
人の下で働けないんじゃなくて、前提が共有されない仕事で働けないだけだった件
最近、仕事をしていて感じるストレスについて、少し深掘りしていた。
最初は、自分は単純に「仕事が嫌い」なのかと思っていた。
あるいは、「人の下で働けない人間」なのかもしれないとも思っていた。
でも、よく考えると少し違う。
僕は仕事そのものが嫌いなわけではない。
人一倍仕事ができないわけでもない。
むしろ、前提が一貫していて、基準が明確で、裁量と責任の範囲が分かっている仕事なら、かなり勝手に動ける。
問題は、仕事の中で前提共有が弱いことだった。
何のためにやるのか。
どこまで自分で判断していいのか。
何を守ればいいのか。
何が起きたら失敗なのか。
これは裁量を渡されているのか、それとも指示通りに動くことを求められているのか。
このあたりが曖昧なまま、「雰囲気で動け」と言われることがある。
もちろん、気遣いがまったくできないわけではない。
一度前提を理解すれば、先回りして動くこともできる。
むしろ前提が一貫していれば、指示がなくても仕事を片っ端から潰していける。
でも問題は、その前提が長期保存されることだ。
以前共有された前提と、今回の運用が違う。
人によって言っていることが違う。
昨日は良かったことが、今日はダメになる。
Aさんの基準では正解だったことが、Bさんの基準では不正解になる。
そうなると、動けなくなる。
正確には、動けないというより、勝手に動くリスクが高すぎる。
だから指示内容以外のことを一切しない、いわゆる「指示待ち人間」みたいな動きになる。
でも、それは本質的に指示待ちなのではない。
僕は指示待ちの人間ではなく、基準待ちの人間だった。
このことに気づいた時、かなり腑に落ちた。
僕は以前、精密機器メーカーで完成品検査の仕事をしていた。
その時は、仕事に対するストレスが今ほど大きくなかった。
なぜか。
仕事の裁量が、かなり自分にあったからだ。
自分が検査し、自分が納得すれば出荷する。
納得できなければ出荷を止める。
その判断には責任が伴うが、同時に裁量もあった。
もちろん楽な仕事だったわけではない。
精密機器なので、責任は重い。
ミスをすれば問題になる。
でも、基準があり、自分の判断範囲があり、責任の所在も分かっていた。
だから動けた。
今の現場仕事で大きなストレスを感じるのは、そこが違うからだと思う。
現場では、裁量がほとんど自分にない。
にもかかわらず、「気を利かせて動け」と求められる場面がある。
この矛盾がかなりきつい。
裁量を渡すなら、裁量ごと渡してほしい。
指示通り動いてほしいなら、それはそれで明示してほしい。
「ここは自分で判断していい」
「ここは必ず確認してほしい」
「これは手順通りにやってほしい」
「これは目的だけ守ればやり方は任せる」
この区別があるだけで、かなり動きやすくなる。
逆に、この区別がないと、こちらは毎回迷う。
自分で判断して動いたら、「勝手なことをするな」と言われるかもしれない。
確認したら、「それくらい自分で考えろ」と言われるかもしれない。
指示通りにやったら、「もっと気を利かせろ」と言われるかもしれない。
気を利かせたら、「余計なことをするな」と言われるかもしれない。
この状態では、能力以前に、動き方が最適化できない。
たぶん、そこそこIQが高く、ADHDやASD傾向を持つ人間は、仕事に関してかなりプロンプト依存になる。
プロンプトというのは、AIに出す命令文のことだ。
AIは、前提・目的・制約・出力形式をきちんと与えるとよく動く。
逆に、曖昧な命令を出すと、変な方向に進んだり、期待と違う出力を返したりする。
人間も似たところがある。
特に、前提を細かく扱うタイプの人間は、雑なプロンプトを投げられると動きにくい。
「いい感じにやって」だけでは足りない。
何をいい感じとするのか。
何を守るべきなのか。
どこまで崩していいのか。
誰の基準で判断するのか。
そこが分からないと、動けない。
そして外から見ると、実際の能力よりかなり低く評価されることがある。
「気が利かない」
「指示待ち」
「使いにくい」
「社会不適合」
「考えて動けない」
そう見えるかもしれない。
でも本当は、考えていないのではない。
むしろ考えすぎている。
前提が複数あり、基準が揺れていて、責任範囲が曖昧だから、下手に動けなくなっている。
僕は人の下で働けないのではない。
前提が共有されない仕事OSで働くのが苦手なのだと思う。
目的がある。
基準がある。
裁量範囲がある。
責任範囲がある。
評価基準がある。
そしてそれが一貫している。
その状態なら、かなり動ける。
逆に、それらが曖昧なまま「空気を読め」「気を利かせろ」「でも勝手なことはするな」と言われると、途端に動けなくなる。
これは単なるわがままではなく、仕事OSの相性の問題だと思う。
だから僕は、自分がもっと普通の職場に適応できるように自分を丸めるより、自分が耐えられる仕事OSを作る側に行った方がいいのだと思う。
そして将来、自分が人に仕事を渡す側になった時は、少なくともここは守りたい。
目的を渡す。
制約を渡す。
裁量範囲を渡す。
失敗条件を渡す。
正しい状態を渡す。
そして、後出しで責めない。
人は、前提があれば動ける。
でも前提が壊れている環境では、能力が正しく出ない。
僕が仕事で感じていたストレスの正体は、たぶんそこだった。
人の下で働けないんじゃない。
曖昧な仕事OSで、自分の判断を奪われたまま、後から評価される構造が無理だった。
そう考えると、今までの違和感がかなり整理された。