
有料記事の「じゃあ、どうすれば?」までAIに聞けるようになった。これからの文章は何を理由に読まれるのだろう?|書籍化ログ(#創作論 #note #有料note #エッセイ#情報)
こんにちは。こんばんは。
普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。
私はこのnoteで何度か、
「書くこと」や
「情報を伝えること」そのものの価値は、
これからどんどん下がっていくのではないか、
という話を書いてきました。
そして今、
ギリギリまだ価値を保っているもののひとつが、
「専門性の高い視点から、情報の解像度を上げること」
なのではないかと思っています。
先日、noteのダッシュボードが大きく変わりました。
その変更に伴って、
たくさんの「読み解き記事」が投稿されました。
私もその中のひとつ、
ハッシュタグについて解説している記事を読んだんです。
前半では、
「現在のnoteでは、ハッシュタグがこういう扱いになっています」
という説明がありました。
「なるほど。そういう仕組みになっていたのか」
興味深く読んでいました。
そして、
「では、それを踏まえて私たちはどうすればいいのか」
という一番知りたいところから、見事に有料でした。
うまいなぁと思いました。
これまでなら、この方法で十分に成立していた商売だったと思うんです。
専門性の高い有益な情報を教える。
さらに、その情報をどう使えばいいのかまで解説する。
つまり、
「情報の解像度を上げる」
という仕事に対して、お金を払ってもらう。
でも、今はここにAIが入ってきました。
●「じゃあ、どうすれば?」までAIが答える
たとえば、
「noteのハッシュタグは今、こういう仕組みになっているらしい」
という前提さえわかれば、
あとはAIに、
「じゃあ、私みたいな使い方をしている人は、今後どうすればいいの?」
と聞けばいい。
自分の投稿ジャンルや、運用目的まで入力すれば、かなり具体的に整理してくれます。
これって、少し前までなら、
詳しい人が有料で提供していた仕事の一部なんですよね。
もちろん、だからもう誰も情報にお金を払わない、
という暴論ではありません。
・調べる時間を短縮したい
・信頼できる人が検証したものを読みたい
・大量の情報を編集した状態で受け取りたい
そういうことには、これからもお金が払われると思います。
でも、
「この情報を私は知っています。」というだけで価値を作るのは、以前よりかなり難しくなりました。
手元で答えを得られる問いには、
情報そのものの希少性だけでお金を払う必然性が弱くなってしまうからです。
●じゃあ、人間にしか書けないものへ行けばいい?
そこで、次に出てくるのが、
「だったら、人間にしか書けないものを書けばいい」
という話です。
情報ではなく、
・哲学
・エッセイ
・感情
・共感
そういう方向へ向かうのは、とても自然なことだと思います。
実際、noteを長く続けている方なら、
こういうことを書くとスキがつきやすい、
という感覚を持っている方も多いのではないでしょうか。
そこに共通している要素が「共感」です。
「わかる」
「私もそうだった」
「それ、ずっと言葉にできなかった」
そういう感情を引き出せる文章は強い。
私自身、何度もそう感じています。
でも、共感なら安全なのか、
私は、そこも違うと思っています。
●「共感」も大量にあれば、特別ではなくなる
たとえば、
・人間関係がつらい。
・頑張っているのに報われない。
・自信がない。
・他人の感情に敏感すぎてつらい。
そういう感情に寄り添う文章は、今、たくさんあります。
noteにもSNSにも。
AIに頼んでも、かなりそれらしいものを書いてくれます。
だから、
「共感できる」だけでは、もう珍しくありません。
もちろん、そういう需要はなくなっていません。
むしろ、今は少し前より共感への需要はとても高いと感じます。
でも、需要が大きいことと、その文章自体に大きな価値が宿ることは同じではありません。
「わかります」
という感想を他の誰かの記事でも言えてしまうのなら
その共感は交換可能です。
ここが、私はかなり難しいところだと思っています。
情報が大量にある。
文章も大量にある。
共感も大量にある。
人間側が、
「ここならAIに取られないだろう」と思って移動した場所まで、どんどん混み始めている。
●文章の上手さにも同じことが起きている
文章もそうです。
一昔前なら、
「読みやすい文章が書ける」
「綺麗な文章が書ける」
ということそのものが大きな強みでした。
でも今は、AIに頼めば一定以上の文章が簡単に作れます。
では、文章力が必要なくなったのかと言われれば、
私はそうは思いません。
上手いほうがいいし、読みやすいほうがいい。
情報なら正確なほうがいい。
絵だって、絶対に上手いほうがいい。
物語は面白いに越したことはありません。
ただ、
それらの位置づけが変わっていくのではないか、と思っています。
以前なら、文章が上手いことそのものが「選ばれる理由」になった。
でもこれからは、
文章が上手いことは、選ばれるための前提に近づいていく。
つまり、
価値ではなく、参加条件のようになっていく。
上手さが無意味になるのではありません。
上手くないと困る。
でも、上手いだけでは選ばれない。
そんな状態です。
●Web小説では、もうずっと前から起きている
Web小説では、似たことがかなり前から起きています。
たとえば、異世界転生。
需要はあります。
読者さんもたくさんいます。
だから、
「異世界転生です」という看板を出せば、読む入り口にはなります。
でも、
同じ看板の作品が何万作も並んでいる。
そうなると、
異世界転生であること自体は、もう価値ではありません。
でも、だからといって、
完全に誰も見たことのないものを書けばいいのかというと、
そう単純でもありません。
独創性が高すぎるものは、それを置くための棚もなければ、
選ばれる理由にもならないからです。
需要のない唯一無二は、ただの孤立になってしまいます。
