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選択で悩む

     迷うのは、すでに最悪の選択肢を捨てられた証なんだ。

     「どっちにしようか、決められない」

     人生は選択の連続である──この言葉は正しい。
     進学、就職、転職、結婚、引っ越し、キャリアチェンジ、副業、育児方針、老後の設計……。
     現代人が抱える「選べる自由」は、裏を返せば「選ばなければいけない不安」でもある。

     だが実は、人が「悩んでいるとき」というのは、ほとんどの場合、どちらを選んでも大きくは変わらないときなのだ。

     たとえば「Aの会社とBの会社、どっちに就職しようか」と悩む。
     「副業を始めるか、いまの仕事を極めるか」で迷う。
     けれど、こうした選択肢が「候補に上がる」時点で、すでに明らかにダメな案は排除されている。

     つまり、「どっちでも大きな損はないからこそ悩む」のである。

     選択肢Aと選択肢Bがまったく異なる結果をもたらすなら、人は悩まない。
     すぐに「こっちしかない」と決断するはずだ。
     だから、迷うというのは、どちらにも一長一短があると冷静に判断できている証拠なのである。

     だとしたら、こう考えてみてはどうだろう。

     「迷ったら、どっちを選んでもたいして変わらない」

     そう思うことで、選択の重みから自由になれる。
     人生を左右する重大な決断に見えても、案外、その後の軌道修正や環境の変化で“正解”に変わることのほうが多い。

     実際「あのときの決断が正しかった」と感じている人は、必ずしも最初から正解を選んだわけではない。多くの場合選んだ後に、その選択肢を正解にするように行動してきたのだ。

     つまり、選ぶこと自体よりも「選んだあと、どうするか」のほうがずっと大事なのだ。

     選択に悩むとき、もうひとつ大きな問題がある。
     それは、「選ばなかった方」を美化してしまうという人間の心理だ。

     心理学ではこれを「選択肢の後光効果」と呼ぶ。
     選ばなかった未来は、理想化されて頭の中で光り輝いてしまう。
     「あのとき、Bを選んでいれば…」という後悔は、実際のBが理想通りの結果をもたらしたかどうかとは無関係だ。
     ただ「選ばなかったから、失敗も知らないまま」なので、美しく想像できてしまうだけである。

     だからこそ、選択は未来の幻影との戦いでもある。

     現代は「選択肢に溢れた社会」だ。だが、選択肢が多いことが必ずしも幸福につながるわけではない。

     心理学者バリー・シュワルツは『選択のパラドックス』の中でこう述べた。
     「選択肢が増えると、私たちはよりよい結果を得られるが、それと引き換えに満足感を失っていく」

     選べる自由が増えるほど、「他にももっと良い選択があったのでは」と不安になる。だからこそ、自分なりの選び方をあらかじめ決めておくことが、心を守る技術になる。

     それは「どちらがワクワクするか」でもいいし「後で言い訳できる方」でもいい。自分にとっての納得の軸があれば、選択はずっと軽くなる。

     選択とは、常に「失うこと」でもある。
     Aを選べば、Bを捨てる。
     その喪失を怖がるから、人は立ち止まってしまう。

     だが、こう言ってあげよう。

     「迷ったなら、どっちを選んでもきっと、大丈夫だ」と。


     こんなこと、教科書に書いてなかったんだよな。


     前回の #教科書に書いてない  シリーズは…

    エンディングテーマ『教科書に書いてない』


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    https://note.com/big_hilo 世の中の綺麗事の裏側にある不都合な真実を言語化しようとする実験的note。幸福の土台は感情論ではなく冷徹な合理性にあるのでは!?そんな少し皮肉で限りなく自由なコラムを模索中。読後、あなたの常識が少しだけ書き換わるかもしれません。

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