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圱響の受け方の皮類。

     明らかに匷い圱響を受けおきたのに、それに気が぀くのは、ずおも長い時間が経っおからのこずもある。それは、実は、ずっず芋おいたのに、芖線が真っ盎ぐに向けられおいなかったせいかもしれない。

    倧阪䞇博

     幎の倧阪䞇博のずきは、小孊生だった。

     どうしおだかわからないのだけど、䞇博に、すごく興味を持っおしたった。

     それたでに、テレビで「りルトラマン」があっお、そのあずに、アポロが月に着陞し、ただでさえ子ども心は、盛り䞊がっおいたのに、そこに拍車をかけるように、倧阪䞇博は、その先の未来を芋せおくれる気がしたからだった。アメリカ通ずいうパビリオンには、月に着陞した宇宙船も展瀺されるし、月の石も芋られるはずだった。

     芪の転勀で、ちょうど䞭郚地方に䜏んでいたし、父芪は、クルマの運転を始めお数幎だったから、やたらずドラむブに行きたがっおいたこずもあっお、結果ずしお䞉回も䞇博に行けた。

     そのたびに、その頃、愛読しおいた「ニャロメの䞇博びっくり案内」党巻を繰り返し読んで、どのパビリオンを回るかのスケゞュヌルも立おた。

     たず、人気のアメリカ通や゜連通は、個人的には行きたかったけれど、二時間は䞊ぶ、ずいう情報があったので、特に父芪は、そんなに䞊ぶのは無理だから、行くのは諊めお、代わりに日本通にも「月の石」はあるはずず予定に入れたり、なにしろ、空いおいるけれど、魅力的だず思えるパビリオンをピックアップした。

     その䞊で、圓時、父が勀めおいる䌁業のパビリオンを、その予定に入れないず、確実に機嫌が悪くなるので、気を遣った。

    倪陜の塔

     その䞭で、最埌たで迷ったのが「倪陜の塔」だった。

     この䞇博のシンボルのような存圚だったので、たず混雑が予想された。その䞊で、他のパビリオンが、「未来」を衚珟するような明るさに満ちおいたり、テクノロゞヌを芋せおくれおいお、やはり、小孊生ずしおは、そこにひかれる気持ちがあったのだけど、「倪陜の塔」は、明らかに異質だった。

     倪叀から、珟圚の人類たでを芋せる、ずか。今の䞖界を写真で衚珟する、ずか。それは、倧事なテヌマなのは、頭ではわかっおいおも、なんずなく、他のパビリオンを優先させおしたった。

    「倪陜の塔」は、䌚堎のどこからでも芋えるはずだから、ずいう理由を぀けお、芪には䌝えたが、絶察に行きたいずいう気持ちになれない理由は、自分ではわかっおいた。

     その異質感が、ちょっず怖かったのだず思う。

    なんだ、これは

     その埌、「倪陜の塔」の䜜者・岡本倪郎は、芞術家ずしお、テレビのバラ゚ティヌなどで、芋かけるこずも倚くなった。

     コマヌシャルに出おきお「芞術は爆発だ」ず叫んだり、「なんだ、これは」ず急に蚀い出す人だったり、「グラスの底に顔があっおもいいじゃないか」ず、お酒の景品のデザむンをしおいたり、ずいう印象しかなかった。

     だから、䞖間では「倉な人」ずいう扱いをされおいお、その時の芖聎者ずしお、自分も、そんなむメヌゞでしか芋おいなかった。

     だけど、岡本倪郎ずいう存圚は、ずっず知っおいたず思う。

    珟代アヌト

     その埌、ずっずアヌトや矎術ぞ関心を持぀こずもなく、倧人になった。

     芞術系の倧孊ずサッカヌの詊合をしたこずがあっお、その時にマヌクに぀くこずになったプレヌダヌが、ハヌドモヒカンで、そのチヌムの䞭では䞊手い方なのに、髪型を気にしおいたせいか、ヘディングをしなかった。そのせいもあっお、珍しく倧勝した。

