
「オケバトル!」後半戦 15. バレエ・リュスの仮装パーティー
15. バレエ・リュスの仮装パーティー
「そもそも、『バレエ・リュス』って何なんですかあ?」
と、大声では尋ねづらい質問を胸に秘めるメンバーが、ここに3人。
元々クラシック音楽に魅了されてオーケストラの道に入ったわけではなく、双子と言われている倉本姉妹は吹奏楽でクラリネットとオーボエを、会津夕子は幼少時から自然に続けてきたヴァイオリンと、各々楽器から入ったこともあり、クラシックの世界を極めるどころかバレエに触れることも関心もなく、皆が喜んでいる仮装のテーマもピンとこないのだった。
「ただ上手に奏するだけでなく、作曲家や楽曲にまつわる深い理解が大切」と、常日頃から熱く語っている有出絃人や上之忠司が知ったなら、卒倒しそうになりながら落胆して呆れ果てることだろう。「どうぞ抜けて下さい」と。
しかし今、ダイニングルームのくつろぎスペースで、3人の目の前には愉快で優しいファゴットおじさんがいる。上等の白ワインと数種のチーズ盛り合わせを堪能しつつ、往年の「バレエ・リュス」の豪華な顔ぶれの世界にタイムトリップしているようだ。
「仮装、どうされるんですか?」
まず、双子姉の早苗がかまをかけてみる。生きた化石おじさんは、
「仮装? ああ、仮装ね」
と、ふと現実に引き戻されたかのような反応を見せ、「そうか......、パーティーの仮装でしたな」と呟いてから遠い目をして、
「ピカソになりきってましたよ。若き頃のパブロ・ピカソに」
「ピカソですか?」
ピカソがどんな風貌だったか思い浮かべようとするも、イメージは色彩のはっきりした、直線が多用された抽象的な絵画ばかり。
「まだ若く、生活も困難だった頃にディアギレフに見出されましてな」
まるで自分のことのようにしみじみ語るファゴット氏であったが、この3人が「ディアギレフ」というバレエ界の大御所、どころか舞台芸術に革命をもたらし、後世の総合芸術に多大な影響を与えた偉大な人物の名すらピンとこない様子に少しがっかりしながらも、分かりやすく簡単な芸術講義を始めゆく。
16世紀半ば、演劇を伴う舞踏劇というバレエを、発祥の地イタリアからフランス王家に嫁いだカトリーヌ・ド・メディチがもたらした......というくだりは省略して、
「今日のバレエの基礎を築いた、太陽王ルイ14世の時代から ———」
「ベルサイユ宮殿の、あのルイ14世が、バレエを?」
「そうですよ。『太陽王』と呼ばれるのは、自ら踊っていたバレエの舞台『夜のバレエ』で太陽の役を演じていたことによるものでしてね」
双子の妹による突っ込みに辛抱強く答える、バレエおたくのファゴットさん。
「ルイ14世の全身像の肖像画、どれも美脚をしっかり見せてポーズを決めてるんですな」
「知らなかった〜」
「王のバレエの師匠が定義づけた5つのポジションは、今でもバレエの基本のキ」
「分かります!」と、勢いよく立ち上がるは双子の姉のほう。テーブルから離れた位置に立ち、実演して見せる。
「第1ポジション。これが一番難しくて、つま先が180°きちんと開かなくて」と始め、第5ポジションまで両腕もつけながら思い出してみる。
「これをルイ14世が?」
「300年も変わらずに?」
驚く3人であったが、話を先に進めねばならない。
「王侯貴族男性のたしなみとしての典雅なバレエも、やがては華やかな女性ダンサーの活躍や、ロマンティックバレエの台頭で発展してゆくも、約200年の間は高貴な舞台という枠内ではあったところ」
ブルボン朝から一気に20世紀初頭へタイムワープ。
「時は1909年、第一次世界大戦の少し前のこと。セルゲイ・ディアギレフという芸術に深い理解のある天才プロデューサーが、才能あふれるダンサーらと共にロシアから総動員でやって来て、パリの劇場に大革命を起こしたんですな」
ファッションも芸術も時代の最先端をいくパリにて。
「〈だったん人の踊り〉、正確には〈ポロヴェッツ人の踊り〉は、我々でも演奏しましたよね?」
