
落とし物の持ち主|拝啓文芸部
憲治からLINEの着信があった。
「ごめん、恵子。これから会社出るから」
憲治の会社から待ち合わせの駅までは、だいたい30分。
ため息が出る。
「またか……」
食事に誘ってきたのは憲治だ。それなのに、指定した時間を守ったためしがない。律儀に時間どおり来る自分が馬鹿らしくなる。
コンコースから駅ビルの方に目をやると、「鉄道落とし物市」という幟が立っていた。
30分時間をつぶすのにピッタリではないか。掘り出し物の傘でも探そう。お気に入りの傘をどこかに忘れてしまってから、ちゃんとした傘は購入できていない。
覗いてみてびっくりした。
ベルトがある。いったいどうしたらベルトが忘れられるのだろう。
モバイルバッテリーや充電ケーブル、イヤホン。確かに、この辺りは落とし物の定番だろう。
バッグや財布、ブランド物が信じられない値段で売っている。
衣類は上着、スカーフ、帽子が中心だが、スカートやスラックスはタグが付いたままだった。そうかそうか、買ったものを網棚にでも置いてしまったのだろう。その3分の1の値段が付いている。
そうだ! 傘を。傘を買わなくては。
見ると、きちんとした傘ばかりだ。それにどれもそれほど使用感はない。
あれ、この傘。
先日なくした16本骨の傘にそっくりだ。柄のところには、見覚えのある小さな傷まで付いている。おまけに、値札は2000円。
えっ、これ、私の傘だよね。
そうか、電車の中に置いてきてしまったんだ。
頭の中が忙しく回転する。
これは私のですって、いまさら言っても通らないだろうな。
しかし自分の傘を再び買うのは癪だ。
私のものなのに。
店員が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。良いお色でしょう」
そうだ、薄い紫と水色の間ぐらい。雨に溶け込むような色が一目で気に入って衝動的に買ったのだった。
目を上げると、向こうには色とりどりの傘が並んでいた。それでも、やっぱりこの傘がいちばん素敵に思えた。
「あの、これ、私がなくした傘にそっくりで……」
店員は慣れた口調で答えた。
「お客様、こちらは鉄道会社から仕入れた商品でして……」
電車の中で失くしたとは思わなかったのだ。
ため息をついた。
やっぱりこの出会いを大切にしたい。こんな素敵な色の傘はそうそうない。
しかももう一度私の手に戻ってきたのだ。
「買います」
スマートフォンが鳴る。
「ごめん待たせた! 今どこにいる?」
「駅ビル。今改札の方に行くね」
恵子は改札に向かってゆっくりと歩き始める。
憲治が小走りに近づいてきた。
「あれ、その傘なくしたって言ってなかった?」
「運命の出会いってやつよ」
「えっ?」
恵子はにっこりと笑う。
「今日はずいぶん待たされたから焼き肉がいいなぁ」
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