
中央区の桜が満開でした。入船、湊、新川、佃の桜と小さな神社へ。
4月1日、中央区入船の桜川公園近くでの自費ヘルパーの仕事です。
終わったら佃にある神社へ行ってから帰ろう。途中に桜があった記憶もあるし。

桜川公園


施設から、タクシーで水天宮近くの美容院への外出に同行します。しっかり支える必要があります。


桜川公園近くに戻り仕事終了です。
八丁堀に住んでいた母親の歩行が危うくなり、車での買い物同行援助で毎週行っていた佃のリンコススーパー。道中に桜があった記憶があったのです。
南高橋に向かいます。



その向こうは茅場町です。
新川
橋を渡った左側に小さな神社がありました。
徳船稲荷神社




中央大橋を渡って佃へ

母と見た桜は、たぶんこれです。25年前は幼い桜だったかもしれません。

中央大橋はモダンなデザインです。





右側のタワーマンションの1階に「リンコス」スーパーがあります。
駐車場完備です

八重洲通りをしばらく進んで、右に曲がって神社を探そう。
マップがありました。

「佃波除稲荷神社」の文字が目立っていませんか?
右上に大きく解説が出ている「住吉神社」に目が行きませんでした。


波除・花咲稲荷大明神










佃小橋 つくだこはし



ここで写真は終わりです。
お参りは済んだと思って、通りかかったタクシーで八丁堀へ戻って帰ってきてしまいました。都会はタクシーが通りかかるのです。
3時間半の仕事の後で疲れもあり、雨で傘をさし、地図の確認を怠りました。橋を渡って右に行けば「住吉神社」があったのです。
次にいつ行けるか分からないのでホームページを載せておきます。

歴史
神功皇后三韓征伐の際、住吉三神の御守護により無事達成され、その帰途、摂津国西成郡田蓑島(現 大阪市西淀川区佃)にて、住吉三神を遥拝なさいました。これが大阪佃の住吉の社(現 田蓑神社)の起こりです。
その後、天正年間より大阪田蓑島の人々と徳川家康公とが深い関わりを持つようになり、家康公の漁業の傍ら田も作れとの命により、村名を田蓑から佃へと改め、また田蓑の名を残すため神社名を住吉神社から田蓑神社へと改めることとなりました。
その後、家康公が関東下降の際、摂津国佃の漁夫33人と住吉の社の神職平岡権大夫好次が分神霊を奉載し江戸へ下り、寛永年間に幕府より鐵砲洲向かいの干潟を賜り築島しました。そして故郷の名をとり佃島とし、この地に社地を定め、正保3年(1646)6月29日 住吉三神、神功皇后、徳川家康の御神霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起源です。
佃島は江戸湊の入口に位置し、海運業、各問屋組合をはじめ多くの人々から海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めました。
その後、月島、勝どき、豊海、晴海と埋め立てが行なわれ、その地域の産土神(氏神)として信仰されています。
中央区の桜とビルの写真は、雨の中でも映えていたように思います。
桜は土手や富士山や電車や川に映えますが、ビルとも合いますね。
ちょっと残念ですが、櫻はきれいでした。
ではまた。