つまり、
多くの人が求める場所に行けば、そこには似たものが大量にある。
似たものを避けすぎれば、今度は誰もそこまで来ない。
この矛盾があります。
●「代わりが利くもの」と「利かないもの」
少し前まで、
ニュースサイトで続きを読むために10秒の広告が流れても、
知りたい情報がその先にあるなら、待っていました。
10秒待たないと、
その情報を知ることができなかったからです。
だからこそ、
「続きを知りたい」という読者の気持ちを使って広告を見てもらい、
それを利益に変える仕組みが成立していました。
ところが今は、
そのニュースサイトで10秒待たなくても、
AIに同じ出来事について聞けば、
別のニュースサイトや公開されている情報から、
知りたかった内容を探してきてもらえます。
つまり、
欲しいのは「そのニュースサイトの記事」ではなく、
そこで報じられている「情報」だった場合、
情報の入手先を簡単に交換できるようになったのです。
そうなると、
以前なら利益を生み出していた10秒の広告が、
今度は、
「じゃあ別のところで調べよう」と思わせる大きなデメリットになります。
これって、結構すごい変化だと思うんです。
昔は、
そこでしか手に入らない情報だったから、多少の不便を受け入れてもらえた。
でも、
同じ情報を別の場所から簡単に手に入れられるようになった瞬間、
その不便を我慢してもらう理由がなくなる。
つまり、
昔は利益を生み出していたものが、
情報が代替可能になったことで、
逆に「選ばれない理由」へ変わってしまったわけです。
私は、
これが「交換可能になる」ということの怖さだと思っています。
別のもので簡単に代用できるようになると、
それまで許容されていた価格や手間や不便まで、急に許容されなくなる。
Aの記事を読まなくても、Bの記事で同じことがわかる。
Aの作品を読まなくても、Bの作品で同じ満足を得られる。
Aさんの言葉でなくても、別の誰かが同じことを言ってくれる。
そうなると、交換が可能です。
逆に、
「これでなければダメ」
という状態になると、そこには強い価値が生まれます。
だから、これから必要になるのは、
需要のある場所で、交換できない状態を作ること
なのではないかと思っています。
●「共感」を「好意」に変えられたら
ここで、noteの「共感」の話に戻ります。
私は、共感そのものはもうかなり交換可能になっていると思っています。
「つらかったね」
「私もそうでした」
なら、ぶっちゃけ今のAIならかなりそれらしく書けます。
そして、実際にたくさんの人が書いています。
でも、その共感が、作者への「好意」や「好感」へと転じれば、
話は変わってきます。
たとえば、
同じ「わかる」という言葉でも、
たまたま流れてきた記事を書いた知らない人に対して言う「わかる」と、
ずっと読んできた作者に向けて言う「わかる」では、
読者さんの中で意味が変わってきます。
前者は「この考え方、理解できるな」という程度の共感ですが、
後者は「この人のことを、もっと知りたい」「この人の次の文章も読みたい」
という感情を伴った共感になる。
つまり、
「わかる」と感じた相手が“たまたま見かけた誰か”なのか、
“ずっと読んできたこの人”なのかによって、
読者さんがその作者に払う時間や関心の量が変わってくるのです。
ここまでくると、
もう、共感という一文だけを交換しているわけではありません。
そして、
私はここに、AIがその場で簡単には作れない価値があると思っています。
AIは、「共感される文章」を作ることはできます。
でも、その人を半年間読んできた時間までは作れない。
何度もその人の考え方に触れて、
少しずつ興味を持った時間も、AIでは作れません。
●AIと競う場所を変えるということ
私は、「AIと競う場所を変える」というのは、
こういうことなのだと思っています。
AIより、上手い共感文を書く。
AIより、綺麗な文章を書く。
AIより、たくさん情報を出す。
そういう競争ではありません。
それは、あっという間にAIに抜かれます。
でも、「この人だから読む」という状態は、
文章一個の品質だけでは作れません。
一度の記事で作れるものでもありません。
だから、AIより文章が上手い必要はない。
でも、上手さがいらないわけでもない。
そして、共感は必要。
でも、共感を書けば価値になるわけでもない。
情報も必要。
でも、情報を詳しく書けば価値になるわけでもない。
それらは、読者さんと出会うためのもの。
その先で、
「あの人が書いたものを読みたい」
に変わったとき、初めて別の価値になる。
私はそう考えるようになりました。
●需要のある場所で、「この人でなければ」を作れるか
結局、これから大切になるのは、
「唯一無二になれ」ということではないのだと思います。
むしろ、入口は大衆的でいい。
異世界でもいい。
恋愛でもいい。
創作論でもいい。
note運用でもいい。
みんなが知りたい。
みんなが読みたい。
そういう需要のある場所へ入っていく。
でも、その中で「これは別の誰かでもいい」にならないものを作る。
私は、これからの創作ではこのバランスがますます重要になるのではないかと思っています。
誰もが欲しがる場所で、
「これだけは、別の何かと交換できない」
と言えるものを自分は何か持っているのか。
こうした「交換できない固有の価値」を作品が持っているかどうかは、
最近の選評でも、実は繰り返し指摘されるようになってきています。
だから、これから創作を続けていくなら、
AIが何を書けるようになるかより、
「自分は何を交換不可能にできるのか」
という問いを、しっかりと考えたほうがいいと感じています。
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●サクッと読める毎日note(日替わり猫ちゃん付き♡)
●中の人はこんな感じです
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