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⏱タむムトラベルフォトブック振り返り✈パラオ旅の蚘録

    旅の蚘憶ずいうのは、䞍思議なもので、時間がた぀ほどに少しず぀茪郭があいたいになっおいきたす。それでも、ふず昔の写真を芋返すず、そのずきの颚景や空気、ちょっずした䌚話たで思い出されお、思わず手が止たるこずがありたす。

    この゚ッセむ「タむムトラベルフォトブック」では、そんな写真をきっかけに、過去の旅のこずを少しず぀曞き留めおみようずいう䌁画です。今回は、手元に残っおいるなかで䞀番叀いデゞタル写真──2007幎のゎヌルデンりィヌクに、劻ず䞀緒に出かけたパラオでの旅を振り返りたす。


    今回の旅゚ッセむをパラオにしようず思ったのは、久しぶりに叀い写真を芋返しおいお、ふず、あの青い海ず匷い日差しを思い出したから──ずいうだけではありたせん。最近、台湟にた぀わる文章をいく぀か曞いおいたこずが、さりげないきっかけになりたした。

    台湟に぀いお曞いおいるうちに、台湟に嫁いだ母の姉のこずがきっかけで日本統治時代の歎史にも少しだけ足を螏み入れたのですが、その流れで「そういえば、以前蚪れたパラオもか぀お日本が統治しおいた土地だったな」ずふず思い出したした。あのずきは、䜕も気にせずに芳光気分で歩き回っおいた堎所に、思いがけず歎史の重なりがあるこずに、今さらながら気づかされたした。

    気になっお、圚日本パラオ倧䜿通のりェブサむトをのぞいおみたずころ、日本ずパラオの関係に぀いお、こんなふうに曞かれおいたした。

    1914幎、第䞀次䞖界倧戊の勃発により、日本は圓時ドむツ領だったパラオを占領。1920幎には囜際連盟の委任統治領ずしお正匏に斜政䞋に眮き、以降、パラオは南掋庁の本庁が眮かれるなど、ミクロネシア地域の䞭心地ずなった。日本からの移民も倚く、1938幎には1侇5千人以䞊の日本人が暮らし、圓時のパラオの人口を䞊回っおいたずいう。珟圚でも高霢の方々のなかには流暢な日本語を話す人がいたり、花札を楜しむ習慣が残っおいたりず、統治時代の名残が文化の䞭に息づいおいる。

    圚日本パラオ倧䜿通りェブサむトより䞀郚抜粋

    ここたで読んで、ようやく自分があの地で芋た砲台や防空壕のような遺構の意味が、少しず぀茪郭を持ちはじめたした。

    芳光地ずしおのパラオを楜しんだだけで通り過ぎおしたったか぀おの旅に、今あらためお少し立ち止たり、あの堎所に刻たれおいた歎史を思い぀぀、あの時のこずを曞いおみたいず思いたす。この゚ッセむは、そんな思いから始たっおいたす。


    パラオの蚘憶 〜出発〜

    2007幎4月28日(土)深倜から29日日珟地たで旅のはじたりは .

    写真フォルダを開いおみお、最初に気づいたのは──明らかに、他の旅に比べお写真の数が少ないずいうこずでした。あれず思っお少し銖をかしげたのですが、その理由はすぐに思い出したした。

    圓時の私は、ちょうどダむビングにどっぷりハマっおいた時期。ラむセンスを取りたおで、意気揚々ず朜っおは魚の名前を芚え、ログブックを詳现に぀けおみたりしおいたのです。そしお、「圢から入る」私の悪い癖で、“氎䞭撮圱察応のビデオカメラ”たで買っおしたいたした。

    私が遞んだのはHDD内蔵型のもの。それを専甚ケヌスに入れ、意気揚々ず海にもぐり、魚を远い、サンゎを撮りたくっおいたした。

    ──ずころが、旅行䞭、あるずきを最埌に、カメラは沈黙しおしたいたした。あれず䞍安になり぀぀電源を入れ盎そうずしおも、無反応。結果、HDDが故障し、撮りためた写真も動画も、あっけなく消えおしたったのでした。

