
【映画】ちいかわ感想│セイレーンは本当に被害者なのか?
巷で噂のちいかわ。
ほぼミリしら状態で見に行ったが大変良かった。切り抜きなどで何となくキャラはつかめていたと思う。
見る前はラッコ先生が好きだったが見た後は完全にうさぎが好きになった。
本題。
そこまで高尚な感想をかける自信はないが、自分なりに思った感想を書いていこうと思うので未視聴な方はブラウザバッグしていただきたい。
忠告は以上。
まず純粋な感想。
ちいかわ達が可愛かった(小並感)とはいえ、可愛いだけで終わらせてくれる映画ではなく、最後も引きずるような終わり方で良かった。
絶対にこいつが百パーセント悪い、という悪役が出てこなければ、悪役なんていないんだよという優しい世界でもないという塩梅が素晴らしい。
セイレーンもあの二人の立場も頷けてしまう。
それを一人だけ知ったちいかわが言及せずに島から帰ったという選択が良かった。主人公としての動き方がしっかり描かれているなというか。彼がポシェットを握り締めて口をつむんだことを、強さと呼ぶべきか弱さと呼ぶべきか議論を交わせるのも強いところだと思う。
モモンガは結構やばい奴なのは知っていたが思った以上にトラブルメーカーだった。ちいかわの耳って伸びるんだ。
とはいえ、ちいかわとくりまんじゅう含めたうさぎラップが楽しかったので私もモモンガに美味いものを食わせたいと思う。
さて、題名通りの感想を書いていく。
まずこの作品は「誰が悪かったか」が明確に決まらないところがミソだと思う。
セイレーンは仲間の人魚が食われた犯人を捜していたわけで、島民をあれほど食って最後まで二人を追いかけたのを見てもやり過ぎなんて思っても「絶対的な加害者」ではない。むしろ被害者に近い。
ただ、人魚を食った二人も、もとはと言えばセイレーンの悪気のない遊びに巻き込まれて生死をさまよったわけで。こう見るとセイレーンの加害も味方が変わってくる。
ただ、私はセイレーンを被害者とはどうしても思えなかった。
ちいかわ視点で見ているから? それもそう。しかし、セイレーン自体の視点で見ても彼女の言い分は分かるとしても被害者までには思えない。
主観丸出しなので、反論ウエルカムとして聴いてほしい。
まずセイレーンが加害を楽しんでいるのがポイント。
人魚を食った二人はまず加害をすることを楽しんでいる描写はない。どちらも命がけの選択をしている。
それに比べてセイレーンはいくら報復だといっても島民を味噌漬けにしてまで楽しんでいる素振りを見せている。
被害者としての復讐だったとしても、それを楽しんでいることに強い嫌悪感を覚えた。それがより罪深く感じられる要因である。
また、人魚が欠けたことも仲間としての喪失感というより「コーラスが欠けた」ことに重きを置いている気がした。
主観しかない上で平たく言ってしまうと、「人魚自身に対してはどうも思ってない」「ただ自分のコーラスが欠けるのは別」と感じてしまった。
あの世界での倫理観がどうなっているかは不明だが、人間視点で見ると「情」の部分がやや薄く見えると共感しづらい。
そして、ちいかわ達は最後までセイレーンとの対話を心がけていた。セイレーンがいくら島民を食おうとしてもだ。最後のシーンでとどめを刺すことだってできたはず。
では、仮にちいかわ達がセイレーンを最初から討伐する気でいたらどうだろう。
優劣はともかく戦争の勃発である。
戦争というのは「大義名分」を掲げて始めるものが多い。その内容の重みはともかく理屈上の大義名分が存在する。
セイレーンの大義名分は「仲間が食われたことによる報復」十分筋が通っている。
つまり何が言いたいのかというと。
かなり歪んだ見方だが、セイレーンは途中から理屈上の大義名分を掲げていたと思う。
最初は人魚が食われたことへの報復だったかもしれない。
しかし、エスカレートするにつれ、人魚より島民を食うことが目的になっていったのではないか。
「報復」を理由に掲げているだけで、どちらかというとセイレーンは島民を食えるから襲い続けていたと私は考える。
つまり彼女の行動理念は報復<楽しみ、ではないか、という至極単純、そして主観ましましな考察だ。
勿論、セイレーンは絶対的加害者とも言い切れない、被害者にもなり得るからこそちいかわの映画は面白いのは重々承知している。
ただ、私が彼女のような存在を目のあたりにしたら、うかうか被害者ともいえるなんて言わずに加害者として捉えていると思う。勿論、前述したとおりそれこそ戦争の始まりであり良いことは一つもないが。
その判断を優位に立ってもしなかったちいかわたちに敬意を示そう。