はい。すごい曲ですよね! とうなずく3人。
「初っぱなからあの大迫力の踊りを繰り広げられて、パリっ子達は騒然となったそうな」
斬新な演目に加えて、ダンサーらも錚々たるメンバーであった。「ニジンスキーというダンサーが」という言葉をファゴットおじさんは呑み込んだ。
いくら無知なる若い衆でも、知らないのを前提で話すのは失礼だ。逆に「ご存知ですよね?」てな具合に、知っていて当然という持っていき方にも注意が必要。巷のトーク付き演奏会などではよく、「モーツァルトという作曲家が......」なんて言い方がされるが、たとえ小学生相手でも、「という」なんて付けずに「作曲家のモーツァルトが」と普通に紹介すれば、知らなかろうが知っていようが違和感なく受け入れられるはずなのだ。
彼女らが果たしてニジンスキーの名を知っているか? おじさんは慎重に切り出した。
「例えばニジンスキーや、アンナ・パブロワのように、ダンサーの名が〈牧神の午後〉や、〈白鳥〉といった曲や振付作品の代名詞になってしまう事態も、『バレエ・リュス』では当然の如く起きたんですよ」
「『瀕死の白鳥』ですね!」
「『パブロワ』ってメレンゲ、ここでの最後の手作りディナーの時、よしえさんが『ロシアのお菓子よ』って作ってくれましたよね」
「そうそう、ベリーソースで美味しかった。チェロの誰かが〈白鳥〉のメロディー口ずさんで」
「しかし残念なことに、サン=サーンスの名曲そのものが、死にゆく白鳥をイメージしているかのような誤解も生んでしまいましたがね」
彼女達も勘違いしてないか、一応釘を刺してから話を続ける。
「『瀕死の白鳥』はダンサーにして天才振付師のミハイル・フォーキンが、ロシア時代にパブロワの為に、彼女と一緒にほぼ即興のように振付け、バレエ・リュスで世界に広められ、完全に定着したと。〈牧神〜〉は、ダンサーのニジンスキー自身が振付けて、パリでの初演時は賛否両論の大センセーションを巻き起こした挙句、先のフォーキンはあまりに前衛的すぎる振付に激怒して団を去ってしまったんですよ」
「『牧神』って言えば」
深刻な話をしているのに、そこで双子がくすくすしながら顔を見合わせる。
「あたし達、『牧神ごっこ』が恒例だったんですよー」
「リビングに一台しかないソファでどっちかが昼寝してると」
「先を越された片方が《牧神〜》のCDかけるか、鼻歌、歌うかして」
「ドビュッシーのメロディーと共に、ニンフの振付もどきで、つつつ......と、すり足でスカーフ羽織ってやって来て」
「午後の貴重な惰眠を邪魔するのが恒例で」
交互に話してからキャハハハハ! っと笑い合って弾ける。
ファゴット氏は「なるほど......」と言うしかない。この双子に化石おじさんの話は通じなかったか。ああ、往年ダンサーのロマンは何処やら?
「あたし達で牧神とニンフ、できたら楽そうだし、牧神の扮装なら誰でもすぐ分かるんでしょうけど」
「男性、女性、どちらがコスプレしても、肌の露出、際どすぎて却下かなあ」
「同じく『薔薇の精』も。眠ってる少女と薔薇の精で、一目瞭然でも」
「薔薇の精も、裸の上半身に薔薇を散りばめた扮装なんて、流石に誰もできませんね」
「恥ずかしすぎる」
「演じる側も、見てる側もね」
そもそもニジンスキーやパブロワの代名詞を仮装の引き合いに出すこと自体がナンセンス。双子のトンデモ話の流れに、もはやすっかり慣れている会津夕子が話を軌道修正。
「バレエ・リュスにちなんだ簡単仮装、何かありますかね?」
「あ〜、スマホやパソコンさえ使えれば」
「簡単に検索できるのに」
「ネットで楽に検索したことなんて、右から左へ忘れちまうもんですよ」
ハモってぼやく双子に化石おじさんが釘を刺す。
「メイン館のライブラリーには貴重な音声映像だけでなく、専門書も豊富にありますからな。いくらでも借りて調べてみるといい。とはいえ、今夜は時間がないか」
誰が見ても説明抜きで、すぐ分かってもらえて、しかも簡単な?