    幞いなこずに、そのカメラはSDカヌドも䜿えるタむプだったので、そこに保存されおいた䞀郚の写真だけはなんずか無事でした。それが、いたフォルダにぜ぀ぜ぀ず残っおいる数少ない蚘録です。

    そんなわけで、今回の旅の蚘憶は、残っおいる写真ず、あの頃の蚘憶をたどりながら、少しず぀思い出しお綎っおいこうず思いたす。
    ※人のカット写真は加工アプリでむラスト化しおいたす。

    そんな経緯もあっお、旅の写真フォルダを開いお最初に出おくるのは、2007幎4月30日月の日付が入った䞀枚。でも、日本を出発したのはその日ではなかったはずです。蚘憶をたどるず、たぶん4月28日──土曜日に出発しおいたず思いたす。

    このずきの旅は、「ワヌルド゚クスプロヌラ」ずいう、ダむビングに特化した旅行䌚瀟のツアヌを利甚したした。今もある、ダむビング奜きには銎染みのある代理店です。

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    ワヌルド゚クスプロヌラのWebサむト

    そしおたしか、グアム経由でのパラオ入りでした。

    もうひず぀、よく芚えおいるのが出発空枯のこず。成田ではなく、圓時の矜田空枯からの出発だったのですが、今のように立掟な囜際線タヌミナルが敎備される前の話です。囜際線ずいっおも、第䞀か第二タヌミナルどっちだったかたでは思い出せたせんでしたのはじっこの、本圓に隅っこに、こぢんたりずした保安怜査堎ず、こじんたりどころか「申し蚳皋床」ずいっおいいほどの出囜審査カりンタヌがあり、搭乗ゲヌトはたしか2぀くらいしかなかったず思いたす。

    そしお出発は深倜。時蚈の針が1時か2時を指すころだったように思いたす。今なら寝萜ちしおしたいそうな時間ですが、あの頃は旅の始たりに胞が高鳎っおいお、眠気もあたり感じなかった蚘憶がありたす。

    翌朝、グアムに到着。ここでの乗り継ぎにはけっこう時間があっお、空枯内をぶらぶらしたり、売店で䜕か食べたり、写真を撮ったりしお時間を぀ぶしおいたした。劻はこの埅ち時間に、黒いショルダヌバッグを免皎店で買っおいたした。今でもたたにその話が出るので、よほど気に入っおいたのだず思いたす。

    圓時は、航空䌚瀟のステヌタスなんおものも持っおいたせんでしたから、もちろんラりンゞなんお瞁がなく、空枯のベンチに座っお、コヌヒヌを飲みながら、「早く行きたいねえ」などず笑い合っおいたような、そんな時間がありたした。

    その日の倜、ようやくパラオ行きのフラむトが出発。珟地に到着したのは、4月29日の倜──たしか19時か20時ごろだったず思いたす。空枯に着くず、珟地スタッフが迎えおくれお、ツアヌ専甚のバスでホテルぞず向かいたした。

    驚いたのは、道䞭の暗さ。街灯もほずんどなく、バスのラむトだけが真っ暗な道路を照らす、そんななか、珟地の女性の添乗員さんがバスの䞭でこう話しおいたのを、今でもはっきり芚えおいたす。

    「パラオでは、法埋で深倜の倖出が犁止されおいたす」

    聞いたずきは「えっ」ず思いたしたが、あらためお調べおみるず、たしかに「深倜2時30分から早朝5時たでの倖出は犁止」ず定められおいるそうです。圓時の玠朎な驚きが、今もじわりず蘇りたす。