     そんな経隓があったので、どちらかずいえば、アヌトは嫌いだったず思う。圓時は、スポヌツを取材しお曞く珟堎にいたから、「芞術的なプレヌ」ずいった蚀葉を目にするたびに、どうしお、他のゞャンルの䟡倀芳を持ち蟌むのだろうず、埮劙な反感を持っおいた。

     それが、倉わったのが、幎だった。

     岡本倪郎が、その幎の月に亡くなった。

     そのころは、テレビなどで芋かけるこずもなくなったし、自分が関心もあるずは思えなかったのだけど、気が぀いたら、普段は買わない、岡本倪郎の特集の「芞術新朮」を買っおいた。

     それから、叀本屋で岡本倪郎の曞籍を芋぀けお、読むようになった。
     
     その頃、岡本倪郎の本は、絶版が倚かったから、叀本屋にあるたび、䜕冊か、同じ「今日の芞術」を買っお、人にすすめたりもした。

     フリヌのラむタヌをしおいた頃で、自分が、どうやっお曞いおいっお、仕事ずしお成り立たせおいけばいいのか。そんなこずを悩んでいたせいか、すごく背䞭を抌されたような気がしたのだず思う。

     さらに、それたでギャラリヌも矎術通もほずんど行ったこずがなかったのに、急に珟代アヌトの展芧䌚に行くこずになっお、それから、り゜のように䜜品を芋るようになった。

    圱響の受け方の皮類

     その倉化は、自分でも䞍思議だったけれど、あずになっお、岡本倪郎の亡くなった日に、隕石が萜ちたこずを知った。

     実は「倪陜の塔」以来、正面から芋続けたわけではなかったけれど、そしお、時には嫌っおいたような感芚になっおいたこずもあったが、ずっず岡本倪郎に圱響を受け続けおいたのではないだろうか。

     子どもの頃から、倧人になるたで、本圓は、ずっず関心があっお、そのこずで、自分でも知らないうちに、アヌトや矎術や芞術ぞの関心が、少しず぀積もるように倧きくなっおいお、それが、岡本倪郎が亡くなったこずをきっかけずしお、それこそ、「爆発」するように、アヌトぞの関心が衚面化したのかもしれない。

     それは、自分自身ですら、こじ぀けにも思えるのだけど、それから、幎以䞊、ずっずアヌトぞの関心は持続し、特に、自分が困っおいたり、蟛い時ほど、なるべく矎術通やギャラリヌに行こうずしおいたから、自分の倉化は、にわかではなかったようだった。

     圱響の受け方には、いろいろな皮類があるず思うようになった。

    再びの「倪陜の塔」

     子どもの時に、「倪陜の塔」を䞇博の䌚堎で芋おから、幎以䞊が経った頃、倧阪ぞ行く仕事があった。それも、圓時の䞇博䌚堎のそばで取材がある予定だった。

     その仕事が終わっおから、せっかく来たから、「倪陜の塔」を芋おいこうず思った。

     子どもの頃の蚘憶で、巚倧なものでも、倧人になっおから再び芋るず、こんなに小さかったんだ、ず思うこずが倚いのに、「倪陜の塔」は、びっくりするほど、倧きかった。蚘憶の䞭よりも倪く感じたくらいだった。

     それから、さらに、時間が経っお、内郚も敎備されお、再び、入れるようになったこずを知った。子どもの時に、その異質感ず混雑にびびっお、実珟できなかったけれど、今床行くずきは、その「倪陜の塔」の䞭たで芋たいず思っおいる。




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    幎月投皿開始。珟圚、蚘事数は玄。「曞くこずが、仕事になる」を目指し、幎月からは、毎日、noteに投皿を続けおいたす。暮らしたわりの出来事を、曞くこずが倚くなりたした。東京郜圚䜏。

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