「ふふっ、お姉さん方にちょうど良さそうなのが」
ポンっと手を打つ化石おじさん。このこっけいな双子に、あまりにも似合いすぎるではないか。
「道化ですな」
「道化!?」
「ピエロってこと!?」
せめてクレオパトラとか提案して欲しかったと、少々憤慨する姉妹。
「道化といっても、カワイイ系も。シューマンの〈カーナヴァル〉だとか、道化の登場する演目、バレエ・リュスでも多彩に扱ってましてな。しかも超一流のデザイナーによる斬新で鮮やかなコスチュームなんですわ。それこそ、資料の写真、見るが早いんでしょうけどね」
言いながら、部屋の隅の道具棚の引出しから、小型のスケッチブックや色鉛筆を取り出してくる。
「何でそんなとこに絵の道具が?」
「山岸よしえさんが、お菓子作りのレシピ描いて皆に配る為に、本館から画材一式調達して来られたんですよ」
言いながら、スケッチブックにさらさらと、殆ど瞬間芸のように3タイプの道化の絵を描いていく。
「パンタローネにコロンビーヌ、アルルカン」
まるでピカソのようだ。ちょっと幾何学的で斬新なデッサン。ささっと鮮やかに着色し、黒い仮面も書き加え、横文字で各々の道化の名称を添えて3人それぞれに渡す。
早苗は格子柄ズボンのアルルカン、
香苗はふんわりドレスのコロンビーナ、
夕子は粋なパンタローネ。
「これなら、手持ちの服にちょいと手を加えるだけで、いけるんでないかな? 例えばアルルカンの格子柄は、ホワイトのズボンに黒い折紙でも両面テープで貼っつけるだけでも。パンタローネさんは、ジャケットが長めのパンツスーツに、衣装部屋からシルクハットや手袋、借りてくればいい。コロンビーナのドレスはバルーン型になるよう、スカートの中に風船かボールでも入れて膨らませるとか」
3人はファゴット画伯のイラストを手に、威勢よく席を立ち、とりあえずはメイン館に必要な物を物色しに行くことに。
ダイニングルームを後にしながら、会津夕子がおもむろに振り返り、
「ところで、肝心の『バレエ・リュス』って、どういう意味なんですか?」
「そうそう、肝心のそこんとこ知っとかないと」
と早苗も続く。
えっ!? と驚く化石おじさん。もしかしてこの3人は、それを聞きたかっただけなのか?
「フランス語で、『ロシアのバレエ』っていう意味。ただそれだけの一般名詞で、固有名詞ではないのに、ロシアからやって来たバレエ団というニュアンスで、まるで固有名詞みたいに定着したわけですよ。それまでのバレエ団は、劇場に所属しているものだったのが、ディアギレフのバレエ・リュスは世界各地を巡業して回る新たなスタイルで ———」
「ありがとうございます! ピカソ先生!」
だけど、バレエ・リュスの一団は、海外公演ばかりで、お国のロシアでの公演はただの一度も実現しておらず......といった余談は、彼女たちが部屋を飛び出して行ったので伝えられず。
「合言葉を述べよ」
各自が好き勝手にどうでもいい返事を告げさえすれば、誰でも入室できる恒例の仕組みだが、今宵は分かりやすく、殆どの者が自分の仮装の人物名を述べていた。
ファゴットおじさんは「ピカソ」、上之忠司は「ディアギレフ」といった具合に。
2人とも偉人に顔こそ似てないはずなのに、トレードマークも意識した周到な装い効果か、本人のなりきり気分か、仮装の主が誰であるか間違いなく見てとれる。