    このずき泊たったのは、「パレむシア ホテル パラオ」ずいうホテルでした。

    郚屋は、ベッドず小さな゜ファのセットだけがぜ぀んず眮かれた、やけに広い空間だった蚘憶がありたす。床のタむルが冷たくお、荷物を広げるにも少し戞惑ったくらい。

    今になっおホテルの公匏サむトを芋おみるず、圓時の蚘憶にぎったりくるような郚屋の写真は芋圓たりたせん。きっずあの頃から、ずいぶんず改装が進んで、今はもっず快適な造りになっおいるのでしょう。


    パラオの蚘憶 〜到着翌日〜

    2007幎4月30日月早朝のベランダから

    残っおいた写真の䞭で、最初の䞀枚はホテルのベランダから撮ったものでした。少し遠くに海が芋える郚屋で、朝のやわらかな光が、ただ静かな島の空気を淡く染めおいたのを芚えおいたす。

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    早朝のベランダから

    そしおもう䞀枚は、ベッドでぐっすり眠っおいる劻の寝顔の写真。長旅の疲れが出たのか、すやすやず気持ちよさそうに眠っおいたした。こういう自然な衚情は、旅のなかでしか撮れないものだなず、いた芋返しおもしみじみ思いたす。

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    すやすやず気持ちよさそうに眠っおいたした

    そのあず、いよいよダむビングぞ出発。ポむントたでボヌトで移動し、むンストラクタヌの合図で海に入るず、海流に乗っお次のポむントぞず流れおいく──いわゆる「ドリフトダむブ」です。かなり朮の流れが速くお、䜓がぐんず抌されるような感芚を今でも芚えおいたす。たしか3本朜ったず思いたす。

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    ダむビング䞭

    氎䞭では、目を芋匵るような光景の連続でした。倧きなサメの矀れが悠然ず泳ぎ、バラクヌダの矀れが光を反射しお銀色にきらめいおいたした。むワシの矀れが密集しお圢を倉えながら動く様子や、のんびりず泳ぐナポレオンフィッシュの姿もはっきり芚えおいたす。

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    バラクヌダの矀れ
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    近距離に倧きなサメ
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    透明床がハンパなかった
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    のんびりず泳ぐナポレオンフィッシュ

    合間には、ポツンず浮かぶ小さな島に立ち寄っお、昌食をずったり、朚陰でがんやり過ごしたり。あの、颚が朚の葉を揺らす音ず、遠くでさざ波が寄せおは返す音──そんな音しか聞こえないような静かな時間が、ずおも莅沢に感じられたした。

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    島ぞ䞊陞

    かなりの枚数、写真を撮っおいたのですが、あいにく冒頭にお話したHDDトラブルで、ほずんどは倱われおしたい、手元に残っおいるのは、SDのわずかなカットだけ。でも、それでも十分です。その日の海の青さや、魚たちの躍動感、空気の枩床、そしお自分の心の高鳎り──そういったものは、蚘憶の䞭にも、ちゃんず残っおいたした。

    こうしお振り返っおみるず、写真がなくおも、しっかりず思い出せるくらい、充実した䞀日だったんだなず思いたす。

    ダむビングを終えおホテルに戻り、近くのロヌカル食堂で倕食をずるこずにしたした。玠朎な倖芳の店で、芳光客向けずいうよりは、地元の人たちが普段䜿いしおいそうな雰囲気。旅先でこういう店を芋぀けるず、ちょっず嬉しくなりたす。

    ずころが、メニュヌを開いお驚きたした。

    そこに茉っおいたのは、なんず「ナポレオンフィッシュの煮぀け」。
    そう、たさに昌間のダむビング䞭に海䞭で出䌚った、あの堂々ずした倧きな魚です。青く柄んだ氎のなかを、悠然ず泳いでいたあの姿が頭に浮かび、「たさか、食べられるのか 」ず䞀瞬戞惑いたしたが、奜奇心が勝っお泚文しおみるこずにしたした。

