
「合法」と「安全」のあいだで、余計な線を提案する小心者の建築士
私は、自分の仕事に対して非常に
「小心者」
なところがあると自覚しています。
デザインの美しさやコスト管理も当然大切ですが、「万が一の時に、この建物は本当に人の命を守れるのか」という目線で、初期検討や図面作成をしている自分がいます。
そんな小心者だからこそ見つめてしまう、「合法」と「安全」のあいだに生じる小さなズレと、そのジレンマへの向き合い方について書いてみたいと思います。
消防署が「いらない」と言った避難器具
とあるホテルの設計をしていたときのこと。
上層階の客室から地上へ逃げるための「避難ハッチ(はしご)」の配置を計画していた際、消防法や行政のルールを読み解いていくと、ある事実に行き当たりました。
それは、我々の計画内容からすると、「最上階の収容人数が一定数未満であれば、最上階には避難器具を設置しなくてもよい」という免除規定でした。
消防署との協議でも「最上階には避難器具は不要です」という、明確なお墨付きをもらいました。
つまり、最上階からは、コストのかかる避難器具を消し去ってしまっても、誰も文句を言わないし、検査も問題なく通るのです。
検査機関が「不要」といった手すり高さ
とあるマンションの設計をしていたときのこと。
バルコニーに設ける手すりを、RC立ち上がりから1100mm、一番低いところからは1250mmとしていたところ、検査機関からは「一番低いところ=RC立ち上がりの起点から手摺高さは計算すること」との指摘を受けました。
つまり、今は余分に高くなっているけど、RC立ち上がりから950mmとすれば計1100mmになりますよ、やるかどうかは自由だけど、という案内です。
もちろんそのようなことを直接言われたわけではありません。
おそらく、こちらがバルコニー高さの算定基準を分かっていないと思っての指摘でしょう。
「法適合」と「実態としての安全」の乖離
法律を守っている。
役所も検査機関もOKを出している。
コストも下がる。
しかし、
私の心の中の「小心者」が警鐘を鳴らしました。
リアルな火災現場では、煙は一瞬で上層階へと昇ってきます。
パニック状態の中、バルコニーに逃げ出した宿泊客は、眼下で燃え盛る炎と煙に巻かれながら、いつ来るかもわからないハシゴ車の到着を待たなければならないのです。
すぐ下の階には地上まで降りられる避難ハッチがあるのに、そこへ降りる手段だけが「合法的に」存在しない。
法律が免除しているからといって、現実の火災や煙が忖度してくれるわけではありません。
また、法律上は手すり高さをクリアしていても、立ち上がりというのは足がかりになってしまします。
子供がよじ登ってしまえば、あっという間に法律違反の950mmの手すりの完成です。
大人でも飛び降りやすい…なんて想像したくありませんが、そういうことを考えていない造りになるのは目に見えています。

(撮影:筆者)
おこがましくも巨匠・村野藤吾先生を引き合いに出してしまいますが、例えばかつての名建築に見られるような、あまりにも美しい曲線を描く手すり。
そこにはデザインの自由と、
人間の理性を信じた「豊かさ」がありました。
しかし、「横桟に無限に足がかけられてしまう」という安全上のリスクと、今の基準ではもう実現できないかもしれないという切なさが同時に押し寄せてきます。
デザインの美しさを追及したい気持ちと、徹底的な安全装置を組み込まなければならない現実。
両立するのが当然ですが、「デザイン」と「命を守る責任」の狭間の葛藤がないかと言えば、ウソになります。
建築基準法や消防法というのは、あくまで
「これ未満の建物は建ててはならない」
という最低限のラインを示したものに過ぎません。
すべての建物に最高レベルの安全設備を義務付けると経済が回らなくなるため、法はある種の「妥協点」で引かれています。
しかし、万が一犠牲者が出たとき疑問視されるのは、法律を守っていたかという形式論ではなく、「なぜ、命を救うための設計をしなかったのか」という観点なのです。
私たちは「お絵かき」をしているわけではない
世間一般から見れば、建築士の仕事は「法律の範囲内で、綺麗なパース(お絵かき)を作ること」だと思われている節があります。
事実、法律の抜け穴や緩和規定をパズルゲームのように駆使して、「いかに無駄を減らしてコストを下げるか」を至上命題としている設計者も存在します。
しかし、いくら法律を守っていると主張したところで、リアルなリスクを想定していない建物を作れば、それはただの「危険なゴミ」です。
そして、その十字架を一生背負うことになるのは、私たち設計者だけでなく、その建物を信じて経営するオーナーでもあるのです。
だからこそ私は、
「小心者」の自分を持ち続けていたい
と思っています。
「法律上はいらないと言われたけれど、現実的にここから逃げられないのは絶対に怖いです。コストは数十万円上がってしまいますが、最上階から一直線に下まで降りられるように、避難ハッチを追加させてください」
「ここは子供がよじ登って950mmの手すりになってしまわないよう、法規よりも余分に150mm高く計画しています。」
デザインや使い勝手だけではなく、図面に「法的には不要な、命のための設備」を描き込み、提案すること。
それもプロとして当然の仕事です。
誰の顔を見て、どこを向いて設計するのか
もちろん、コストが上がる以上、最終的にそれを採用するかどうかはオーナーやお施主様の判断による部分が大きいのは事実です。
しかし、こちらから「提案すらしない」というのは、プロとしての完全な責任逃れです。
言われた通りの最低限のハコを作るだけなら、我々のような設計者でなくとも誰かが消防署に相談に行けば同じ結果が得られるわけですから。
ただ、この「理想の安全」と「経営のコスト」のシビアなバランス感覚は、おそらく自分が本当の経営者にならねば、骨の髄まではわからないのだろうとも思います。
今の私はまだ、組織の中で偉そうにボスに進言し、最終的な判断と責任を仰ぐだけの立場だからこそ、こうして簡単に理想を語れる側面も大いにあるはずです。
いずれ自分が独立し、最終決断を下す側にまわったとき。 私は誰の顔を見て、どこを向いて設計できるのか。
法律が「いらない」と言っているからといって、現実のリスクを無視して作られた建物は、やはりどこか歪です。
その重圧と誘惑から逃げないためにも、今からこのジレンマをきちんと「自分事」として考え、備えておかねばと強く感じています。
図面を引く手の中に、そこで過ごす生身の『人間の命』をどれだけリアルに想像できるか。
最適解を弾き出すAIには決して背負うことのできない、『自分の判断で人が死ぬかもしれない恐怖』という十字架。
その恐怖から逃げずに線を引くことこそが、設計者としての矜持なのだと私は信じています。
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