
そして誰も一兆円の利息が一兆円だと気づいていなかった
孫正義、9.75%の橋を渡る
文・武智倫太郎(週刊バブルウォッチ編集長)
『一兆円の利息が一兆円だと気づいていなかった』……タイトルからして、少し奇妙である。一兆円と書いてあるのだから、一兆円に決まっている。小学校の算数なら、それで話は終わる。
ところが金融の世界では、数字が大きくなると、なぜか算数が急に難しくなる。
111億ドル。8.625%。9.250%。9.750%。3.5年、5.5年、7.5年。さらにユーロ建てで7.125%と8.000%
数字は全部、公表されている。
秘密文書でもなければ、暗号でもない。誰かが帳簿を書き換えたわけでも、地下金庫から怪しい契約書が出てきたわけでもない。
ただ、元本に金利を掛け、年数を掛け、最後に全部足す。
それだけのことをやってみると、利息はほぼ一兆円になる。
私は三日前に『一兆円とは、どれくらいの金額なのか?』という話を書いた。
普通の人間が一億円の重さを理解しようとすれば、自宅の価格、住宅ローン、生涯賃金、場合によっては死亡保険まで持ち出さなければならない。その一万倍が一兆円である。
そこまで大きくなると、一兆円は金額ではなく記号になる。
ニュースでは『一兆円投資』も『一兆円調達』も『一兆円損失』も、同じ大きさの文字で表示される。孫正義の卓に置けば、一兆円は次の勝負へ参加するための点棒一本に見える。
そんな話を書いた。
ところが三日後に、一兆円は、利息になった。
比喩ではなく、本当に一兆円規模である。
元本1.76兆円、そして利息一兆円
9月24日、SoftBank Groupは総額約111億ドル、発表時の為替換算で約1兆7,632億円となる外貨建てシニア社債の発行条件を決めた。
ドル債は三本で、3.5年物が8.625%、5.5年物が9.250%、7.5年物が9.750%。ユーロ債は4年物が7.125%、6年物が8.000%である。
S&PとFitchの格付けはいずれもBB+。無担保、無保証。
集めた資金の主な行き先は、10月1日に予定されるOpenAIへの第3回、100億ドルの追加出資である。
三月に架けた400億ドルのブリッジファシリティについては、残る未使用枠100億ドルを解約する。
つまり、ブリッジから降りる。
以前にも書いたが、ブリッジは橋だからである。渡るために架けるのであって、そこに家を建てて住むものではない。
SoftBankは、その橋を渡り切った。
ただし、橋の出口には料金所があった。
しかも、なかなか立派な料金所である。
今回発行する各社債を予定された満期までそのまま残し、発表時の為替レートを固定して単純計算すると、支払う名目クーポンの総額はほぼ一兆円になる。
もちろん、将来の為替変動も、期限前償還も、買い戻しも考慮していない。会計上、今日突然一兆円の利息費用が発生したという話でもない。
それでも、金融コストの桁を見るには十分である。
約1兆7,632億円を借りる。そして未来が実現するまでの時間を買うため、予定どおり満期まで借り続ければ、利息としてさらに一兆円近く払う。
以前の記事では『一兆円は卓代である』と書いたが、SBGワールドでは、『一兆円は利息』にもなる。
借金というものは不思議である。借りた瞬間には、銀行口座の現金が増える。その数字だけ見れば、会社は昨日より金持ちになったように見える。
返済と利払いが始まるのは、その後である。
この時間差が、ときどき人間をホルホルと幸せにする。
朝九時、借金ができたので祝杯が上がった
そして今日の東京市場である。
前営業日のSoftBank Group終値は6,315円。今日は6,588円で始まり、寄り付きだけで4.3%高。9時27分には6,793円まで買われ、前営業日比7.6%高まで上昇した。
Yahoo!ファイナンスの掲示板では、寄り付き前の評価で『強く買いたい』『買いたい』が大多数を占め、『社債発行のIRは⤴⤴⤴』という趣旨の投稿まで出ていた。
111億ドル借りられた。
すごい。
OpenAIへ100億ドル払える。
すごい。
買い。
丁。
いや、半。
どちらでもいい。
ボタンを押す。
もちろん、本日の朝の株高を社債発行だけで説明するのは雑である。連休中には米国のAI・半導体株が上昇し、Armにも材料があり、DigitalBridge関連にも進展があった。日経平均そのものが一時1,200円を超えて上昇していたのだから、SoftBank Groupが買われる理由はいくらでもあった。
問題は、株価を見てから理由を探せば、どんな値動きにも立派な説明が付くことである。
9時27分、6,793円。
そこから一時間三十九分後の11時06分には、6,300円。
493円が消えた。
朝の上昇分は、ほとんど吐き出した。
終値は6,352円。前営業日比37円高、プラス0.59%である。
朝には7.6%高だった株が、夕方には0.6%高になっていた。

もし6,700円台で『これだけ借りられる会社は強い』と確信して買った人がいたなら、昼飯を食べるころには別の投資哲学が必要になっていたことになる。
株式市場とは実に便利な場所である。
朝九時と十一時で、同じ会社について正反対の確信を持つことができる。
しかも、どちらの時間帯にも、それらしい理由を付ける専門家が現れる。
