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当たり前のことで「ドヤ顔」をする世代、コロナ禍が生んだ承認の飢餓と自己防衛


    やって当然の仕事や、その基準にすら達していないものを見せてきて、すごいことをやってのけたという顔で自慢してこられても…


    下の世代と仕事をしていると、ふとそんな違和感を覚える瞬間があります。




    例えば、指示した図面の修正は期限内に終わらせたものの、それに伴って発生する「別図面との矛盾」には全く気づいていない時。

    あるいは、建物のパース(完成予想図)に曇り空の背景を合成して「できました!」と持ってきたものの、パースの室内には燦々と光が差し込み、サッシの美しい影のラインがくっきりと落ちて、物理法則としてあり得ない画像を見せられた時。


    これらは空間の設計として「スタートラインにすら立っていない」未完成品です。


    彼らは指示されたソフトの操作を物理的に終わらせたことだけで満足していますが、それでは評価の対象にすらなりません。

    しかし彼らの態度からは、うっすらと「言われた通りに完了したのだから、褒めてもらえるはずだ」という期待が透けて見えることがあります。


    もちろん、誰もが最初は褒められて伸びるものです。しかし、なぜそこまで「最低限の完了」に対して強い承認を求めてくるのでしょうか。

    少し冷静になって彼ら若い世代が育ってきた背景を紐解くと、そこには単なる「ゆとり」や「甘え」では片付けられない、現代特有の社会構造と教育環境が見えてきます。



    SNS文化の発達


    まず一つ目は、SNS文化がもたらした「即時的なフィードバック」の常態化です。

    もちろん、どんな時代であれ幼い頃は誰もが些細な行動を褒められて育つものです。

    しかし現代は、思春期以降もずっと「何かを発信すれば、すぐに『いいね』やリアクションが返ってくる」という、可視化された承認のループの中で生きてしまう、という特異な状況になってしまっています。


    現実世界では、「何も言われなくなる(叱られない)ところまでプロダクトを調整する=合格」という暗黙の減点法が基本です。

    しかしデジタルネイティブの彼らにとって、行動には常に明確な反応がセットになっているのがデフォルトであり、「反応がない=不安」という感覚を持っています。

    だからこそ、完了した作業に対してわざわざ報告をし、リアクション(加点)を求めてしまうのです。



    コロナ禍で破壊された「普通」の学生生活


    そして何より決定的なのが、「コロナ禍」という異常な学生生活の経験です。


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    コロナ禍で誰もいない超有名美術館(撮影:筆者)


    彼らは、社会に出るための重要な準備期間を、孤独と非対面の中で過ごしました。オンライン授業やリモート環境では、結果であるレポートや試験しか相手に見えません。

    以前なら当たり前に見てもらえていた「遅くまで調べている姿」や「苦労して作り上げる過程」が、完全にブラックボックス化してしまったのです。

    誰にもプロセスを見守られない不安。対面であれば得られたはずの、頷きや視線といった非言語的なフィードバックの圧倒的な飢餓状態。


    だからこそ彼らは、社会に出てから「当然の行動」をあえて報告してくるのです。

    それは学生時代に抜け落ちていた「自分のプロセスを誰かに認めてほしい」という欲求の埋め合わせであり、SNSの「いいね」のように「これ、正解ですよね?」と即時レスポンスを求める、安心獲得のための儀式なのだと思います。


    思えば、彼らが学生だった頃は、「学校へ行く」「課題を出す」といったかつての当たり前が、特別な努力なしには達成できないハードルの高いミッションだったのでしょう。

    私自身、大学院2回生の最後だけコロナ禍にかぶりましたが、ほぼ大学には行けませんでした。大学生を楽しませてもらった身としては、それが何年も続く学生生活なんて、想像を絶する苦労があったと思います。


    「当たり前は0点」という基準を叩き込まれてきた人間からすると、彼らの態度は時に不可解に映ります。

    しかし、サバイバルのような隔離環境を乗り越えてきた彼らにとっては、「当たり前をこなすこと自体が100点」なのです。



    承認の飢餓への理解


    彼らの「褒めてほしい」というサインは、決して自己顕示欲の塊などではなく、「心理的安全性を確保し、自分が正しい場所にいることを確認したい」という切実な自己防衛の現れなのでしょう。

    仕事において、クオリティへの妥協は絶対にできませんし、厳しい要求を突きつけなければならない場面は多々あります。

    その大前提は崩さずとも、彼らの中にある「承認の飢餓」という背景を一つ理解しておくこと。

    「やって当然」と頭ごなしに一蹴するのではなく、まずはそれがスタンダードであることを静かに認めつつ、少しずつプロとしての期待値を引き上げていく。

    それが、これから新しい世代と共に空間を創り上げていくための、ひとつのコミュニケーションのヒントになるのではないかと考えています。


    ちなみに私としては、変な図面やパースを見せられても一旦飲み込んでこう伝えるようにできるようになってきました。

    「お、良い感じやね。細かいけど、ちょっと気になるとしたら○○の光の入り方かな」(「物理法則ガン無視は特大ミスやけどな~」と心の中でツッコミを入れつつ、です)

    まずは彼らの「終わらせた」というプロセスを承認し、心のシャッターを開けさせる。

    実務の世界に彼らを引きずり込むのは、そのあとからでも遅くはないのです。





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    aulora

     
     
    建築を通し、世界の解像度が少し上がる 一級建築士|設計事務所勤務 全国47都道府県・海外8カ国を巡り、建築を通して出会った景色や気づきを綴ります。 名建築の空間や差し込む光、その土地の歴史。設計業界の実情や、仕事と人生についての思考も。 世界を少しだけ美しく整えるための備忘録

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