
自分の世界に開く窓、同じ空間で出会う人生のおすそ分け
最近新しくお越しいただける方も増えてきましたので、改めまして。
一級建築士として、建築デザインを通してこの世界がいつもより少し魅力的に見えるような、そんな視点で発信しています。auloraと申します。
私は本来、自分から積極的に人と交流するタイプではありません。
いただいたコメントには有難く返信させていただきますが、自ら出向いてのコメントやフォローはほとんどしてきませんでした。
人との関わりが少ない環境を自分でも望んでいましたし、仕事柄、デスクワークでパソコンに張り付いているという理由もあります。
そんなふうに人とのかかわりが少ないと、気づけば、つい自分だけの居心地いい世界に閉じこもってしまうことがあります。
「この考えは確かにあるかもしれない」
「こんな目線で発信したら自分で読んでも面白いぞ」
と、自分の正しさに没入して記事を書いてしまう自分がいました。
しかしです。
私が仕事にしている建築設計というものは、よっぽど想像力豊かでもない限り、生の空間を見ないことには作れません。
本を読むにしても、建築の本だけ読んでいるだけでは、建築への思考は深くならないのです。
クリエイティブとはきっとそういうもので、noteであれば、人生や体験を通した生き様そのものが文字に滲み出るんだと思います。
仕事における私の現状は、圧倒的な経験をもつボスがいてくれるおかげで、多少の暴走や思い込みを正してもらえたり、議論してより素晴らしいものにしていく工程を踏むことができます。
しかし、noteの世界では、すごいな…と思う人の文章に触れることはできても、自分の暴走が止まるわけではありせん。
だからこそ、自分の世界に閉じこもる心地よさを手放し、もう少し外の世界を見たほうがいいなと最近感じていました。
外の世界を見るという意味では、本ももちろん読みます。
本はよく言うように、人の人生をたった数百円、数千円で学ぶことができるとんでもない媒体ですが、疑似的にnoteでも起こっていると思います。
noteには、1記事で1冊の本ほどのまとまりはない代わりに、ひとつひとつの記事が
「誰かの人生の少しのおすそ分け」
として、無数に散らばっている感覚があります。

同じスマホを触っているにしても、ダラダラとリール動画を消費する時間をやめ、そのおすそ分けをいただくために出会いの打席に立ってみる。
すると、それらの点が知らぬ間に線となって自分の血肉となり、ハッとする考えに出会えるかもしれない。
そんな素敵な場所だと思います。
そもそも論ですが、毎回コメントをいただくたび、そんな視点があったか、そんな考えがあったか、と勉強になることを思えば、至極当然のことですよね。

そんな風に、外の世界へ開く窓を探していた私の目に留まったのが、Akiさんの発信でした。
彗星のごとくnote界に現れたAkiさんは、特殊すぎる経歴からくる視野の広さと深さで人々を惹きつけ、圧倒的なスピード感で時代を作っていく若手スターのような存在です。
フォロワー数がすべてではありませんが、私の7ヶ月をわずか2ヶ月でスパッと抜いていくその裏には、とんでもない量の分析と思考、そして行動があるのだと思います。
何らかのワードで検索したり、おすすめ欄を見たりするのも良いですが、私が魅力を感じているAkiさんが作ってくださったコミュニティという「ひとつの大きな場」の中にいることで、情報が離散しすぎなくて良い気がしています。
素晴らしい場を提供してくださったAkiさんに感謝しつつ、偶然の出会いや発見に期待しながら、これからも自分のペースでnote活動を楽しんでいけたらなと思います。

おまけ
実は私の本名にも「あき」という文字列が入っておりまして。
完全に偶然なのですが、最初から勝手に親近感を抱いて記事を読ませていただいておりました。
これからも記事読ませていただければと思います。
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