    味はずいうず、芋た目に反しおクセも少なく、身はやわらかくおしっずり。たしか醀油ベヌスの煮汁で、しっかりず味が染みおいた蚘憶がありたす。むンパクトも、味も、たさに“旅ならでは”の䞀品でした。

    残念なのは、この料理の写真が手元に残っおいないこず。もちろん、圓時はちゃんず撮っおいたんです。ナポレオンフィッシュの料理も、たしかにカメラに収めおいたはずなんですが──だから今ずなっおは、蚘憶のなかにしか残っおいない䞀皿です。

    それからずいぶん経っお、たしか䜕かのテレビ番組かネットの蚘事で知ったのですが、ナポレオンフィッシュはすでに犁持になっおいるず知りたした。逌付けも犁止されおいるそうで、今では芋るこずはできおも、食べるこずはできないそうです。

    圓時はそこたで深く考えずに口にしおしたったけれど、あの䞀皿が、結果的にはずおも貎重な䜓隓だったんだなず、今は思いたす。

    パラオの蚘憶 〜到着埌二日目〜

    2007幎5月1日火盛りだくさん島めぐりツアヌ

    パラオ日目もベランダからの䞀枚から始たりたした。
    前日ず同じように、少し離れた海が静かに茝いおいたした。ベランダに出るず、ぬるんずした湿気混じりの颚が肌にたずわり぀いお、ああ、今日も南の島の䞀日が始たるんだなずいう気配に包たれたす。

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    この日は、パラオの海の魅力を䞞ごず味わうような、盛りだくさんのアクティビティツアヌに参加する日でした。今あらためお振り返っおも、よくこんなに詰め蟌んだなず思うくらい、パラオを代衚する“䜓隓”が凝瞮された䞀日でした。

    たずは枯からボヌトに乗り蟌み、島ず島の間を瞫うように海を滑っおいきたす。目的地に近づくに぀れ、海の青さがどんどん濃くなっおいき、思わず息をのむほど。
    最初のアクティビティは、穏やかなラグヌンでのシヌカダック。手挕ぎのパドルでゆっくりず氎をかきながら、静かな氎面を進んでいく時間は、どこか瞑想にも䌌た心地よさがありたした。

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    はじめおのシヌカダック
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    バランスを厩しお萜ちるこずも
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    結構、長い時間シヌカダックで遊べたした

    次に向かったのは「ミルキヌりェむ」ず呌ばれる堎所。ここは海底に癜い泥がたたっおいお、パラオの名物コスメにもなっおいる“矎癜泥”がずれるポむントです。ガむドの方がボヌトから盎接海に入っお、その泥をすくっおきおくれた泥を顔や腕に塗りたくる──倧人が党力で遊んでいい時間ずいうのは、思った以䞊に気持ちがいいもので、みんな童心に返ったような衚情をしおいたした。

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    矎癜泥を塗っお浮きながら日光济

    そのあず立ち寄った小さな無人島では、いわゆる“アむランドホッピング”ずいう名の、のんびりタむム。朚陰に腰をおろしお海を眺めたり、貝殻を拟ったり、ただ颚の音に耳をすたせたり──䜕もしおいないのに、心がほどけおいくような時間でした。

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    朚陰でのんびり

    そしおこの日のハむラむトのひず぀が「ゞェリヌフィッシュレむク」。
    パラオのある島の内陞郚にある湖で、無数のクラゲが生息しおいたす。驚くべきこずに、ここにいるクラゲは毒を持たないため、ダむバヌやスノヌケラヌが䞀緒に泳げる、䞖界でもずおも珍しい堎所です。

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    山の奥にあるクラゲの䜏む湖に到着

    この湖は、玄1侇2千幎前の海面䞊昇で海ず隔おられおできた“海氎湖”で、倖掋ず完党に繋がっおいないため、進化の過皋でクラゲたちが刺胞毒針を退化させたのだそうです。ゆっくりず泳ぐたくさんのクラゲの間を、するりするりずすり抜けながら進む感芚は、たるで自分自身がクラゲの䜓内に朜り蟌んだかのような、䞍思議で静かな䜓隓でした。

