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それでも私たちは選び続けている

    前回の「お金について考えたい」は…

     お金の不安を抱えていると、自分は何も選べていないような気がしてくる。状況に流され、必要に迫られ、仕方なく決めているだけだ、と。
     自由に選んでいる人たちが、どこか遠くにいるように見える。

     けれど、よく目を凝らすと、そうでもない。

     今日、どの道を通って帰るか。疲れている自分に、どんな言葉をかけるか。買わないと決めたものと、あえて買ったもの。その一つひとつは、とても小さく、誰にも評価されない選択だ。でも、それらは確かに、あなたの意思で行われている。

     お金の不安があると、選択は常に「減らす方向」に引っ張られる。
     やめる、我慢する、見送る。安全ではあるけれど、心は少しずつ固くなる。だからこそ、ときどき、逆向きの選択が必要になる。

     守るために、あえて余白を残す。削らない部分を決める。

     それは、大きな決断でなくていい。今日は早く寝る。今日は誰かに連絡しない。今日は、温かいものを食べる。そんな選択が、身体に「私は守られている」という感覚を思い出させる。お金とは直接関係ないように見えて、実は深くつながっている。

     私たちは、すでにたくさんの選択をしてきた。
     その積み重ねで、ここまで来た。もし本当に何も選べていなかったなら、今ここにいない。そう考えると、自分に向けていた評価は、少し厳しすぎたのかもしれない。

     選択は、正解か不正解かで測るものではない。
     そのときの身体や心に、どれだけ無理がなかったかで振り返るものだ。後悔があってもいい。迷いが残ってもいい。それでも選んだという事実は、消えない。

     お金の不安がある中での選択は、いつも慎重で、臆病で、時間がかかる。 
     その遅さを、責めなくていい。ゆっくり選ぶという態度自体が、あなたが大切なものを見失っていない証拠だからだ。

     明日もまた、小さな選択が待っている。完璧でなくていい。誰かに誇れなくてもいい。ただ、自分の身体が少し楽になるほうを、選べればそれでいい。

     次は、この連載の終わりに向けて「それでも私たちは、どう生きていくのか」という話をしたい。

    #お金について考えたい

     
     
    https://note.com/big_hilo 世の中の綺麗事の裏側にある不都合な真実を言語化しようとする実験的note。幸福の土台は感情論ではなく冷徹な合理性にあるのでは!?そんな少し皮肉で限りなく自由なコラムを模索中。読後、あなたの常識が少しだけ書き換わるかもしれません。

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