
【2025】余裕なし、カードなし、名簿なし。中国の国立大学に着任した私が、走りながら授業を始めた話
日本では4月が新年度ですが、中国の大学では9月がその始まりです。
だから日本語教師にとって9月は、1年で最も慌ただしい時期になります。
とくに大変なのは、新任教師です。
2年目以降の教師には夏休みがありますが、急に採用が決まった新任教師は、その余裕がありません。
9月のスタートと同時に、いきなり繁忙期の中へ入ることになります。
私も、引っ越しや学内システムへの登録など、授業前の準備に追われました。
就労ビザ申請は不要でしたが、それでも思った以上に大変でした。
授業が始まる前から忙しい。
それが、新任教師の現実です。
夏休みは教員も職員もお休み
本校では、夏休みに入ると教員も職員もほとんど休みに入ります。
そのため、学内の手続きは思うように進みません。
新任教師にとっては、これが意外に大変です。
私も引っ越しのために学内へ入る必要がありましたが、当時はまだキャンパスカードを受け取っていませんでした。
校門ではカード確認があるため、関係者以外は原則として入れません。
そのたびに、Z先生やG先生に校門まで迎えに来てもらっていました。
自分のキャンパスカードを手にしたのは、9月2日です。
この日から、ようやくキャンパスを自由に出入りできるようになりました。
新任教師の大変さは、授業が始まってからではありません。
授業が始まる前に、まず学内で自由に動ける状態になるまでが大変なのです。
もちろん、こんなに早くキャンパスカードを交付してもらえたのは、直属上司のG先生が学校側に積極的に働きかけてくださったからです。
ただ、そのためには私自身も必要な手続きに次々と協力しなければならず、毎日かなり慌ただしく過ごしていました。
しかも、キャンパスカードを受け取ったあとも、すぐにすべてが整うわけではありませんでした。
学内システムに登録されるまで、さらに約1週間かかりました。
すでに授業は始まっていたのに、私は大学のシステムに入れませんでした。
そのため、担当クラスの名簿も分からないまま授業に向かうしかありませんでした。
幸い、各クラスには学習委員さんがいました。
1回目の授業のあとで、クラス名簿や欠席者を教えてもらうことができ、本当に助かりました。
新任教師の9月は、授業準備を終えてから始まるのではありません。
走りながら、必要なものを1つずつ整えていく。
私にとっては、そんなスタートでした。
本来なら、出欠を管理するのは教師です。
それなのに私は、出欠を把握するために学生の助けを借りなければなりませんでした。
教える側なのに、支えられなければ授業が回らない。
あのときは、少し情けない気持ちもありました。
こうしたことは1例ですが、当時は民間の企業や学校ではなかなか考えにくいような場面にも何度か出会いました。
とはいえ、Z先生やG先生を責める気持ちはありません。
お2人も9月は本当に多忙で、新任教師に付きっきりになれる状況ではなかったからです。
気づいていても手が回らない。
それが繁忙期の現実でした。
大きな組織の難しさ
なぜこんなことが起きたのか。
Z先生やG先生によると、前任の日本人教師が急に辞めてしまったことも大きかったようです。
たしかに、本校を内側から見ていると、日常的な業務は比較的スムーズに回っています。
一方で、予定外のことが起きたときには、少し対応がもたつく傾向があるようにも感じました。
もちろん、立場が違えば見え方も変わります。
現場で動く人には現場の事情があり、外から見ているだけでは分からないことも多いはずです。
そしてそれは、私自身についても同じです。
新任教師として迎えた9月を振り返ると、自分にも反省すべき点があり、今後に向けた課題も残りました。
そのうえで、現時点で私が感じているのは1つです。
本校は規模がかなり大きい。
だからこそ、中小規模の組織に比べると、どうしても機敏な対応はしにくいのだと思います。
大きな組織には大きな組織の安定感があります。
けれどその一方で、想定外の出来事が起きたときには、現場にしわ寄せが出やすい。
私が9月に経験した慌ただしさは、その一面だったのかもしれません。
少し遠回りになりますが、ここで改めて本校について触れておきます。
本校は市のほぼ中心部に位置し、高速鉄道の停車駅から地下鉄で数駅という便利な場所にあります。
一方で、キャンパスの中は緑が多く、外のにぎわいとは別の落ち着いた空間です。
食堂はいくつもあり、学内のスーパーで日常生活に必要なものも揃います。
正門では関係者以外の立ち入りが制限されていて、学内には独自の生活圏ができています。
しかも、そこには数万人が暮らしています。