上之扮するディアギレフは、シルクハットに蝶ネクタイとタキシード、胸にはお決まりの花飾りを挿し、偽ではあるが口髭も忘れちゃいない。一喝おやじのトランペッターという風格も、見事に大御所プロデューサーのキャラクターとマッチしている。
ピカソさんは絵の具の盛られたパレットと絵筆を片手に持った演出つきで、ピカソが好んで着ていた、白地に青い横ストライプの、ポートネックに七分袖のバスクシャツを着用しており、ご丁寧にパイプをくわえ、ベレー帽を被り、その下からはピカソが長めにサイドに流していた前髪もチラリとのぞいている。
「その青い縞々カットソー、写真で見たことあります」
「そっくり! そんなシャツ、よく見つかりましたね」
という褒め言葉に、ファゴット氏は、
「これはバスクシャツと言われていて、ピカソはバスク地方の血も受け継いでいたこともあるのか、袖が短めで腕まくりの必要がなく、さっと脱ぎ着できるバスクシャツを愛用してたそうな。青の横縞は海の波を表してるのだとか。たまたま縞模様だった部屋着を、ちょいと改造しましてね」
と、うんちくついでに手の内も得意げに披露する。
「袖の内側をこうしてちょん切って、三角に布を縫い足して少し広げて、襟は両端にスリットを入れてポートネック風に。これだけでバスクシャツ同様でしょう? 結構気に入りましてな」
わあ〜、すごいすごいと拍手の女性陣はホルンの藤木のどかを始め、数人が似たような民族衣装。〈春の祭典〉の村の少女たちの扮装だ。ゆったり目の白のチュニックに、ストンとした膝下までのスカート。上下とも白地に赤のテープで飾りラインを付けて民族調に。派手めのヘアバンドを結んだ頭から長い付け三つ編みを左右におろし、赤茶系の濃い人形メイクで、皆がそっくりさんのよう。
〈春の祭典〉の奇抜な冒頭の音楽が聞こえてくるようだが、折しもBGMとして会場に聞こえしは《プルチネルラ》の音楽。
そのうちにピアノの生演奏なんかも華やかに始まるだろうが、それまではと、エンタメ係の厳選による「バレエ・リュス」の演目に因んだCDをライブラリーから調達して、最高音響のスピーカーで流している。
「バレエ・リュス」の公演を始めて10年。ダンサーにして振付師のレオニード・マシーンとディアギレフは新たな題材を求めて、ナポリを訪れていた。マシーンは人形劇コメディー「プルチネルラ」の台本を見つけ、ディアギレフは2世紀前に若くして亡くなったイタリアの作曲家ペルゴレージの楽曲に魅了される。早速ストラヴィンスキーに編曲を、ピカソには舞台美術と衣装を任せるべく、ナポリに2人も呼び寄せる。
人形芝居を思わせるシンプルな舞台に、青や白が基調のキュビズム風に描かれたナポリの背景、現代によみがえった明るく陽気な音楽と、洗練された振付。才能あふれる4人の芸術家が集ったナポリの休暇から生まれた大変楽しい作品は、パリでも大好評となった。
「昨年のナポリの休暇は実に素晴らしかったですな」
上之忠司=ディアギレフが、ファゴット氏=ピカソに感慨深げに話しかける。そして遠慮がちに離れていた《プルチネルラ》のダンサーに扮した若い2人を手招き。
レオニード・マシーン演じたタイトルロールに扮したヴィオラの内山秀幸と、その恋人役ピンピネルラに扮した少女......、でなく、ヴァイオリンのミッキーこと山寺充希の女装!?
