
鳥には鳥の、人には人の。【寒露】
またひとつ、季節が変わる。
つい数日前まで、半袖のシャツを着ていたが、急に、この短い袖では朝晩の冷たい風には心もとないと感じるようになってきた。
夏の節気は、字面からすると少々的外れなものが多かった気がするが、秋の節気は納得感のあるものが多い。
10月8日の寒露も、白露、秋分ときて、草木についた露が冷たさを帯びてきた時期と捉えれば、なんと詩的で美しい表現なのだろうと思う。
そして、私は秋の終わりを意識している。
冬の訪れを感じるほどではない。
ただ「ああ、秋が終わっていくんだなぁ」と感じるのは決まってこの頃のように思う。
日は短くなり、茜に焼けた夕空には、雁が列になって飛ぶ。
その列をベランダで眺めながらふと思いを馳せる。
雁たちは、どこからやってきて、どこに向かっているのだろう。
ひたむきに翼を動かす姿は、次第に離れていき、いつしか線のようになっていく。
私は、少しだけ胸の中が熱くなる気がした。
翼があれば、雁のように遠くを目指せるだろうか。
行く宛ても、目的地などもないのかもしれない。
それでもただ、ひたむきに、どこかに向かって飛んでいく。
そういえば、今年、似たようなことを考えたことがあったな。
そうだ、ツバメが巣立つ時だ。
小さな体で、大きく口を開けていたツバメの子たち。
気がつけば、立派になって、巣だけを残してどこかに飛んでいった。
彼らはどこに行ったのだろう。
そんなことを考えたまま、雁のいなくなった夕日を、ひとり眺めていた。
ふと、時計に目をやる。
鳥には、鳥の。
――人には、人の。
それぞれ違った時間があるのだ。
ベランダから料理の途中だったキッチンに戻る。
刻まれた葱や、白菜、豆腐が並ぶ。
今日は今年に入って初めての鍋だ。
私は、冷蔵庫から取り出した鴨肉に包丁を力強く押し当てた。
この記事ははしさんの、続けるだけで季節の移ろいに敏感になれる神企画、#私の二十四節気 の参加記事です。
積み上げた情緒的な感傷も、哲学に思いを馳せたベランダも、全ては食欲の秋の元で一刀両断される。
え?余韻がない?
そりゃないでしょう。
それは私より得意な人に譲ります。
私の持ち味はこれなんですから。
といいつつも、毎回、この企画に参加する度に、はしさんから怒られないだろうかと冷や冷やしながら、スリルも味わっている私。
今回は、主題も間違えてないし、何重にも寒露らしさがかかってるから・・・いい……よね?
鴨鍋食べたいな。
和風の出汁にして甲州でもいいだろうし、少し醤油やカツオを利かせれば、ガメイやマスカットベーリー Aなんかも合いそう。
鍋は日本酒と思われるかもしれませんが、びっくりするほどワインと合います。
それに水分補給もできるし、アテがいつまでたってもなくならない。
おすすめなんです。
やっぱり、私にとっては、秋は食欲だなー。
以上、安芸の広島からお届けしましたー!