大学というより、小さな町のようだと感じる場面もあります。
本校は、それほど規模の大きな大学なのです。
この規模の大きさを実感すると、イレギュラーへの対応に時間がかかるのも、ある意味では当然なのかもしれません。
大きな大学の中の小さな日本語学科
本校はマンモス大学ですが、その中の外国語学部日本語学科は意外に小規模です。
1学年は数十人ほどで、学科全体でも数百人です。
常勤教師も十数人で、日本語学校と比べても特別大きいとは言えません。
学生の中には、日本の提携大学を含め、日本へ留学する人も毎年数名いるそうです。(写真1を参照)

また、以前は日本人教師が授業時間外に「日本語コーナー」を頻繁に担当していたと聞きました。(写真2を参照)

私も採用が内定した時から、授業だけでなく、その日本語コーナーも担当してほしいと言われていました。
大学全体は大きい。
けれど、日本語学科はむしろ小さい。
このアンバランスさも、実際に働いてみて見えてきた特徴の1つでした。
コロナで中断して以降、日本語コーナーは行われなくなっていたそうです。
Z先生もG先生も、いずれは復活させたいと考えていました。
ただ、私は新任教師でした。
まずは授業をきちんとこなせるようになることが先だと感じていました。
日本語コーナーまで引き受ければ、授業準備にしわ寄せが出るのは目に見えていました。
そのため、事情を説明したうえで、授業に慣れるまでは担当を遠慮したいとはっきりお断りしました。
実際、前職の引き継ぎに時間がかかり、セカンドキャリアの準備期間は予定より1週間短くなっていました。
さらに、着任後の各種手続きも想像以上に煩雑で、本業の授業に集中できる環境はなかなか整いませんでした。
あの時期の私に必要だったのは、新しい仕事を増やすことではなく、まず授業を安定して回すことだったのだと思います。
今振り返っても、「日本語コーナー」を安易に引き受けず、まずは本業に専念することを優先した判断は正解だったと思っています。
9月に待っていたコンテスト指導
面接のとき、スピーチコンテストの学生指導を担当することは聞いていました。
ただ、それが9月の繁忙期と重なるとは、十分に想像できていませんでした。
着任してみると、授業準備や各種手続きだけでも余裕はほとんどありませんでした。
その状態でコンテスト指導まで加わると知り、正直かなり厳しいと感じました。
できれば外れたかったのですが、この担当はこれまでも日本人教師が受け持ってきた役割だったそうで、断ることはできませんでした。
参加するのは3年生4名でした。
ただ、8月下旬になって日本人教師がもう1人いることが分かり、その先輩教師と2人ずつ分担することになりました。
この先輩教師の方には、その後も本当に何度も助けてもらいました。
そのことは、また別の記事で改めて紹介したいと思います。
話を授業以外の業務に戻します。
翻訳コンテストの参加者については、最終的に新任の私が担当することになりました。
面接のときに、中国語ができることを自分でもアピールしていたからです。
実際に学生の中日翻訳を見てみると、内容はフランスの哲学者サルトルと、その著作を紹介する解説文でした。
テーマは「自由と責任」でした。
中国の大学でも、このようなテーマを学びの対象として扱っていることに、私は少し新鮮さを感じました。
時間に余裕があれば、自分でももう少し勉強したうえで、学生に丁寧に指導したかったと思います。
しかし、当時はそれをするにはあまりにも時間が限られていました。
私ができた助言は、それほど多くありませんでした。
日本語版と中国語版のWikipediaを見比べながら、代表的な著作にはすでに定着した日本語訳があるはずなので、自分で新たに訳語を作るより、既存の訳に沿ったほうがよいのではないかと伝えた程度です。
それでも、大学ならではの日本語指導を体験できたことは、私にとって大きな学びでした。
一方で、ご縁のあった学生に十分な指導ができなかったことは、今でも少し心に残っています。
大学の日本語教育の現場では、日本語学校や高校とは違う力が求められます。
それは難しさでもありますが、同時に、この仕事ならではのおもしろさでもあるのでしょう。
ただ、その現場に立ち続けられるかどうかは、自分の思いだけでは決まりません。
契約が延長されなければ、私はこの場を離れることになります。
私の体験から言えるのは1つです。
新任教師にとって何より大切なのは、できる限り本業の授業に専念できる環境を自分で守ることだということです。
お陰で私は契約を延長してもらえ、2年目を無事に迎えることができました。
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