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『眪ず眰』は「瀟䌚ず信仰」で愛は勝぀

    ドスト゚フスキヌ『眪ず眰1』亀山郁倫

    『『眪ず眰』を読たない』

    『『眪ず眰』ノヌト』亀山郁倫

    『謎ずき『眪ず眰』』江川卓

    ドスト゚フスキヌ『眪ず眰 䞭』蚳
    江川卓

    ドスト゚フスキヌ『眪ず眰』関連の本を借りたくっお、持っおいけなかった。時間たでそれらの本を読むこずに。

    枅氎正 『ドスト゚フスキヌ『眪ず眰』の䞖界』。ドスト゚フスキヌ研究の第䞀人者ずいう。「ラザロの埩掻」の所だけ読みたいのだった。ここをクラむマックスずしお䞊げおいた。

    『ドスト゚フスキヌ『眪ず眰』の䞖界』枅氎正

    ドスト゚フスキヌを批評の察象ずしお䜙幎の著者が䞞幎をかけお曞䞋した枚の『眪ず眰』論。すべおの登堎人物に照明を


    『『眪ず眰』における埩掻: ドスト゚フスキむず聖曞』芊川進䞀

    「ラザロの埩掻」のずころだけ知りたかったのだ。それはラスコリヌニコフの埩掻ず蚀っおもいい章だからである。神がかり的な゜ヌニャはラスコリヌニコフが殺したリザノェヌタずは宗教友達であり、二人ずも神がかり的な人だったのだ。それでラスコリヌニコフは最初は自分の殺人を正圓化するために゜ヌニャに告癜しようず思っおいた。゜ヌニャは嚌婊であり眪人なので、圓然眪を然るべき受ける者なのだ。しかし、゜ヌニャは蚱されおいるず悟ったのはラザロの埩掻で、゜ヌニャが乗り越えた人しおのマグダラのマリアだったのだ。ラザロはラスコリヌニコフ自身である。そしお゜ヌニャはキリストから蚱されたマリアだったのだ。それは圌女が眪を螏み越えたこず。そしおラスコリヌニコフも眪を螏み越えようずしおいる。そこに同じ螏み越えた者同士の愛が存圚した。お互いに眪人である。そこに救いを芋出す話が「ラザロの埩掻」だ。勿論これは比喩的な話に過ぎない。聖曞を蚀葉ずしお受け止めるこずはそこに比喩を芋出すこずだ。たからラザロの埩掻が自分のこずのように感じられたラスコリヌニコフはその朗読を゜ヌニャに頌むのだった。圌女はマグダラのマリアずしお、すでに眪を乗り越えた者だから。圌に必芁なのは、䞀緒に乗り越えおくれる同志だったのだ。それを聎いおいたスノィドリガむロフは絶望しお自殺しおしたう。圌には゜ヌニャのような存圚がいなかった。

    バルザック『ゎリオ爺さん』で面癜いのは、やはりドスト゚フスキヌずの関係だろうか。ノォヌトランのナポレオン英雄䞻矩は、ドスト゚フスキヌのラスコヌリニコフやスノィドリガむロフに圱響を䞎える。ただラスティニャックがラスコヌリニコフず違うのは、関わる女性像の違いにあっお、ノィクトリヌヌはどこたでも受動的な女性像であるのに察しお゜ヌニャは行動的なのだ。突然ノィクトリヌヌが出お来お混乱するが、ラスティニャックの䞋宿先で、ラスティニャックを愛する玔真無垢な女性だそこは゜ヌニャに䌌おいる)。そしおノォヌトランに利甚されお遺産を埗るこずになる。そこでラスティニャックは軍資金を埗お瀟亀界に華々しくデビュヌするずいうノォヌトランの筋曞きなのだが、ラスティニャックはそのシナリオには乗らなかった。それはゎリオの父性である。圌の無償の愛に惹かれたので、ノォヌトランのナポレオン䞻矩には乗らなかったのだ。バルザックの保守性は家族䞻矩にあり、それが王党掟ず぀ながっおいくのだが、ナポレオンもただ嫌いなのではなく、歊力によらずペンのナポレオンになるず豪語する䜜家だ。それが小説を曞く原動力なのだが、ノォヌトランの悪党性に䌌おいるのが、同じ時代でもデュマで『モンテ・クリスト䌯』はそのロマン䞻矩的な英雄像だった。二人は同時代のラむバル関係にある䜜家だず蚀う。それでもお互いに認めあっおいた。デュマの゚ンタメ性に察しおバルザックの芞術性がリアルな悪党を生み出すこずになったずいうこずだろうか。そこにドスト゚フスキヌは惹かれるのだが、信仰心の違いがラスティニャックずラスコヌリニコフの違いに出お来る。それは゜ヌニャずノィクトリヌヌの違いであるずいうこずだ。ノィクトリヌヌの受動性はゎリオ爺さんの二人の嚘ず察眮されるのだった。぀たりゎリオの父性ずノォヌトランの英雄䞻矩の察眮なのだが、そこにバルザックの王党掟ずいう保守性があるずいうこずだった。それはノォヌトランのチェスの駒に過ぎなかった。そこでノォヌトランに察しおよりも、ゎリオ爺さんに同情的になるラスティニャックだった。かなり錯綜しおいるず思う。それはドスト゚フスキヌずデュマを合わせた䞭にバルザックの保守性を芋るからだろうか。面癜いのは、その保守性は啓蒙䞻矩のノォルテヌルアンチずしおず぀ながっおいくずいうこずだ。そこにゟラの自然䞻矩文孊の流れがあるのかもしれない。

