
短編小説|花火の夜、きみはこっちを向かなかった
和彦がいない。
夕方6時に、改札近くの売店の前。
昨日の電話で、2回も確かめたのに。
改札から人が出てくるたび、
わたしは背伸びをした。
和彦と同じくらいの背丈の
男の子を見つけるたび、顔を確かめる。
違う。
また違う。
わたしは浴衣の袖を押さえ、
もう一度、改札を見た。
昨日の夜、
わたしは和彦のおばあちゃんの家に
電話をかけた。
おばあちゃんが
和彦に代わってくれた。
『もしもし、恵子?』
「うん、明日の花火なんだけどね」
『おう、6時でいいよな?』
「6時ね。うん、いいよ」
『浅草駅の改札出たところな』
「どのへん?」
『川の方』
「それじゃ分かんないでしょ」
電話の向こうで笑った。
和彦は沖縄へ引っ越して、
久しぶりに東京へ帰ってきた。
そういうところは変わらない。
結局、改札の近くの売店まで決めた。
『じゃあ、絶対そこな』
「和彦が間違えないでよ」
『そっちだろ』
それが昨日。
腕時計を見る。
待ち合わせの時間は、
とっくに過ぎていた。
それでも、もうしばらく待った。
和彦のおばあちゃんの家へ電話しようと、
売店を離れた。
けれど、公衆電話には長い列ができていた。
わたしは10円玉を巾着に戻し、
売店へ引き返した。
やっぱり、和彦はいなかった。
人はさっきより増えていた。
そのとき、
駅の待ち合わせ用の伝言板に、
自分の名前を見つけた。
恵子へ
遅くなった。雷門の前にいる
6時25分 伊勢 和彦
わたしが売店を離れた後だった。
「もう!」
わたしは雷門の方へ急いだ。
駅前より人が多い。
大きな提灯が見えてきても、
和彦の姿は見つからなかった。
雷門の前は、人、人、人。
わたしは背伸びをした。
「和彦!」
声を張っても、
人の声に混ざった。
「恵子!」
振り向いた。
端の方で、
和彦が片手を上げていた。
わたしは人を避けながら近づいた。
「わたし、ずっと売店で待ってたんだけど!」
「メンゴ、ちょっと遅れた!」
「ちょっとじゃないでしょ!」
「急いで売店には行ったんだよ。
でも、恵子いなかったぞ!」
「わたし、公衆電話探してたの!」
「あ……じゃあ、そのときか」
2人とも黙った。
和彦の額に汗が浮いている。
浴衣の襟元も、少し汗ばんでいた。
わたしは息を吐いた。
「……ま、いっか」
「そうそう、せっかくだしさ」
和彦が笑った。
わたしも笑った。
「ひさしぶり」
「うん……ひさしぶり」
和彦がわたしの浴衣を見た。
「似合ってる」
「……急に何?」
「思ったから言っただけ」
空は、
さっきよりずっと暗くなっていた。
夜空が光った。
遅れて、大きな音が届く。
「あ」
最初の花火だった。
「始まっちゃった!」
「ここから見っか」
「ここじゃ見えないでしょ」
建物の向こうで、また夜空が光った。
「行こう」
駅の方へ戻ろうとしたけれど、
人の流れでほとんど進めなかった。
「こっちから回ろう」
川へ出る道を避け、
和彦の後ろを歩いて建物の間を進んだ。
和彦がわたしの袖をつかんだ。
「はぐれたら困るだろ」
「誰のせいだと思ってるの」
「だから」
袖をつかんでいた手が下りて、
そのままわたしの手を握った。
「これなら、はぐれない」
「……子どもじゃないんだけど」
「じゃあ離す?」
「別に」
和彦は離さなかった。
わたしも手を抜かなかった。
さっきまで気にならなかった
手のひらの汗が、急に気になった。
小さい頃は、
こんなに大きな手じゃなかった。
言問橋へ近づくほど、
人の列が詰まっていった。
「でーじ、人多いな」
「でーじ?」
「ああ。すごく、ってこと」
「そんな言葉、
前は使ってなかったじゃん」
「向こうでみんな言うから」
わたしは和彦を横から見た。
「もう、すっかり沖縄の人だね」
和彦がこっちを向いた。
「東京の人だよ」
すぐ前を向く。
「今は沖縄にいるけど」
「どっちなの」
「東京」
言い切った。
「ほかにも覚えた言葉ある?」
「あるよ」
「じゃあ教えてよ」
「……そのうちな」
「なにそれ」
和彦が笑った。
また花火が上がった。
今度は建物の間から丸く見えた。
歩きながら、和彦が言った。
「来年、東京の大学、受けるから」
「え? じゃあ、戻ってこられるの?」
「親父が決めたとこ、受かったらな」
「……受かりそう?」
「まだ、わかんね」
和彦は黙った。
わたしは、つないだ手を見た。
受かってほしい。
「……受からなかったら?」
和彦は前を向いたまま黙った。
「向こうの大学行く」
「……そっか、そうなんだね」
わたしは前を向いた。
つないだ手は、そのままだった。
歩いているうちに、
人の流れはほとんど動かなくなっていた。
わたしたちは道の端へ寄った。
両側に建物が並び、
その上を電線が横切っている。
隙間から、
花火の上半分だけが見えた。
もっと先へ行けば、
きっとよく見える。
でも、その先は
人の背中で埋まっていた。
「もう少し行く?」と、わたしは聞いた。
「ここでいいよ」
「もっと見えるところあると思うよ」
「いいって、ここで」
「せっかくなのに」
「花火見に帰ってきたわけじゃないし」
「じゃあ何しに帰ってきたの?」
和彦がこっちを見た。
「ばあちゃんに会いに」
「あ、そ」
「なんだよ」
「別に」
和彦が笑った。
手は、まだつながったままだった。
大きな花火が続けて上がった。
建物の上で赤い花火が開き、
電線の向こうで白い光が重なった。
つないだ手が、一瞬だけ明るくなった。
その向こうから、黄色い花火が上がった。
大きな音が、腹に響いた。
周りから歓声が上がる。
わたしは空へ向かって叫んだ。
「たまやー!」
和彦が吹き出した。
「何笑ってるの」
「思ったより声でかいな」
「花火なんだからいいでしょ。
そういえば、沖縄でも花火のとき何か言うの?」
「……うーん、どうかな」
和彦が空を見た。
わたしと目が合うと、
すぐに視線を空へ戻した。
和彦の手に力が入った。
次の花火が上がった。
白い光が開き、
和彦の横顔を照らした。
光が消える前に、
和彦が息を吸った。
和彦が空いている手を口の横に当てた。
「かなさんどー!」
周りの歓声に負けない声だった。
「かなさんど?
