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資料室: 日本の保守をおかしくしたのは「まじめさの搾取」である。

    宇野常寛さんとの番組の有料版(リンクはこちら)でも話したけど、きわめて大事なので、資料で補足を。日本で「保守派」ほど現状打破への欲求を叫ぶ、奇妙な事態が続いていることの、いちばん深い理由についてだ。

    ぼくがよく採り上げる戦後日本のベストセラーに、精神科医の土居健郎が1971年に出した『「甘え」の構造』がある。同書をめぐる "読まず誤読" については、他の本とも絡めて前に訂正した。

    この本はめちゃ売れたので、続編や改版が山と出て、最新の増補版は2007年の刊行である。秋葉原事件やリーマンショックの前年で、格差社会論がピークに達し、もう「日本が壊れた」という感覚が世に溢れた時代だった。

    で、このとき新たに加筆した「「甘え」今昔」で、当時87歳の土居は、驚くべき告白をする。

    誰も「私は甘えます」と言って甘えることはしなかった。その点「甘え」は幼児心理に直結する。しかしそれは特に幼児的心理なのではなく、老若男女の別なく人間一般に共通する心理として理解されていたのである。

    しかしこの理解が近年急速に失われてきたのではなかろうか。今や「甘え」といえば人々は一方的な「甘やかし」かひとりよがりの「甘ったれ」のことしか考えなくなったのだ。実は私自身今更驚いたのだが、この「甘やかし」も「甘ったれ」も本書の第二章の冒頭で「甘え」の語彙を論じた際に言及されてはいない。

    ということは本書を書いた時点で私はこの二語の存在に思いもつかなかったということだ。これら二語は私の思い描く「甘え」的世界に属しないものとして考慮外だったのだ。しかし今やこの二語が「甘え」を代表するものになったとすれば、そのことに言及しない本書は現代人の感性にもはや訴えないということにもなりかねまい。

    土居健郎、3頁
    (改行と強調を付与)

    要するに、1971年の日本では「甘える」ことが "自然な" 行為だったが、その後の30年強で、同じものは "わざとらしく" 行う作為に変わったのだ。言い換えると、日本人は急速に、ナチュラルに甘えあうことが下手になった。

    令和の選挙が「推し活」になったと、最初に指摘したのはぼくなのだが、これが典型で、"推し" とは「私は甘えます」と、自分でファンに言ってる人のことだ(苦笑)。つまり、甘ったれ。

    逆にファンにとっての推し活とは、"推し" を甘やかすことの快楽である。だから、推しにどんな問題があろうが、カンケーない。むしろ政治で大失点を重ねる推しを、徹底的に甘やかし続けてこそ、支持者の歓びはMAXになる。

    やばいやろ? オレが言ったとき直してれば、こうなってへんのやで。こっから2年半は "一億総甘やかし" で、いまの首相を「推し続ける」国会の勢力図になったんで、もう手遅れやけどな(怒笑)。

    土居の本が誤読された点だが、より重要なのは、甘え自体は決してダメなものじゃないことだ。むしろそれは、誰もが日本人の美徳に挙げる、勤勉な「まじめさ」の触媒であり潤滑油だった。

    また別の精神科医の、1982年の名著にいわく――

    彼〔二宮尊徳〕は、おそらく幼年にしてすでに「甘え」を決意を以て断念していた。彼がはじめて得た金でした行為は、うちひしがれた父に酒を買い与えることであった。母も幼い彼を頼りにしきっていた。

    彼は父親役をひきうけ、両親を「甘えさせ」たのである。これは社会の風波に対して家族を代表し、家族を守るものとしての「父」である。そういうものとして彼の努力ははじめられた。一般に勤勉と工夫の倫理は、「甘え」に対する禁欲の倫理でもある。

    中井久夫、51頁
    (初出は1975年)

    ヤングケアラーという語が流行り出すのは2021年だが、それは新しい現象ではなく、むしろ伝統的な日本人の生き方である。あまりにも "自然な" 営みすぎて、「これ、異常じゃ?」と気づくのが遅すぎただけだ(涙笑)。

    本来なら自分を守るはずの親でも自然と甘えさせ、代わりに本人が甘えを断念する姿を、"子の鑑" のように社会が模範視してケアする。そんなしくみで近世以来、日本人の「まじめさ」は回っていた。よし悪しは別にして。

    が、それが報いられず、国民が薄々「オレらって、まじめさを搾取されてないか?」と感じ始めたとき、崩壊は一瞬で起きる。

    上記はヤングケアラーの流行と同じ2021年、でたらめなコロナ対策が続く裏で延期された五輪は強行され、「まじめに自粛してきたのはなんなん?」な空気が広がった際に、中井久夫の尊徳論を引いて書いた拙稿だ。

    だがその後も、政府やメディアは、国民から "搾取したまじめさ" を返さなかった。なんらの検証も、反省も、戦犯の処罰もしなかった。国柄とも言うべき「まじめさ」を裏切られれば、その憤懣が鬱屈してゆくのは当然だ。

    いまぼくらの目の前にある、"穏当でない保守政治" の覇権は、まさにそこから生まれている。

    直接同じ話をするのではないが、高名な識者3人とこのテーマを論じた動画が、先月から公開されている。PIVOTの公式アプリだと、4名それぞれの「フルサイズ語り下ろし」も見れるそうなので、楽しんでほしい。

    これはたまたまだけど、今週の3/5(木)20:00~、浜崎さん・辻田さんとは文藝春秋プラスでのライブ配信もご一緒する予定だ。

    世界情勢があまりにあまりなため、「日本はそれにどう応じるか?」が切り口となるが、このnoteも事前にお送りするので、"あるべき保守" との絡みで話題に出るかもである。

    いま起きているのは、単なる政治勢力の興亡ではない。ぼくたちの生き方の根幹を揺るがす、唯物史観より深い意味での「下部構造」の大変動だ。それを捉える、真に "令和の人文主義" にふさわしい議論にご期待ください。

    P.S. PIVOTが「ソロ語り」の短縮版をYouTubeに上げてくれた。ぼくの回はこのリンクから。

    参考記事:

    (ヘッダーは、小田原の報徳二宮神社のHPより)

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    「戦後批評の正嫡」(『江藤淳と加藤典洋』帯より)がAI無添加で振るまう論説の割烹/Bistro。もとは日本史のお店で修業したので、歴史の素材を活かした味つけに定評があります。ここに載るのはささっと仕上げた軽めの料理ですが、楽しんでいってください。(2023年11月開店)

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