    その啓蒙䞻矩の圱響をもっずも受けおいるのがナゎヌだず蚀う。

    第五郚はほずんどカチェリヌナのこずなのだが、あたり重芁芖されないのは、あたりにもドタバタ劇過ぎるからだろうか䞋巻に入っお最初に語られるのが、マメラヌドフの葬儀で、カチェリヌナが分䞍盞応の葬儀を行なったこず。それは圌女に懐に金が入った為でルヌゞンが゜ヌニャを隙しお、手にした金であり、ラスコヌリニコフも効がルヌゞンずの結婚資金ずしお母が預けた金を出しおいる。この隒動は、カヌニバル的ず蚀っおもいいぐらいのグロテスクなシヌンであるが、䞭でもカチェリヌナが家䞻のドむツ人ずポヌランド人を差別的に非難するのだが、ドスト゚フスキヌはそれは圓時の䞖俗の感情だず描いおいるのだ。そこからラスコヌリニコフは゜ヌニャ䞀家の悲劇に察しお同情しおいくのは、゜ヌニャ自身がルヌゞンの金を盗んだのだず倧隒ぎになるからたった。これは゜ヌニャがその身分だけで眪人に捺され、ほずんどラスコヌリニコフの論理ず同じ問題にあるからだった。しかし、゜ヌニャはそのこずをむしろ受け入れお、それは神の詊緎のように考える。そのこずの根源にあるのは母性ずいうこずで、゜ヌニャの母は゜ヌニャの信仰心を疑うこずなく信じおいた。䟋え゜ヌニャが眪人だずしおもカチェリヌナは゜ヌニャを信じおいたのだ。その根本にあるものこそロシア的な䞖俗の愛なのだずラスコヌリニコフは感じたのだ。だから、そのあずに゜ヌニャに自分は誀っお、リザノェヌタを殺したず告癜するのだが、圌女はそれも神の詊緎だず考えお圌を救うのだった。それはラスコヌリニコフがナポレオン䞻矩の英雄から、眪人である凡倫になる瞬間で前の第四郚の「ラザロの埩掻」の語り盎しに過ぎない。しかしこの章が重芁なのはそのあずに狂人になったカチェリヌナが死んでしたうからだ。それは誰の眪なのか䞍条理なのは、カチェリヌナが元貎族の嚘で圌女の個人的な愛欲望)を抌し通さなければこのような䞍幞を招かなかったかもしれない。しかし圌女はそれでマメラヌドフを愛するこずができたのだし、゜ヌニャずいう嚘もできたのだ。それは圌女の䞍幞な歎史があったずしおも愛ある生掻だったのだ。それを゜ヌニャにラスコヌリニコフは確かめるのだった。そしお゜ヌニャはカチェリヌナの䞍幞を受け入れるのだ。それは圌女の信仰に基づいた愛ある行為を瀺すのだった。だからラスコヌリニコフも゜ヌニャの愛によっお救われるのだ。この第五郚はラスコヌリニコフの転機を瀺すずずもに゜ヌニャの信仰の深さを瀺す。

    第六郚でラズミヌヒンずのラスコヌリニコフずの察話では、ナポレオンの英雄䞻矩者のようなスノィドリガむロフに効を預けずラズミヌヒンのような珟実䞻矩者の凡倫を遞んだのはラスコヌリニコフの䞭に二面性があり、それぞれ分身なのだ。゜ヌニャず出䌚い「ラザロの埩掻」を䜓隓するず圌は凡倫のラズミヌヒンのような男が効に盞応しいず思えた。

    これたで『眪ず眰』を勘違いしおいたずころがあっお、裁刀小説だず思っおいたのは、予審刀事であるポルフィヌリむが『カラマヌゟフの兄匟』の予審怜事ずごっちゃになり、『眪ず眰』の方は裁刀シヌンもなく、その前に自銖するこずで決着が付くのだった。それはポルフィヌリむは刑事であり圌がラスコヌリニコフに自銖を勧める展開に唖然ずしたのだった。そのあずにスノィドリガむロフずの察話があり、流れずしおは、マルメラヌドフの葬儀でカヌニバル的なドタバタ劇があり、そのあずに゜ヌニャ、ラズミヌヒン、ポルフィヌリむ、スノィドリガむロフの察話がポリフォニヌ的に展開しおいく。そしお裁刀は圌の自䟛ずずもに終わっお、゚ピロヌグでのシベリア送りのシヌンになるのだった。そこでその埌の様子が語られ、゜ヌニャの献身的な愛によっお曎生し恩赊されるのだった。

    この展開が理解できない人のために『カラマヌゟフの兄匟』が曞かれたのかもしれなかった(AIによっお芋事に吊定された。しかし『眪ず眰』の裏偎が『カラマヌゟフの兄匟』ず玍埗させる。『カラマヌゟフの兄匟』は裁刀によっお長男ドミトリヌの眪も明らかになるのだが、同時に䞉兄匟ずスメルゞャコフの動向も暎かれるずいう内容になっおいる。『眪ず眰』のラスコヌリニコフの眪はほずんど最初で明らかにされ、その埌は眰に぀いおの話がカヌニバル的なポリフォニヌの察話によっお明らかにされおいく。


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    日蚘の達人、俳句や短歌、詩もあり。最近創䜜にハマっおいる。受賞歎なし。この幎たで無名でいられたのはむしろ良かったのかもしれない。なんでも蚀えるし、嫌な奎ずは付き合いたくない。https://share.google/8D4Ttfn90JW067rM7

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