
【2025】「人民公社」は終わっていなかった? 中国の国立大学で実感する、家事の社会化の恩恵。
皆さんは、「人民公社」をご存知でしょうか。
中国の歴史に出てくるこの言葉を、私は頭の片隅にしまい忘れていました。
けれど、中国華南の国立大学で日本語教師として暮らすようになってから、少しだけ違う見え方をするようになりました。
もちろん、今の大学生活が人民公社そのものだと言いたいわけではありません。
ただ、食事や住まいといった暮らしの一部が個人任せではなく、ある程度仕組みとして支えられているのを見るたびに、「家事の社会化」という言葉を思い出すのです。
炊事と食事の社会化
人民公社は、計画経済のもとで、中国が独自の社会主義社会を築こうとした大きな試行錯誤の1つだったと言えると思います。
その中でも、炊事や食事を無料で共同化する仕組みは、理想としては魅力があっても、長く維持するのは難しかったようです。
実際、こうした仕組みの多くは、1960年代の初めには見直されたと言われています。
ただ、炊事や食事を社会の側である程度引き受けることには、もちろんメリットもあります。
現在の中国では無料ではなく、安価という形ですが、その発想は、とりわけ国立大学の中に残っているように私には感じられます。
学生は勉強に集中しやすく、教師は教育や研究に力を向けやすい。
中国の国立大学には、そうした環境を支える仕組みが今も息づいているのではないでしょうか。
私自身、学内の食堂や宿舎に支えられながら暮らしていると、生活の負担が軽くなることが、これほど仕事への集中につながるのかと実感します。
北京の国立大学での留学生時代
実は、私が中国の国立大学で生活するのは、今回が初めてではありません。
2000年、私は語学留学のために北京へ渡りました。
当時の宿舎は相部屋で、同室だったインドネシア系華僑の留学生に気を遣う場面も多く、正直に言えば、住環境としてはあまり快適ではありませんでした。
その一方で、食堂はすぐに利用できたので、私は毎日のように通っていました。
当時の国立大学の中国人学生は、今の大学生以上に熱心に勉強していたように思います。
早朝に散歩をすると、あちこちで英語や日本語を音読したり、暗唱したりしている学生の姿を見かけました。
学内には、たしかに学びの空気がありました。
その雰囲気に触発されて、私自身も中国語の勉強に懸命に取り組んでいました。
振り返ってみると、私が中国の国立大学に学びの空気を感じたのは、そのときが最初だったのかもしれません。
日本の私立大学時代、私はアルバイトで学費を稼ぎ、6畳ほどのアパートで自炊をしながら学んでいました。
だからこそ、中国の国立大学に留学したとき、学びに集中しやすい環境のありがたさが身にしみました。
生活に追われすぎないことは、それだけで大きな教育条件なのだと思います。
深圳のコンサル会社での営業
深圳のコンサル会社では、貿易通関、人事労務、会計税務、外貨決済まで、幅広い分野に対応していました。
そのため、私はいつも何かを学びながら働いていたと言えます。
もともと私は、転職の際に給与だけを見るのではなく、その仕事に自分にとっての学びがあるかどうかを重視してきました。
新しい知識や経験が得られる職場であれば、多少大変でも働く意味を見いだせたからです。
ただ、前職では次第に状況が変わっていきました。
離職者が出ても、後任がなかなか補充されなくなったのです。
入社当初は3人で回していた仕事を、やがて2人、最後は1人で担わなければならないような状態になりました。
こうなると、仕事を通じた学びは急速にやせ細っていきます。
新しいことを吸収する余裕よりも、目の前の業務をどうにか回すことが優先されるからです。
しかも、時代はAIの活用が広がる方向に進んでいました。
本来なら、その変化に備えて学び直す時間が必要な時期だったはずです。
それにもかかわらず、日々の業務に追われ、将来に向けた学びにまったく手が回らない。
私はそこに、強い行き詰まりを感じるようになりました。
AI社会の到来に備えて
AI社会の到来に備えて、私はセカンドキャリアとして中国の国立大学に戻ってきました。
北京では学生として学び、今の華南では日本語教師として働いています。
立場は変わりました。
けれど今の私は、留学生だったころ以上に、中国の国立大学は学びに向いた場所だと感じています。
学生は勉強に集中しやすく、教師も教育と研究に力を注ぎやすい。
その環境の価値を、教える側になった今、以前よりも強く実感しています。
もちろん、日本語教師である以上、日本語教育を学び続けることは欠かせません。
ただ、これからの時代は、それだけでは足りないとも感じています。
AIが社会に深く入り込む今、教える側もまた、AIを学ばなければならない。
私はそのことを、日々の授業の中で強く感じています。
日本では中国のAIというと、話題にのぼりやすいのはDeepSeekかもしれません。
けれど、私が教えている中国の国立大学の学生に聞くと、実際によく使われているのは別でした。
2年生から4年生では、DeepSeekよりもTikTokの運営企業 ByteDanceが運営する豆包(Doubao)を使っている学生のほうが多く、半数以上を占めていました。
その違いを知って、私は学生を理解するためにも、自分で豆包を使い始めました。
教える内容だけでなく、学生がどんな道具に日常的に触れているのかを知ることも、これからの教師には必要だと思ったからです。
そして日本のAIは、Yahoo! JAPANのAgent iを使っています。
中国と日本で使われ方の違うAIに実際に触れることが、これからの学びにつながると感じています。
それを意識するようになったのは、ビジネス日本語の授業で、アメリカのOpenAIと中国のDeepSeekを取り上げたことがきっかけでした。
AI業界では、こうした動きが米中の競争として語られることがあります。
その一方で、日本も無関係ではありません。
ソフトバンクグループはOpenAIとの提携や投資を積極的に進めており、日本でもAI活用の広がりが期待されています。
私の学生は日本語を専攻しています。
だからこそ、日本語ができることは、文法や会話のためだけでなく、日本のAIを日本語で使いこなす力にもつながります。
AIの普及によって、外国語を学ぶ意味そのものが問い直されているとも言われます。
それでも私は、日本語ができることには、これから別の価値が生まれると感じています。
日本語を通じて日本の情報に触れ、日本のAIを使いこなし、日本社会の変化を自分の言葉で理解できる。
それは学生にとって、これからの時代の確かな強みの1つになるかもしれません。
セカンドキャリア1年目は、目の前のことをこなすだけで精一杯の毎日でした。
それでも振り返ると、その1年には多くの学びがありました。
いま私は、AI社会の到来に備えながら、ようやく自分なりの試行錯誤を始められるところまで来ています。