
なんのはなしですか── Paradigm Shift《その179》美術と科学と心理学vol.3
写真が登場したとき、
美術は、ちょっと困ったのではないだろうか。
……いや、
困ったというより、
「役割を変えるチャンス」が、
突然やってきた。
そんな感じかもしれない☺️
──写真がなかった頃。
誰かの顔を残したい。
風景を残したい。
出来事を記録したい。
そのためには、
人間が描く必要があった。
だから、
「見たものを、できるだけ正確に描く」
ことには、大きな価値があった。
肖像画なんて、
今でいうプロフィール写真のようなもの
だったのかもしれない。
もちろん、
もっとずっと特別なものだけれど。
──ところが、写真が登場する。
カシャッ。
……である🤣
もちろん、
実際にはそんなに簡単ではない。
でも、
「現実をそっくり残す」という役割を、
写真は、ものすごい勢いで引き受けていった。
すると、絵画は、
ちょっと考えることになる。
「じゃあ、僕たちは、何を描こう?」
ここで、面白いことが起きる。
絵画にしかできないもの
「見たものを、そのまま描く」
という価値から、
「自分には、どう見えているのか」
という価値へ。
視点が、少しずつ動いていく。
セザンヌ。
彼の絵を見ていると、
「現実をそっくり写す」というより、
「自分が世界をどう捉えているか」
を描いているように感じる。
山がある。
リンゴがある。
テーブルがある。
でも、
それは、
ただの山やリンゴではない。
「僕には、こう見えている」
という、一人の人間の視線が、
そこに残っている。
そして、
ピカソ。
さらに、世界は、
分解されていく。
正面から見た顔。
横から見た顔。
一つの瞬間に、
一つの視点だけではなく、
複数の視点が、
一枚の中に同居する。
「現実って、本当に、
一つの角度から見えるものなの?」
そんな問いまで、絵の中に入り込んでくる。
ここで、
前回の話を思い出す。
人間と蜂では、
世界の見え方が違った。
だったら、
人間同士でも、
違って当然だ。
そして、
画家が描いているのは、
「世界そのもの」ではなく、
その人が、
世界と出会ったときに生まれた、
一つの景色なのかもしれない。
そう考えると、
「ありのままに描く」
という言葉も、少し不思議だ。
ありのまま。
・・・でも、
誰の?
僕の?
あなたの?
カメラの?
蜂の?
AIの?
そもそも、
「ありのまま」という言葉自体が、
ずいぶん人間らしい☺️
そして今。
写真だけではない。
スマートフォンで、
誰でも高精細な写真が撮れる。
画像編集もできる。
そして、
AIまでやってきた。
「こんな画像を作って」
と頼めば、存在しない景色まで、
それらしく作ってくれる。
「見たものを再現する」どころか、
「まだ見たことのないものを、
それらしく見せる」
ところまで来てしまった。
フェイク動画も作れる。
これは、良くも悪くも
なかなかすごい🫢
じゃあ、
AIが絵を描けるようになったら、
美術は終わるのだろうか🤔💭
たぶん、
そういう話ではない。
写真が登場しても、
絵画は終わらなかった。
むしろ、
「正確に描く」以外の、
たくさんの可能性が開いていった。
だから、
AIの登場も、もしかすると、
同じようなParadigm Shiftなのかもしれない。
「人間が上手に作る」ということの価値が、
少しずつ変わっていく。
上手に描く。
正確に描く。
きれいに描く。
それが、
人間だけの特権ではなくなったとき、
人間は、何を描くのだろう。
……なんのはなしですか。🤣
たぶん、次は文章の話になる。
美術から、
文章へ。
キャンバスから、
画面へ。
そして、
絵筆から、
AIへ。
💧 BLUEのしずく
写真は、絵画から「再現」を奪った。
でも、その代わりに、
絵画へ、
「あなたは何を見ているの?」
という問いを残した。
もしかするとAIも、
同じことを、
僕たちに問い返しているのかもしれない。
《A Drop Remains.》💧
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