
『殴り殴られ詩人酒場』ep.99「水脈を待たれよ」
空は思い切り悪く、青と白との間で愚図っているようであった。
灰を掃いた後のごとき筋雲が、彼方にも此方にもたなびいて、東なんぞは黝く、西なんぞは蒼白い。
どこぞに月でも、と空を仰ぎ見てまだ僅かに午をすぎた頃だと知る。
停留所までの道すがら、花の咲くのをいくつも見て、「冬には花も華もない」と嘆いた人を思い出していた。
曇り空に臘梅の黄が透ける。
「持ってくかい?」
垣根の奥、その家の旦那が笑っている。
「好きな枝、手折ってさ。いいんだよ、どれだって。」
気早く、花を終えた枝もあり、咲きかけの躊躇いがちな蕾もあり、固く閉じた紅色もある。
「結構だよ。また見に来たいから。」
「そうかい? 遠慮しなくたっていいんだよ。」
歩き出した時、花の周りだけ空が青く見えたように思ったが、どうにもそれは俺の思い過ごしだったようだ。
学生帽子をとって、頭を下げた。
帽子をかぶり直すのには毎度難儀する。
黒の山高帽をかぶった青年が俺の隣にぴたりとつけて言った。
「君、あそこの学生かい。ならね、四月にまた会おう。」
何言ってんだ、おめェになんて会ってたまるもんか。
喉元まで出かかったのを押し込めて俺は返した。
「僕はね、化学が好きでね。」
「おや、そうかい。で、君。学校には……?」
「ちょっと、風邪気味で。」
とってつけたようなしつこい咳を演って、そいつを見送った。
しばらく本当に喉がおかしくなって唯の一人、くっくと笑った。
葡萄色をした電車を三本見送った。
「おめェ、どうした。先刻っからそんなとこ突っ立って。」
巡査が、あくび混じりに俺の肩を叩く。
「待ち人来ず、だ。」
「ハハッ。そりゃあ、いい。人の不幸は蜜の味、ってな。」
奴の言葉をそっくりそのまま借りれば、ここ最近は、どういうわけだか街も人も行儀が良くなくって、こいつのみならず、巡査そのものが商売あがったりだそうだ。
悪事を喰らって、飯を食う、哀しい生業だ、と彼は鼻先を弾いて笑う。
「しっかしまあ、今日は喰らうもんがなくて。飢えちまうよ。まあ、俺なんぞが飢えて飢えて、朽ちちまうような世になりゃァ、それに越したこたァないんだがな……」
巡査の目は、どこか、この世ならざる処を眺めみているようで、俺は途端に寒くなった。
外套の襟で頬を隠した。
四本目の電車が来る頃になって、巡査は腰の佩刀をがらがら鳴らしつつ、手の甲で「グッド・バイ」と気障なことをしやがった。
俺は無視して、学生帽子の徽章を撫でた。
「朔坊?」
待ち人、来たれり。
俺は交番に向かって敬礼した。
巡査は相変わらず手持ち無沙汰らしく、怠げに最敬礼なぞして見せた。
自分でやっておいて、笑っているらしい。
白い筒状の建物の壁に凭れかかっている。
「あら、学校帰り?」
「まあ……そんなようなもんだ。」
若干の後ろめたさと、妙に浮き浮きとした思いとに踊らされる。
「なあ、みおちゃん。腹、減ってないかい?」
「そんなに。」
俺の眼前にかざした指先は白い粉にまみれている。
「相変わらずだねェ。」
「だども、外ではやらねェど。」
「お。もうお澄ましやめんのかい?」
「坊ちゃん相手に色気づくだけ体力の無駄ですから。」
「おや。そんなこと言って……」
打ち解けるのに時間はいらない。
まともに顔を突き合わすのは六年ぶりだ。
よく覚えている。
俺の潰した無花果の実を、みおちゃんは「もったいねェ」と泣きながら食っていた。
わざとじゃあなかったんだ。
そんなつもりじゃあなかったんだ。
今更言ったところで彼女は、そんなことあったっけか、忘れちまったよ、そう嘘をつくに決まっている。
舗装されていない道が珍しいのか、みおちゃんは土を蹴飛ばし、にこにこしている。
びょう、と冷えた風が吹いて俺は足趾を縮こめた。
「茶屋、行かねェかい。ごちそうするよ。」
みおちゃんは不服そうに腹をさする。
「何です、坊ちゃん。さては見られちゃまずいもんでもお部屋に?」
「いんや? 見られたって構わねェけど。みおちゃんこそ見られたくねェもんがあんだろうよ。」
「まァ。お下品。」
俺は風呂敷包みを担ぐ。
時折吹く砂混じりの風に髪が揺れた。
「ちょっとばかし歩くけど……」
「腹ごなしにはいいね。」
「言ってるそばから食うんでないよ。芋を。」
黝い空を背に歩けば、行先は蒼白い。
筋雲を透かし降り下した陽が、他所の垣根を温めて葉から甘い匂いが湧き立った。
「まだかい?」
「まだだ。」
一軒の茶屋を素通りし、先へ先へと歩みゆく。
そぞろ歩きに見えたのか、みおちゃんは不審がって幾度も俺の顔を覗き見た。
「大丈夫だ。」
信用ならぬ言葉を吐いて、俺は自分で自分を笑っている。
背中に視線を感じたが、気付かぬふりで土を蹴り続けた。
↑
大正時代。
聴いてくれ。
今日、予定詰まりすぎてぶっ倒れそう。
四の五の言っている場合ではないので適当に記事貼り付けておく。
↑
ゆきお様・解説
水脈の意味、そして。
食べること、巡査の意味まで。