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時間のダイバーシティ: 失われた日本の可能性

    異様な高熱が引かずに身体まで震え出し、入院せざるを得なくなってしまった(現在は退院)。そのため連休はじめ、公私の予定を入れていた方にはキャンセルの連続で、大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。

    驚いたのは、PCRがコロナもインフルも陰性だったことで、医師もひたすら首をひねっていた。患者として苦しいのは熱であって、どのウイルスかは二の次でいいのだが、ふり返るとけっこう深い論点が、ここにある気がする。

    コロナが「陽性/陰性」という判定が、本人の自覚症状より優先された時代が遠くない昔にあった。なんでそんなヘンなことになったかと言えば、検査して "一瞬" で「答え」を出してほしい。

    ――危機と不安のなかで、そんな時間感覚が、社会を支配したからだろう。

    2015年からの前回の(メンタルでの)入院の話をする際、ぼくが用いる概念に「時間のダイバーシティ」がある。それぞれの人が持つ時間感覚にも多様性を認めないかぎり、その構想はニセモノにしかならないという趣旨だ。

    たとえば「空飛ぶ高速車椅子」が開発され、脚に障害がある人の方がむしろ移動が "便利" になったとしよう。それ自体は、いいことだ。でも「なんで、今後は配慮すんのやめますね」と言われたら、なんか変じゃないだろうか。

    これがメンタルになると、もっとグロテスクだ。1錠飲むだけで超ハイテンションになる「スーパー抗うつ薬」ができたから、それ飲んで働けば休職とかしないでいいでしょ、なディストピアに、住みたがる人は誰もいまい。

    まちがえて覚えている人が多いが、コロナ禍でも2020年の3月までは、そうした多様性がまだ息づいていた。当時の記録を調べると、ぼくは26日と31日に対面で取材を受けており、「Zoomにしますか?」なんて声はなかった。

    とくに重要なのは、片方は共同通信の取材で、この時点でもなお「五輪延期をどう捉えるか?」がテーマだった。さすがに4月の掲載時には、タイトルもコロナに替わったが(*)、当時はメディアもそんな温度感だったのだ。

    (*)「危機と生きる 新型ウイルス考(新型コロナ考)」で、登場順に大野更紗・東浩紀・與那覇・将基面貴巳・椹木野衣・磯野真穂の各氏。

    興味深いことに、大野氏を除く全員が、この時点では対策よりもその副作用の方に重きを置いてコメントしている。

    なので、いまは単著に収めているその時の寄稿(聞き書き)で、ぼくはこんな風に喋っている。

    「4年に1回」のペースにあらゆる国が合わせる五輪は、工場労働のような「同一の時間軸への同調」をテコにエネルギーを調達する近代社会の象徴です。でも、それはいまも有効ですか。五輪のスケジュールに合わせて投資を回収するはずだった産業は、大ダメージを受けていますよ。

    逆にコロナショックの教訓は、時間軸の「分散化」こそが感染防止に役立つこと。時差通勤やテレワークが典型ですよね。多様な時間軸が併存する社会の方が、むしろ危機に対して強いんです。

    五輪とセットのパラリンピックは、本来1位を争うものではないと思います。障害の程度が違うのだから、それぞれの基準で全員がたたえられていい。そうした多様性を尊ぶ感覚を養う期間として、開催を待つ1年間を捉えてはどうでしょうか。

    「同調から多様な時間軸へ」
    2020.4.3配信、155頁
    (強調を付与)

    言うまでもなく、ここにあるのがホンモノの思想だった。ホンモノを採用していれば、各国が感染対策に狂奔したコロナ禍の時期、日本が "世界の中心で咲き誇れた" ことは、まちがいない。

    前にも紹介したが、たとえば英国の一流紙は昨年(2025.7.28)の時点で、当時をこう総括する。

    通常はリベラルなスウェーデンは、集団免疫の獲得を狙って国民の行動を規制しなかった。誰もがそれを愚かな行為だと非難したが、同国の死亡率は欧州で最も低い水準となった。だがこの事実が注目を集めたことはない。