「バレエ・リュス」の看板ダンサーでもあったカルサヴィナは、今宵、《サロメ》のタイトルロールを山岸よしえが怖すぎる扮装で演じているが、こちらのカルサヴィナは可愛すぎるお人形さんだ。
秀幸のプルチネルラの衣装は大柄な男性先輩から借りた白シャツをダボダボに着た上から黒ベルトでウエストを締め、ピカソのセンスを活かした赤を印象深く、シャツの胸元や白ズボンの裾からのぞかせ、手袋も赤で、とんがり帽子を被っている。
ピンピネルラは体格のいい女性から借りたゆったりドレスにカラフルな色紙を付けて、派手なメイクも女性にお任せする。人形芝居ということで、秀幸も充希も口は開かず、丁寧にお辞儀するだけ。
「創作する者にとって、旅は貴重な体験の宝庫となりゆきますものね」
女装の衝撃に動揺しつつも、ディアギレフ氏にどうにか話を合わせるピカソさん。
ここにストラヴィンスキー氏が登場してくれれば完璧な演出となりそうだが、《プルチネルラ》の物語には、プルチネルラのそっくりさんが街中にあふれかえるという設定がなされていることから、気の利いた仮装を思いつかなかった男性陣は、こぞって内山=プルチネッルの仮装を真似て、ここにも数人のプルチネルラがゾロゾロいるばかり。
作曲家は登場せずともストラヴィンスキー関連の演目としては、「火の鳥」に扮したヴァイオリンの桜井さくらや、「ペトルーシュカとバレリーナ」のトランペット春日拭子とパーカッション谷内みかの仲良し組も。
ピカソ=ファゴットおじさんにヒントをもらった、お騒がせ双子と会津夕子も楽しい道化の仮装で遅れて登場。上機嫌でピカソ氏に礼を言う。
「道化は流石のアイディアでした!」
「メチャクチャ楽しいです!」
こちらはシューマンの〈謝肉祭〉から来ているということで、夕子が秀幸に楽譜を見せて、アルルカン、パンタローネ、コロンビーナの曲などをリクエスト。ペトロフのピアノで弾いてもらう。夕子は自分で弾けないこともないのだが、やはり憧れの人に奏でてもらい、脇でうっとり耳を傾ける方が幸せなのだ。
秀幸=プルチネルラは、恋人役のピンピネルラ充希にも敬意を払い、《プルチネルラ》の楽しい音楽も続けて即興で奏でゆく。
何か自分に気があるみたいな夕子ちゃんだって、相手が男なら気にしないはずと、あえてミッキーくんにパートナーになってもらった優しい秀幸の密かな配慮であった。
ピアノが弾かれ始めた辺りで仮装パーティーの雰囲気も一気に盛り上がり、踊り出す者が現れたり皆が羽目を外し始める。
そんな中、目立ちたくないのか壁際で静かに美しきオーラを放つ若手が2名。
1人は《レ・オリエンタル》の「シャムの踊り」の豪華な衣装に身を包んだロシアの血を引くトムくんこと多岐川勉。
この役柄での大変ヴィジュアル映えするニジンスキーの姿は、多くの画家がこぞって描き、写真とそっくりな絵画作品も数多い。
こうした背景もあり、トムくんは踊りこそせずも、絵画に残されたような見事な決めポーズを披露している。ニジンスキーが舞台で身に付けていたティアドロップ型の真珠のイヤリングや、同じく真珠の、ネックレスも女性陣から借り受けて豪華に重ねづけ。時折り、自動仕掛けの人形のようにポーズを変え、目ざとい女性ファンのシャッターに快く応じていく。そして周囲の様子次第で、そっと口を開き、
「この『シャムの踊り』はですね」
と、この役柄の背景を静かに語りゆく。
「恐らくバレエの歴史で初めての、女性のパートナーを伴わない、男性ソロのみの作品と言われているんですよ」
その傍で、夢見るような表情で椅子に腰掛け、豪華な花のアレンジメントの乗ったテーブルに片肘付いて、うっとりと花々を見つめているのは、フルート美少年の星原淳。シンプルな花冠を被り、上半身には大ぶりの白い布を巻いて片側の肩をあらわにした装いが、美少年ナルキッソスであるのは一目瞭然。
「ヤバおばトリオ」辺りにいいように遊ばれる前に先手を打とうと、トムくんの提案に従っての扮装とはいえ、ここには撮影隊も取材に入ってるし、やはり恥ずかしすぎるので、花々の陰に隠れんぼしているのだった。
因みに宮永鈴音はこの場にはいない。美容に悪いからと、深夜のリポートには応じない契約なのだ。