それ、沖縄のたまやー?」
和彦はまだ空を見ていた。
「うん、そんな感じ」
わたしは笑った。
和彦も笑った。
大きな花火が開いた。
わたしは、つないだ手を握り返した。
あの夏のあと、
和彦は東京へ戻ってきた。
それから何度も、一緒に花火を見た。
小さな息子を肩車した和彦が、
空を見上げて笑った。
「かなさんどー!」
わたしたちの髪に
白いものが混じってからも。
3年前の夏。
「かなさんどー!」
それが、
花火を見上げる和彦を見た最後だった。
今年もまた、花火の季節が来た。
「ばあば、見て!」
孫が空を指さした。
建物の向こうで、大きな花火が開いた。
息子はスマートフォンの画面を見ながら言った。
「母さん、もうちょっと向こうの方が
よく見えるみたいだよ」
「行かないよ」
「ここからすぐだし、
建物もかからないって」
「ここがいいの」
息子が画面から顔を上げた。
「もしかして、ここ?」
「ん、なに?」
「前に言ってた、
父さんと初めて花火を見た場所って」
「そう。この辺り」
わたしは空を見た。
言問橋の方まで、
人で埋まっていた。
あの頃とは、建物もずいぶん変わった。
それでも、川から少し離れたこの辺りでは、
今も電線が空を横切る。
その向こうで、花火が開いていた。
孫が息子の手を引いた。
「パパ、あれ高いよ!」
赤い花火が夜空いっぱいに開いた。
白が重なり、
その向こうから黄色が上がる。
孫が両手を口の横に当てた。
「たまやー!」
わたしは笑った。
「じいじはね、
花火が上がると『かなさんど』って
言ってたよ」
孫が首をかしげた。
「かなさんど?」
「沖縄のたまやーみたいなものなんだって。
じいじが、そんな感じだって言ってたの」
息子が言った。
「そういえば、父さん、
花火のたんびにそれ言ってたな」
息子がスマートフォンの画面を操作した。
こちらへ向けかけて、やめた。
「母さん……
『かなさんど』って、
こういう意味だって」
今度は、こちらへ向けた。
画面には、
『愛してるよ』とあった。
わたしは画面を見たまま、
しばらく黙った。
花火の音に、顔を上げた。
「……なんとなく、そんな気はしてたよ」
花火が開いた。
「でも、1回くらい、
こっち向いて言ってくれてもよかったのに」
孫が空を指さした。
「ばあば、あれ高いよ!」
「うん」
大きな花火が上がった。
孫がまた空へ叫ぶ。
「たまやー!」
わたしも空を見上げた。
「かなさんどー!」
孫が笑った。
「おーい、恵子。遅くなった」
振り向くと、
浴衣姿の和彦が、人を避けながら歩いてきた。
片手にコンビニの袋を提げている。
和彦が袋を持ち上げた。
「いやあ、
人だらけで時間かかっちゃったよ。
ビールは買えたぞ。柿の種も」
花火が上がった。
和彦が空を見上げた。
「一緒に花火見るの3年ぶりだな」
わたしは和彦を見た。
「ねえ、和彦」
花火が上がった。
「いつものやつやらなくていいの?」
和彦が笑った。
花火を見上げ、片手を口の横に当てた。
わたしは、
和彦の浴衣の袖のあたりへ手を伸ばした。
「そっちじゃなくて、さ」
和彦が、わたしの目を見た。
読んでくださって、本当にありがとうございます。
※本作はフィクションです。
ご紹介くださった記事
これまでに僕の作品を読んで、
記事にしてくださった方がいます。
本当にありがとうございます🙇
遠井秀哉 さん 別名:炎威秀哉 さん
書いてくださった記事は、
大切に読ませていただきました🥹
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