    新型コロナ禍の経験を無視して、これほど多くの若い有権者がなぜ右傾化しているのか理由を調べるのは時間の無駄だ。
     (中 略)
    リベラル派は「科学に従え」と主張したが、科学への信仰と混同していた。科学とは試行錯誤の過程であり、異論に耳を傾ける余地があってこそ成り立つ。これは大学のキャンパスでも新聞社、シンクタンク、社会全体の議論でも重要なルールだ。

    日本経済新聞訳、2025.8.1

    これが科学であり、学問だ。しかし……

    それでも、日本人は「ニセモノ」を選んだ。

    上記した共同通信の配信からわずか4日後、総理大臣が呼びかけて「接触8割削減競争」なるスポーツ競技が、全国民大で一律に始まった。誰がいかにしてそんなミスリードを起こしたか、いまはもう実証的に解明されている。

    ホンモノの思想を見出すには、それなりに時間がかかるが、ニセモノのそれはお手軽だ。いま、この "一瞬" に「みんなが断言してほしいこと」を先読みし、大声で喚けばメディアが寄ってくる。

    根拠なんて別に要らない。とりあえずセンモンカぶっておけば、「なにか計算があるんだろう」と報じる側が忖度してくれる。後でまちがいがわかっても、「根拠があるとまでは言ってません」で居直れるから、マジで無敵。

    ところが問題は、ニセモノでも "一瞬" なら実際に、キモチヨクなれることだ。たとえるならそれは、うつの人に覚醒剤とか飲ませて「ほぅら、元気出たジャン?」と言ってるようなものだが、当事者はなかなか気づけない。

    で、その後あらゆる危機が起きるごとに、ニセモノのメリーゴーランドのように顔だけ変えて、同類が次々出てきたわけだ。患者が薬剤ショッピングをしているのと同じ、危険な状態だが、売人はそんなことは気にしない。

    その証拠にこの人たちは、みな "一瞬" で相手を決めつけるのが大好きだ。SNSで自分と違う意見を見るや、PCRもどきで「親露派だ!」「壺(統一教会)だ!」と認定するセンモンカは、ある時期すっかりおなじみだった。

    そんな人に公共精神があるわけはないので、彼らはどこにでも寄ってくる。たとえばトランプ(やプーチン)の悪口を「言ってあげる」んで、リベラルや左のメディアも、私を使ってギャラ払ってくださいよなんて朝飯前だ。

    社会のいちばん深い多様性を自分で毀損しながら、「ダイバーシティが大切です。みなさんもトランプを批判しましょう」とやって平気な人は、人間の根本が壊れている。彼らこそ、病院に入れることが必要だとさえ思う。

    疲労の結果、久しぶりに入院もして、そんな思いを新たにした。

    しばらくはリハビリしながらなので、noteの質・量もペースダウンすると思うけど、長い目で見てくれるなら嬉しい。

    参考記事: ついにここまで来ましたね。

    【今までウケていたのはロシアへの反感、ウクライナへの応援の空気感からロシアの状況の悪さを言えば、皆が良いと思ってくれていたから。】
    「ロシアに不利な分析はウケる、米国に不利な分析はウケない」のはSNSでもテレビ解説でも事実でしょうが、研究者がそういう支持層に阿ったら信頼性が低下する。 https://t.co/BKOc9WSayG

    — Satoshi Ikeuchi 池内恵 (@chutoislam) May 2, 2026

    (ヘッダーは、東武動物公園のBlogより)

     
     
    「戦後批評の正嫡」(『江藤淳と加藤典洋』帯より)がAI無添加で振るまう論説の割烹/Bistro。もとは日本史のお店で修業したので、歴史の素材を活かした味つけに定評があります。ここに載るのはささっと仕上げた軽めの料理ですが、楽しんでいってください。(2023年11月開店)

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