借りられることと、儲かっていることは違う
ここで、非常につまらない話をしなければならない。
111億ドルを調達できたこと自体は、悪いニュースではない。
これだけ巨額の無担保資金を一度に市場から集められるという事実は、SoftBank Groupが依然として国際資本市場へアクセスできることを示している。短期のブリッジローンを、より長い満期を持つ社債へ置き換えれば、直近の流動性リスクも下げられる。
だから『資金調達できたので安心した』という市場の反応には、それなりの合理性がある。
しかし、ここから先に越えてはいけない一本の線がある。
借りられることと、儲かっていることは違う。
この二つを同じものだと考えると、住宅ローンの審査に通った瞬間、三千万円儲かったことになる。
銀行から『三千万円貸します』と言われて祝杯を上げるのは自由である。
ただし翌朝、資産側には三千万円の現金が増えている一方で、負債側には三千万円の住宅ローンが載っている。
銀行はお祝いとして三千万円をくれたわけではない。
SoftBank Groupの場合、それが111億ドルだっただけである。
しかも最長部分の金利は9.75%。
9.75%という数字は重い。
単に『金利が高い』という話ではない。
未来を待つ時間に値段が付いたということである。
未来の利益は予想である。利息は契約である
三日前の記事では、一兆円を日常生活の尺度へ戻そうとした。
毎日百万円ずつ使っても、一兆円を使い切るには約2,740年かかる。年間約9.5兆円の日本のインバウンド消費を物差しにすれば、一兆円はおよそ39日分に相当する。
日本中のホテルでベッドを整え、寿司を握り、電車を走らせ、空港で荷物を運び、ドラッグストアで化粧品を売る。
全国で一か月以上それを続けて、ようやく一兆円である。
その一兆円が、今回の資金調達では利息として消えていく可能性がある。
もちろん、OpenAIへの投資がそれをはるかに上回る利益を生めば何の問題もない。
OpenAIが巨大な企業価値を実現し、Armが成長し、AIデータセンターが予定どおり稼働し、ロボティクスが収益化し、それらの資産価値の増加が金融コストを十分に上回るなら、9.75%は高かったが結果的には正しい入場料だった、という話になる。
そこが孫正義の賭けである。
しかし、このゲームには非対称性がある。
OpenAIがいつ上場するかは分からない。
AIデータセンターが予定どおり完成するかも分からない。
ASIがいつ現れるかとなると、さらに分からない。
ロボットが人間の仕事を大規模に代替する日は、もっと分からない。
だが、社債のクーポンは違う。
未来の利益は予想である。利息は契約である。
人類が超知能へ到達する日は延期できる。
OpenAIのIPOも延期できる。
データセンターの完成も、工事が遅れれば延期される。
しかし半年ごとの利払日には、『ASIがまだ来ていませんので今回は延期します』とは書けない。
未来は待ってくれる。
債券は、あまり待ってくれない。
一兆円の利息が一兆円になるまで
今回の話を金融ミステリーとして考えると、妙なところがある。
犯人がいない。
粉飾もない。
隠された債務もない。
秘密契約もない。
金利は発行条件に書いてある。
元本も書いてある。
満期も書いてある。
つまり、必要な手掛かりは最初から全部、読者の目の前に置かれていた。
3.5年物。
5.5年物。
7.5年物。
4年物。
6年物。
それぞれの元本に、それぞれのクーポンを掛け、それぞれの年数を掛ける。
そして最後に足す。
すると、ほぼ一兆円になる。
何も隠されていなかった。
むしろ、あまりにも堂々と数字が並んでいたので、誰もその先を見なかった。
『111億ドル調達』
ここでニュースを読むのをやめれば、大型資金調達成功の話になる。
『OpenAIへ100億ドル追加出資』
ここで読むのをやめれば、孫正義のAIへの大勝負という話になる。
『最長9.75%』
ここまで読むと、少し金利が高いなという話になる。
だが、最後まで掛け算すると、一兆円になる。
請求書の一兆円
一兆円という数字は、大き過ぎるからこそ軽く見える。
『一兆円調達』
『一兆円投資』
『一兆円評価益』
『一兆円損失』
そして、
『一兆円利息』
ニュースの画面では、どれも同じ五~六文字程度で表示される。
しかし、一兆円の利益と一兆円の借金は違う。一兆円の評価益と一兆円の現金も違う。そして一兆円の元本と、一兆円の利息はもっと違う。
今日の朝、SoftBank Groupの株価は跳ねた。
理由はいくつもあった。
昼前には、その上昇分のほとんどを吐き出した。
なぜ市場がそう動いたのかを市場自身に尋ねても、答えは返ってこない。
市場には口がない。
あるのは板と約定履歴だけである。
だから私は、株価ではなく請求書を見る。
今回の請求書には、8.625%、9.250%、9.750%と書いてある。
全部、最初から書いてある。
三日前、私はこう書いた。
一兆円は、卓の上では一本の点棒に見えても、請求書の上では、きっちり一兆円なのである。
三日後。本当に請求書が来た。
しかも今回は、一兆円は元本ではなかった。
利息の方だった。
なお、人類の未来をお待ちの間も、利息は発生いたします。
そして誰も一兆円の利息が一兆円だと気づいていなかった。