い煙で膨張した肺。

    ばらばらになっていく身体は、初めて涙というものを知りました。

    唇の端を、サイズの合わないシャツで拭う。

    ──Nol dite a chi l’ignora……

    教えて、お兄ちゃん。
    あの夜の僕は……


    俺は窓に背を向け、いつもの詩集をひっくり返す。

    ぬるいシャルドネを飲み干して、揺らぎ始めた世界の中で囁いた。

    ──お兄ちゃん、これでおあいこだね。
    あの日、奪われた白がたった今、帰ってきたよ。

    「お兄様は随分と朗らかな季節にお生まれのようで。」
    アネモネのお花にかえて、せめてもの足掻きです。

    ──ねえ、お兄ちゃん。
    僕はそんなに悪い子ですか?

    いいや、違うな。
    俺は二重線を引く。

    ──でしたか。

    サヨナラ、僕のお兄ちゃん。

    靴も履かずに飛び出した。
    左手に靴、右手にいつもの詩集を連れて。
    ポケットの中、ドラジェが瓶を叩いている。

    奪ったのは白なのに、滲むのは赤だった。

    雪は相も変わらず無口だ。

    ……は、いい子だよ。

    「ご冗談を」

    鼻で笑い、肺で泣いた。

    ──È il mio destin così……

    それはかろうじて残る自尊心の悲鳴、もしくは咆哮。

    窓辺の椿はまだ白いまま。
    雪を・・抱いて眠っていた。

    ↑
    全てはここから。

    ↑
    白は何種類あるんだっけ? 

    ↑
    雪と言えば!

    ↑
    ゆきお様・作
    今回の嫌な重みをすっきりさせてくれるレモンシャーベット的ポジションのオアシスがここにある。
    救いを求める方はこちらへ。

     
     
    ラブラドールの匂いで肺を満たしたいアラウンドサーティ。 9歳児に親育てされている本末転倒人間。 文字に嫌われた人間が、しつこく文字を掻き集める滑稽な姿を東京の片隅からお送りしております。 ※連載小説も基本的には一話完結として読める構成を目指しているので、おじけづくことなかれ。

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