
【手記】自分の母校、閉校していた...!⛄
先日、何となく思い立って自分が卒業した学校の名前を検索してみた。「今どうなってるかな」くらいの気持ちで。
検索結果が表示される。ブラウザの要約文が目に入る。
「○○○○学院 かつて存在していた日本の専修学校」
おう、なんか要約ミスってるな。まあAIも間違うことはあるよね。
なぜか学校のホームページが見つからないのでWikipediaを開いてみた。
「○○○○学院は、かつて存在したマルチメディア系スクールである。」
……ガコンッ!!(事実を受け入れる音)
自分が卒業したのはゲーム系の専門学校で、無認可校(文科省の認可が無い学校)だったのだけどその分自由なカリュキュラムを組める学校だった。
閉校した年を見てみるとどうやらコロナ禍に入ったばっかりの年。コロナ禍の煽りを受けたのか元々芳しく無かったのか。無認可だと立場が弱い?のか。
いずれにせよ母校が無くなったという事実はあった。
当時は人生の中でも1番目か2番目くらいに頑張っていた時期で、どうしてもゲームクリエイターになりたかったからずっと「学校→バイト→制作→寝る→バイト→学校」みたいな生活をしていた。(今思うとそこで初めてパソコンの基本的な使い方とかを覚えた気がする。)
結局ゲーム会社には就職出来なかったのだけど、今はその時の経験を多少は活かした仕事をしていて、無駄では無かったかなと思う。
でもやっぱりあきらめきれずに、以前まではゲーム制作の勉強を少しずつ続けていてゲーム系の参考書に載っているゲームを作ったりしていた。(1回だけだけどフリーゲームの投稿をしたこともある!)
それが、ある時きっぱりやらなくなってしまった。薄々感じていた事があったから。
専門学生の時もゲーム会社の人に言われたのだけど、自分にはゲームデザインのセンスが無い。
多少プログラムが書けても、いくらゲームエンジンの使い方を知ってても、面白いゲームを作るためにはゲームの企画力とかゲームデザインを考える素養がいる。それが無いと始まらなくて。
だからこそ実際のゲーム開発では分業してプランナーとかゲームデザイナーとプログラマー、グラフィッカー等を分けているのだけど。
それでも自分には最低限ゲームプログラマーとして雇ってもらえるだけの素養は無かったのだと思う。
今はSNSを見ると色んな人が個人or少人数での制作をしていて、素養があるとか無いとか関係なく、各々が「ゲームを作りたい!」という熱意に基づいてゲーム開発をしている。
それがほんとに凄く良いと思っていて。
もし当時の自分がもっと早くフリーゲーム投稿サイトの存在を知っていたら?個人or少人数制作という選択肢が学生の時点で頭にあったなら?あと10年遅く生まれていたら?
そしたら就職はせず、素養が無くても個人or少人数でゲームを作る世界線があったのだろうか?
そう考える事にあまり意味は無いのだけど。
でも、今はもうゲームクリエイターになりたいと思っているわけじゃない。
それは、自分が本当は「ゲームクリエイターになりたい」のではなくて「ゲーム関連のことに関わりたい」のだということに学校を卒業して何年もたってから気付いたから。
だから、今こうして兼業だけど少しでもライターとして活動出来ているのは本当に嬉しいし楽しいし幸せ。自分なりの関わり方はこうなのかな、なんて思ったりしてる。自分は何かしらの形でゲームに関わりたかったんだ。
それが多分ようやく見つかったのかな、って言うのが嬉しい。
って!なんかじめじめした記事になってしまいました!短文を書くつもりが長めになったし!たまには良いか……
なんかこのまま終わるのも何なので先日食べた抹茶たい焼きでも見といてください🐟🍵

以上!!!以上です!散!!