純朴な若手とは反対に、目立ちたがり屋で強者の「ヤバおばトリオ」は、山岸よしえが恐ろしきサロメ、安部真里亜が妖艶なクレオパトラ、沢口江利奈が《シェエラザード》の王の美しい愛妾ゾベイダに挑戦。
「バレエ・リュス」の革新的な演出による《クレオパトラ》や《シェエラザード》といったオリエンタル系の演目は、ターバンに、ふんわりしたシルエットをくるぶしで絞ったハーレムパンツなど、パリのファッション界にも多大な影響を与えていた。
どれも看板ダンサーのカルサヴィナやイダ・ルビンシュテインの役どころで、おばさんトリオも妖しく危険な香りを容赦なく放っているようだ。
対するソリスト級の男性陣も負けちゃいない。
コンマス王の別所正道はゾベイダの愛人である魅惑的な金の奴隷に扮し、「ヤバおばトリオ」が衣装部屋から調達してきたノースリーブのセクシーな衣装を渋々ながらも堂々と着こなし、伝説のダンサー、ニジンスキーになりきっている。
そこにスルタンの剣を振りかざして乱入するのは、トロンボーン安条弘喜 扮するシャリアール王。いつも温厚な陰の支配者などではなく、たまには暴君を演じてみては? と、「ヤバおばトリオ」に甘い言葉でそそのかされての熱演で、怒り狂って金の奴隷を殺してしまう。哀しみのあまりゾベイダはとっさに短剣で自らの胸を貫き、王は彼女の亡骸を抱き抱えて悲嘆にくれる......という筋書きが、江利奈、別所、安条の3人による白熱の寸劇に、《シェエラザード》のクライマックスの音楽〈ダグダッドの祭り〉の激しいピアノで盛り上がる。
内山秀幸は緊迫感の伴うピアノの即興を楽しみつつも、「あ〜、絃人さんが居てくれたらな。バレエの伴奏ピアニストされてたんだから、完璧に合わせられるんでしょうし」と、内心もどかしく思ってしまうのだが、傍で大喜びでリズムに身を任せる会津夕子は彼にピアノを促した自分を誇りに思い、嬉しくて仕方がない様子。
「この曲聴くと、どうしてもよみがえるドラマのシーンがあってね」
と語り始めたのは海外ドラマ好きの沢口江利奈。
「『ヤング・インディ・ジョーンズ』のTVシリーズなんて、誰も知りませんよね?」
「知ってますよ」
もちろん! とばかりに応えたのはピカソ氏。
「かのジョージ・ルーカスが青少年向けの歴史教材として試みた冒険シリーズのことですよね?」
ファゴットおじさん、流石に生きた化石だけのことはあるようだ。
「わあ〜、ご存知でしたか」
「歴史学者の父親が世界中を講演して回る2年間、少年インディも家族で連れ添って、青年期は、第一次大戦の連合側の兵士として、諜報員として、世界を股にかけて活躍と冒険を繰り広げる、実に良くできたドラマでしたよね」
「歴史上の偉大な人物や有名人が毎回ゲストで登場して」
「アラビアのロレンス、ハワード・カーター、セオドア・ローズヴェルト、ユングにフロイト、カフカ」
「シュヴァイツァー、ガーシュイン、ヘミングウェイ、エリオット・ネス、ド・ゴール。マタ・ハリとは恋仲に」
「そして私ことパブロ・ピカソとは旧知の仲という設定で」
上之氏を示しながら、
「こちらのディアギレフ氏にも『バレエ・リュス』に潜入した回で会ってますよね」
「そうそう、それです!」
飛び上がって喜ぶ江利奈さん。今し方、自分が死んだ役を演じたなんて忘却の彼方。
インディ・ジョーンズの若き日の冒険を描いたTVシリーズの、「バルセロナ 1917年5月」の回。
第一次世界大戦中、連合側のスパイの密命を帯びていたインディは、中立国のスペインはバルセロナにて、ドイツ勢力に対抗する凸凹トリオの工作員に協力することに。
旧友のピカソと再会し、彼の紹介で「バレエ・リュス」に役者として潜入する。文化担当のドイツ諜報員を失脚させるべく、彼からダンサーに宛てたファンレターを現地の伯爵夫人への恋文に偽造し、ドイツとスペインの不和を画策するも、ダンサーに目論みがバレて混乱の事態を招く。
《シェエラザード》の本番中、インディは客席に居る仲間の3人組に事の次第を伝えるべく、必死の腰振りダンスでモールス信号を送るのだった。