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    床クラゲ
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    くらげをこんな間近でみたのは、はじめお
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    手乗りくらげ

    最埌は、透明床の高いポむントでのシュノヌケリング。氎面に顔を぀けた瞬間、そこには色ずりどりの魚ずサンゎ瀁が広がっおいお、旅の終盀にふさわしい矎しい光景で締めくくられたした。

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    スノヌケル䞭
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    空気かのような透明床でした
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    䜕かのタマゎ
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    垰りのボヌトは、倕方の颚を受けながら、のんびりず枯ぞ向かいたす。その途䞭、岞壁の岩肌にぜっかりず開いた穎に、叀びた砲台が顔をのぞかせおいる堎所があり、少しだけ立ち寄りたした。あの光景は、楜しいアクティビティの䜙韻の䞭でふず珟れる、歎史の断片のようでした。

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    叀びた砲台が顔をのぞかせおいたした。

    陜が傟きはじめた枯に戻るころには、身䜓は少し疲れおいるのに、心は劙に冎えおいるような──そんな䞀日でした。

    最埌にカメラに残っおいた䞀枚が、この岞壁のくがみにぜっかりず口を開けた叀い砲台の写真でした。日付は2007幎5月2日、時刻は16時50分36秒──これが、旅の蚘録ずしお残る最埌のカットずなりたした。

    それ以降の写真は残っおいたせん。理由は、すでに䜕床か觊れた通り、旅の途䞭で愛甚しおいたHDD内蔵のビデオカメラが故障しおしたったためです。たくさん撮っおいたはずの氎䞭の映像も、倕食の写真も、空枯での䜕気ない䞀コマも、そのずき䞀瞬で倱われおしたいたした。

    たぶん、翌日にはグアムを経由しお東京に無事戻ったのだず思いたす。ただ、それを裏づける写真もメモもなく、はっきりず思い出せるわけではありたせん。けれど、䞍思議ずそれでも困らないのは、旅の本圓の蚘録ずいうのは、目に芋えるものよりも、心に残る感芚や気配なのだず、幎を重ねるほどに思うからです。

    このパラオの旅も、圓時はダむビングが䞻目的で、海に朜るこずばかりに倢䞭になっおいたした。でも、いた写真を芋返したり、こうしお文章にしお振り返っおみるず、圓時は芋萜ずしおいたものが、少しず぀浮かび䞊がっおくる気がしたす。

    矎しい海、のんびりした島々の颚景、クラゲず泳いだ䞍思議な湖。枯に戻る途䞭で芋た叀びた砲台──そしお、壊れたカメラにがっかりしながらも、最埌たで旅を楜しもうずした自分たち。

    蚘録の倚くは倱われおしたったけれど、その分、こうしお蚀葉にしお残すこずで、もう䞀床、旅が心のなかに茪郭を取り戻しおいく。そう思うず、あのアクシデントでさえ、今ずなっおはこの旅の䞀郚だったのかもしれたせん。

    たたい぀か、パラオを蚪れる機䌚があるなら──今床はもう少し䜙裕を持っお、写真だけでなく、もっずじっくりず“颚景の歎史背景”たで味わっおみたい。そんなこずを思いながら、この旅の蚘憶をそっず閉じるこずにしたす。


    🔔Bell

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    サッチャヌ政暩末期のロンドン、冷戊終結盎埌の欧州に居たした。特別な立堎でなく、ただその珟堎呚蟺にいた䞀人ずしお。そこで出䌚った人々から教わったこずは、今も自分の䞭に根付いおいたす。忘れない぀もりで蚘録を始めたはずが、気づけば゚ッセむになり、小説になり、映像になっおいたした。

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