
選択肢の多さ≠優しさ、「どれがいい?」という責任転嫁
住宅や建築の打ち合わせにおいて、
SNSから引っ張ってきた画像を何十枚も見せ、
「どれが好きですか?」と丸投げする
そんなやり方がよくあると聞きます。
一見すると、顧客の自由を尊重した優しい打ち合わせのように見えますが、はっきり言って、私はそのようなスタンスに疑問を感じています。
そんなふうに素人へ判断をぶん投げるだけなら、
我々プロが存在する意味は全くありません。
もちろん、施主の要望を汲み取りつつ、ある程度判断を委ねる部分は存在します。
しかし、世の中に無限にあるデザインの中から
施主の好み
建物の性能
将来のメンテナンス性
予算や法規
などの複雑な条件を読み解き、プロの視点で最適解を提案することこそが我々の本当の役目です。
そうした思考のプロセスを放棄し、いきなり「どれがいいですか?」と選択肢を提示する。
それは一見、施主の自由を尊重しているように見えて、単なる怠慢だと思います。
ただ、ここで理解しておきたいのは、打ち合わせにおける「画像による相談」には2つの全く異なる意味がある、ということです。
ひとつは、お互いの頭の中にあるイメージを共有し、認識のズレをなくすための「健全なすり合わせ」です。
これはプロジェクトの初期段階で行う人も多いプロセスです。
(ちなみに、うちのボスはかるーい初回面談を行ったら、帰り道には自分の正解を思いついているので、やっているのを見たことはありません…)
しかしもうひとつは、相手に最終仕上がりの判断をさせ、何か不都合が起きたときの責任を負わせるための「狡猾な責任転嫁」です。
例えば、
「軒が全くない、真四角でスタイリッシュな家」
「外壁全面に美しい天然木を張った家」
の画像があったとします。

施主は建築の素人ですから、軒がない建物の雨漏りのリスクや、昔ながらの素材を用いた場合のメンテナンス頻度、料金の差額、経年による汚れ具合までは判断できません。
もちろん、特殊な納まりに精通した設計者と優秀な施工会社が連携している場合や、施主自身が経年変化を愛せる覚悟を持っている場合など、あえてそのデザインを採用するプロもいます。
しかし、そうした「裏側にあるリスクと覚悟」を説明せず、ただ見た目だけで選ばせるのであれば、我々がいる意味は何もありません。
見た目の美しさだけで選ばせておいて、後から問題が起きたときに「あなたがこれを選んだのだから(私は特に勧めたわけではないのに)」と逃げ道を作る。
これは、最も恥ずべき行為です。
だからこそ、私たちは相手に無責任な選択肢を委ねてはいけません。
膨大な情報を整理し、専門的なリスクを排除した上で、「あなたの要望と条件を考え抜いた結果、これかこれのどちらかが最善です。そしてプロとして、私はこちらを強くおすすめします」と言い切る。
その決断の重圧と責任をこちら側で引き受けるからこそ、そこにプロとしての価値が生まれ、設計料という対価をいただけるのだと思います。

お客様に喜んでもらうために、選択肢をたくさん用意することだけが優しさだと勘違いしてはいけません。
相手に迷わせる余地を与えないほどに考え抜かれた、研ぎ澄まされた提案をぶつけることもひとつの優しさです。
まだまだ修行の身ですが、相手に無責任な選択肢を委ねず、プロとしての決断を提示し続ける建築士でありたいと思います。
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