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お金の不安を人に話す。すると…

    前回の「お金について考えたい」は…

     不思議なことがある。解決していないのに、話しただけで、ほんの少し呼吸が深くなる瞬間がある。状況は何も変わっていない。残高も、予定も、そのままだ。それでも、胸の奥にあった重さが、わずかに位置を変える。

     それは、答えが見つかったからではない。むしろ逆だ。答えを出さなくてもいい場所に、一瞬だけ身を置けたからだ。

     お金の不安は、ひとりで考えているとき、どんどん固くなる。正解を出さなければならない。間違えてはいけない。先を読まなければならない。そうやって、思考は常に前のめりになる。身体は休んでいるのに、頭だけが走り続ける。

     その状態で、誰かに話す。うまく説明できなくてもいい。途中で言葉が詰まってもいい。ただ、声に出してみる。すると、不思議なことに、不安は「自分そのもの」ではなく、「自分が抱えているもの」に変わる。抱えているものなら、少し距離を取ることができる。

     人は、名前のないものに一番怯える。輪郭が見えないまま、ずっとそばにある感覚は、身体を緊張させ続ける。
     話すという行為は、その輪郭を、完全でなくてもいいから、言葉のかたちにしていく作業だ。曖昧なままでも、外に出た瞬間、それはもう身体の内側だけのものではなくなる。

     もうひとつ大きいのは「否定されなかった」という経験だ。
     話しても、笑われなかった。責められなかった。すぐに答えを押しつけられなかった。その事実だけで、人は思っている以上に救われる。自分の感覚を信じてもいいのかもしれない、と、ほんの少し思えるようになる。

     ここで大切なのは、誰に話すかだ。
     正論をくれる人より、結論を急がない人。解決策を並べる人より、黙って聞いてくれる人。その違いは、思っている以上に大きい。寄り添うとは、隣で同じ景色を見ることなのだと思う。

     もし、まだ話せる相手が思い浮かばないなら、それも自然なことだ。無理に探さなくていい。まずは、こうして文章を読むことも、ひとつの共有だ。自分だけじゃない、と知るだけでも、不安は少し形を変える。

     お金の不安が消える日は、すぐには来ないかもしれない。でも、不安と一緒にいてもいいと思える時間は、少しずつ増やせる。
     そのために必要なのは、正解ではなく、関係だ。

     次は、この不安を「抱えたまま生きる」ということについて、もう少し静かに考えてみたい。

    #お金について考えたい


     
     
    https://note.com/big_hilo 世の中の綺麗事の裏側にある不都合な真実を言語化しようとする実験的note。幸福の土台は感情論ではなく冷徹な合理性にあるのでは!?そんな少し皮肉で限りなく自由なコラムを模索中。読後、あなたの常識が少しだけ書き換わるかもしれません。

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