
北保木間には、山王神社があります。道の名前も山王通り。西光寺もあります。
北保木間は竹の塚から花畑団地へ行く途中のバス停の名です。花畑に近い保木間の北側という意味で使っています。
保木間5丁目へ4週前から、自費ヘルパーの仕事で行っています。サービス付き高齢者住宅です。介護職とケアマネの経験があっても、訳のわからないところです。このことについては、別に書きます。
南側の保木間4丁目には社寺が多くあります。
竹の塚から花畑の鷲神社へ向かうラインにはところどころ古い路もあり、寺院や神社がつながっている様に見えます。


上の地図で赤い丸を付けた「山王神社」と「西光寺」にお参りしました。

阿弥陀院・玉蔵院は次の機会に。

。縦の道には「山王通り」の看板が立っています。マップには載っていませんでした。
山王神社
祀神は、大山咋命と大己貴命となっています。
AI による概要
大山咋命(おおやまくいのみこと)は、日本神話に登場する比叡山や松尾大社の神(地主神)です。「大きな山の杭(主)」を意味し、治山・治水・農耕・酒造の神として信仰されています。日吉大社(滋賀)の主祭神であり、京都の松尾大社などでも祀られる、厄除けや縁結びの神様です。
AI による概要
大己貴命(おおなむちのみこと)は、日本神話に登場する重要神で、出雲大社の御祭神として知られる大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名・青年期の名前です。慈悲深く、因幡の白兎を助けた神話や、少彦名命と協力して国造り(国土経営)を行った神として有名です。
山王(さんのう)神社は、比叡山延暦寺の守護神である「山王権現(日吉大神)」を祀る神社です。
概要由来: 比叡山の地主神(大山咋神)を、天台宗の開祖・最澄が中国の天台山になぞらえて鎮守神として祀ったことが始まりです。
神仏習合: 仏が仮の姿で日本の神として現れた「権現」の一つであり、江戸時代には「山王一実神道」という独自の信仰も生まれました。
神使(しんし): 猿が神の使いとされ、「魔が去る(まさる)」として厄除けの象徴とされています。。

残念な手水舎



社殿

奥殿

力石


手水舎に水が無く、社務所が無く、集会所があるパターンだ。
お参りする人も見掛けない。
にぎわう神社と、
地域のまとまりの機能を果たす神社。
保木間山王神社は後者のようだ。
西光寺
通りがかると、山門の威容(ちょっと大げさか)が引き付ける。

提灯を掲げ、開かれた印象の寺なのに
墓地の案内が前面に出ると少し残念な気がする。

Google検索すると、墓地案内がずらすらと前面に出てくる。
運慶作の阿弥陀像を持つ寺院である。

門前左側には、万延元年造立の「成田山これより十六里」の道標がある。これは成田山参詣の道しるべであり、当時は休憩所として賑わったという。
正面に不動明王を彫り、「成田山これより16里、榎戸迄20丁、大鳥之20丁」と書かれている。江戸の末期、万延元年(1860)11月に作られたもので、当時、成田詣での道しるべ、休憩所としてにぎわったといわれる。
大鳥とは鷲神社。おおとり、と読む。鷲神社は北東にそれる。推測のオレンジ色の矢印の道です。
が、南花畑の榎戸方面は綾瀬川で江戸方面へ繋がる。また真東に成田山があります。

水色の矢印、榎戸方面は匠橋の水路もあります。
鷲神社へのお参りと、成田山方面のお参りへ分かれる道しるべでしょう。


旧・成田街道は現在の国道14号や国道296号などにおおむね引き継がれており、歴史の痕跡(道標や一里塚など)をたどりながらウォーキングを楽しむことができます。
日本橋から江戸川区を通って習志野から成田の南側へ抜ける道がある。
保木間を通る人は何処を出発しているのだろう。
江戸の北側に住んでいた人は、いったん習志野や千葉へ南下しない道を通ったのだろう。
本堂


不動堂

六地蔵さま



庚申塚

先日の成田山へのバスツアーでは習志野を通る主要道路で行きました。
足立区の保木間に成田山への道しるべがありました。
ではまた。