「奴隷役として《シェエラザード》舞台の隅に、ただ立ってるだけのはずが、衣装についた金属プレートを舞台照明に当てて光らせて客席の仲間に信号を送る為に、クライマックスの〈バグダッドの祭り〉の緊迫したリズムに合わせて激しく腰を動かすインディのダンスが圧巻で! 渾身のダンスと勘違いした観衆から大喝采が湧き起こるのも可笑しくて」
「あれは愉快痛快でしたな。私もMr.ディアギレフと、舞台袖で圧倒されながらもハラハラ見守ってましたよ」
と、ドラマの世界に自らをトリップさせてしまうピカソ氏であった。
「合言葉を述べよ」
「詩人」に扮した有出絃人は今回の自分のテーマである《レ・シルフィード》にかけて、「シルフィード」とだけ答え、遅れ馳せながら一同の前に優雅に登場した。袖にドレープのたっぷりとられた王子風の白いシャツブラウスにリボンが結ばれ、タイツのようにも見える白のスリムなパンツと共に中世的で優美な雰囲気。加えて黒のフォーマルロングベストは、明らかに《レ・シルフィード》でニジンスキーが演じた「詩人」の装いだ。
「なあんだ。『派手なペトルーシュカか、危うい牧神か、際どい薔薇の精にでも扮せよ』って、指令書、部屋に忍ばせといたんですけどね」
当てが外れて少々ガッカリのおばさんトリオ。
「あれで腰に剣でも携えてたら、お忍びの王子?」
「あるいは、つばの広い帽子なら、さしずめ遍歴の吟遊詩人ってとこかしら」
しかしシンプルな扮装には当然の如く目論みが絡んでいた。有出絃人にはサプライズゲストの「連れ」がいたのだ。
穏やかに流されていた《ジゼル》の音楽がひと段落しそうな頃合いを見計らって、絃人が誰に挨拶することもなくまっすぐピアノに向かったので、エンタメ係がCDをそうっと止める。
ピアノから流れ出るはショパンのノクターン。つまりバレエ音楽としての『レ・シルフィード』の最も知られた曲が始まるや、部屋の入口から白いドレスに白いショールをまとった10人程の素足の女性たちが、さあーっと現れ、音楽に乗ってピアノ周辺の空間を緩やかに舞い始めたのである。
夜会に参加していた皆がびっくり仰天。
どちら様?
名もなき脱落メンバー?
去りゆく女性陣を、有出絃人が手なずけた?
遅れての登場は、こっそり練習してたから?
それにしても、良く踊れてるじゃないの。
滑稽なサル芝居でないことは確かよね。
バレエに詳しい安部真里亜やファゴットおじさんは、殆どぶっつけ本番で適当に舞っているだけのような即興風で前衛的なこのダンスに、ミハイル・フォーキンによる原振付けも巧みに活かされていることを見抜き、感動していた。
曲の途中で彼女達が立ち往生して恥のかき捨てにならぬよう、ポイントだけ抑えて、あとは自由に踊って良いよう手短に指導したに違いない。
彼女らにしてみれば、きっとスリリングで楽しい思い出となるだろう。
曲を終えて、シルフィード達は端から順に軽く礼をしながら、唖然とする一同を尻目にドアの外に1人、また1人と軽やかに去ってゆく。
詩人=絃人はピアノから離れ、憧れの思いを秘めてシルフィードらに腕を伸ばし、最後の1人を追うように走り去っていった。
今のは、いったい???
「まさしく、ディアギレフやフォーキンがニジンスキーと共に描いた『バレエ・ブラン』、白いバレエの世界でしたな」
意識を取り戻したファゴットおじさんによる感動の込められた説明に、一同もため息と共にようやく納得する。
趣向を凝らした皆の仮装も演出も、詩人=有出と名もなきシルフィードらに全て喰われた感がなくもない。冗談にしてもあっぱれすぎる。
冷静な撮影クルーは即座にシルフィードや詩人の後を追い、閉まりゆくエレベーター内の彼らに「何か一言、説明を!」と声をかけるが、絃人が、
「シルフィード達は喋れないんで。あと、もう真夜中だし、僕は彼女らをあちらの世界に送ってかなきゃならないんで」
と聞こえたところでドアは閉まり、エレベーターは下っていった。
あちらの世界って、メイン館のことだよな?
フロアに残されたカメラと音響、照明係の3人は、少しぞくっとしながら顔を見合わせるのだった。
次回16.「『脱落』じゃなくて『勝ち抜き』バトルにしませんか?」(8/29土曜日 深夜0時公開)に続く.....
参考動画The Young Indiana Jones Chronicles
31:10〜注目の即興ダンスシーンです♪♪
※ コメント欄 お喋り参考写真
