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土地の歴史は読もうとするのに、人間の背景は読めていなかった


    最近、SNSで流れてきたとある言葉に
    ドキッとしてしまいました。


    「他人に寛大になれたとしたら、それは人間ができたのではなく、自分の見ている世界が狭いとわかってきたから」

    この言葉を読んだとき、自分の過去のnoteの記事や、日々の後輩への態度を思い返し、図星を突かれたような感覚に陥りました。




    私は今まで「プロとしての基準という名の定規」を振り回してきたことに気付いたのです。

    自分の視点(アトリエで生き残るための基準)から全てを見てしまい、相手の背景を想像する余白を持てていませんでした。


    とある後輩が入社したとき、

    「将来は独立したい」
    「まずは1年でさっさと技術だけ盗みたい」

    と高い目標を口にしていました。

    さらに、会社に合わなければすぐ辞めればいいという、こちらを品定めするような強気な自信すら漂わせていたのです。


    であるならば、頼りなくとも、私のもてる全てを伝えて少しでも早く独り立ちできるよう頑張ってもらおうと、甘えを許さない高い基準で接していました。

    誤解を恐れずに言えば、上司や先輩は、若手のご機嫌を取るために仕事をしているわけではありません。

    特に自転車操業の小さな事務所では、求められるクオリティと期限に死に物狂いで応え続けることでしか生き残る道がありません。

    そういう意味で、「プロとしての定規」の厳しさ自体が間違っていたとは、今でも思っていません。


    ただ、その定規を
    相手の見えない背景を想像することなく、
    一方的に振り下ろしてしまう。

    そんな視野の狭さのままで指導していました。


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    深く没入するあまり、
    視野が狭くなっていることに気づかない悪癖
    (撮影:筆者)




    例えば、とあるCGパース作成での出来事。

    私は彼らに、単にソフトで立ち上げた絵だけではなく、空間のストーリーを求めていました。


    建築そのものを見せるのか
    人々のにぎわいを見せるのか
    生活の空気感を見せるのか


    光の角度や、そこに配置する人物や植栽の表現まで、空間の質を左右する大前提のものとして厳しく指摘しました。

    すると後輩は
    「そんなこと初めから聞いていない」
    という態度で反発。

    私は
    「それではスタートラインにすら立っていない」
    と心の中で切り捨ててしまったのです。


    しかし今、
    あの時の自分にこう言いたいです。

    人のスタート地点はそれぞれ違うのだから、
    まずはその認識をすり合わせることから始めろ

    と。

    建築を志してここに来た彼らなら、大前提の意図さえ丁寧に伝えれば、それを受け入れ理解する知性は間違いなく100%持っていたはずなのです。


    少し引いた目線で私の職場環境を見るなら、社長は圧倒的な巨匠です。

    来るもの拒まず去るもの追わずといえば聞こえはいいですが、要は「ついてこられる人間だけがついてくればいい」というスタイル。

    結果として、私が入社してからは全員が2年以内に辞めていくという厳しい現実があります。
    (あれ、これって私が原因なのでは…😅)

    私自身も何度か「もう体が限界だ」と思ったことありますが、結果的にたまたま生き残っているだけの生存者バイアスに染まりきっていました。


    だから私は、生存者の定規に合わなかった若手たちを心の中で切り捨ててしまっていたのです。

    彼らの強気な態度は、単なる若さゆえの虚勢や、過酷な環境で傷つかないための鎧だったかもしれないのに。


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    人の背景にもまた、
    深く奥行きがあるのでしょう
    (撮影:筆者)




    私は、というか大抵の建築士は、建物を設計する際、その土地がもつ歴史や、街の人によって守られてきた景観、どのように人々に使われるか、施主が本当に望んでいるのはどういうことなのか、という「見えないコンテクスト」を読み解き表現します。

    それなのに、社内の人間関係においては、目の前のエラーという表面的な結果だけで、相手の見えない背景を完全に無視していたのです。


    これは建築士として、人として、
    なかなかに恥ずかしいことでした。


    そして今、私の目の前には、この過酷な日常の中で必死に食らいつこうと頑張っている別の後輩がいます。

    正直なところ、SNSの言葉に出会ったからといって、事務所全体の、そして私個人の基準を緩めるつもりはありませんし、急に仏のように寛大な人間になれるわけでもありません。


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    いきなりは無理ですよね。
    仏様もそう言ってくれてる気がします。
    (撮影:筆者)


    きっと明日も、何も考えず描かれた図面に舌打ちをしたくなる瞬間はあるはずです。


    でも、怒りが湧いたその瞬間、

    自分の生存バイアスだけで測っていないか

    と、ツッコミを入れる余白は持てる気がします。


    自分の視野は狭いのだということを忘れない、という広い視野。

    空間の設計だけでなく、自分の定規の持ち方においても、そんな「大人の余白」を持てるべく邁進していきます。


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    広く、遠くも見る(撮影:筆者)





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    aulora

     
     
    建築を通し、世界の解像度が少し上がる 一級建築士|設計事務所勤務 全国47都道府県・海外8カ国を巡り、建築を通して出会った景色や気づきを綴ります。 名建築の空間や差し込む光、その土地の歴史。設計業界の実情や、仕事と人生についての思考も。 世界を少しだけ美しく整えるための備忘録

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