
【連続小説】ただ、友達として1(1/全3回)「同窓会の案内状」
同窓会の案内状が届いた。
かつて私の通った中学校では、1年1組は11R(ルーム)と呼ばれていた。2年1組は21R、3年1組は31Rだ。
クラスメートは割りとみんな仲が良かったこともあり、2年への進級とクラス替えが迫る頃には、「11年後にまた会おう」、「11Rの11年後を」という、誰かが言い出した話が、もはや暗黙の了解となっていた。
だから、それから11年を過ぎた頃、同窓会の案内状が届いたことに驚きはなかった。
ただ、文末の実行委員の名を見た時には、少なからず動揺が走った。記された数名の名の中に、苦い思いと共に決して忘れることのない名前があったからだ。
繰り出すパンチの軌道を、見切って手の平で受ける。そんなボクシングごっこは、お互いを傷つける気がない信頼と手加減の上に成り立つお遊びだ。
それを行っていたのは、女子中学生である私と、席が隣りになって親しくなった西井正則、そして彼の親友三浜賢一。
周囲の邪魔にならないよう教室外のベランダでそんな遊びに興じたひと時は、新緑を目にしながら、光と風を感じて無邪気に笑い合ったかけがえのない時間だった。
他にも、私達は多くのことを語り合った。日々の学校生活のこと、最近見た映画やテレビ番組、好きな漫画や本、好きな音楽やタレントのことなどが大体の話題で、私達は明るく楽しい内容を選んで話題にしていた。
中学校の隣りには小学校があり、大きな字で「あかるく えがおで げんきよく」と校舎の壁に掲げられた校訓が、小学生時代から中学生になってからも、朝夕の登下校時には目に留まっていた。
そんな毎日の刷り込みが日々の話題選びに影響するほどには、当時の私達は無意識レベルにおいても、明るく笑顔で元気よくいなければならない、という思いで生活していた。
当時女子は男子を、男子は女子を、親しみを込めて姓で呼び捨てにしていた。「くん」や「さん」をつけると少しかしこまった感じがあり、名を呼び捨てにすると馴れ馴れし過ぎる感じがある、という感覚においての繊細な判断だ。
少し大人びていて機知に富んだ三浜との知的でユニークな会話も楽しかったが、どんな話題にも真っ直ぐに穏やかな瞳で耳を傾けてくれる純朴な西井との会話は、私の日常にじんわりと幸福感をもたらした。
目を細めて微笑む西井から穏やかに、「そうだね。俺もそう思う」と自身の考えを肯定され共感してもらえた時、西井に対する友情は恋心に変わっていた。
それまで、こんなにもしっかりと自分に向き合い話を聞いてくれた人はいなかった。それは家族でさえも。
幼い頃より、両親は顔を合わせれば常に声を上げての喧嘩ばかりで、不穏状態の家庭内で、両親は私に対して無関心だった。
父親のちょっとした行動が気に食わない母親は度々食ってかかるように文句を言い、決して折れずに反論する父親とのやり取りはヒートアップするばかりで、私がどちらかと話をしていても喧嘩が始まれば強制終了であり、話など初めからなかったかのように忘れ去られた。
次第に私は喧嘩に巻き込まれないように両親から距離を置き、話を打ち切られることに失望しないように、話す内容を事務的に必要最低限の報告や連絡に留めるようになった。
距離を置いても漏れ聞こえて来る怒声にうんざりしながら、冷めて乾いた家庭内の寂しさを、本やテレビがもたらす物語に没入することで、長い期間紛らわしていた。
そんな私だったからこそ、西井の態度はある意味衝撃的でもあり、強く惹かれるほどの特別さを感じさせたのだ。
しかしこの心境の変化は、それまで続いていた幸せな時間の、終わりの始まりでもあった。
2学期になり席替えで西井や三浜とはかなり席が離れてしまい、接点は薄れながらも時々声をかけ合う関係は続いていた。
9月下旬の体育祭で行われる2人3脚競走で、私と西井はペアを組むことになった。練習を重ねる中で、私は当日の競技後、西井に想いを告白することを決めた。
告白してどうしたいということは特になかった。ただ知っていてほしい、その上で親しい関係を続けたい、というそれだけの気持ちだった。
小学生時代から親しい付き合いをしていたクラスメートの山内若葉と、親しくなったクラスメートの安東美由紀は、私の西井への思いを聞き、ワクワクした表情で応援してくれた。
体育祭当日は小雨の降る暗い天気だった。2人で力を合わせた2人3脚競走は2位で、得点に貢献できた高揚感も感じながら、私は西井に想いを告白した。
西井は複雑そうに表情を歪め、しばらくの沈黙の後、素っ気ないとも感じる乾いた口調で、一言「諦めろ」とだけ答えた。
頭が真っ白になった私は、呟くように「どうして……?」と尋ねたが、聞こえていない素振りをする西井と私に、強くなり始めた雨が降りつけた。
その日以降、私と西井の関係は、それまでとは全く違うものになってしまった。
明らかに西井は私を避けるようになり、声をかける間もなく目を逸らしてそそくさと離れて行った。
三浜から、「どうした、河越? 西井と何かあったんか?」と尋ねられたため事情を説明したが、少し驚いた表情を見せながらも面白がるように笑った三浜は、「まぁ、頑張れ」と激励だけを残し、お節介はしないことにした様子で、私と西井の間には不介入の立場を取った。
同じ卓球部に所属し元々親友である三浜は西井と行動を共にし、私は取り残されたような寂しさを味わった。
そんな日々が続く中でも諦められない私は、バレンタインデーに西井へチョコレートを渡すことにした。
外国製のちょっとビターな、ハート型やピンク色などのない、いかにもなバレンタイン感を排したチョコレート。何だかそれが、私と西井には合っているように感じたのだ。
バレンタインデー当日、タイミングよく西井が1人でいる所を捉まえられず、彼が三浜と2人でいる所に声をかけた。
西井からは断られたが、「もらうだけもらえば?」という三浜の促しと、「もらってくれるだけでいいから」と言う私の熱意に負けて、西井は黙って受け取りだけはしてくれた。
もらってくれるだけでいいと言ってしまった以上、お返しも特段の進展もなく、関係がぎくしゃくしたまま私達は2年へと進級し、クラス替えによって私は21R、西井は25R、三浜は24Rへとバラバラになってしまった。
家庭の都合で隣りの中学校区に転居した若葉は転校し、西井と同じ25Rになった美由紀は、定期的に西井の情報を届けてくれた。
林間学校の際に撮影され各クラスに貼り出されたそれぞれの写真を、美由紀に注文してもらい、西井が写っている分を入手したりもした。
卓球部が集団で移動しているのを見かけることがあり、クラスが離れても西井と三浜が並んで歩いているのを見ると、羨ましさと寂しさが募った。
25R前の廊下を歩く時は、教室内に西井がいて偶然姿を見ることができるかもしれないと思い、注意しながらもさり気なく視線を向けていた。
そんなふうにさり気なく25Rの教室内を覗いたある時、私は楽しそうに笑う西井を目撃した。そんな西井を見るのは1年ぶりくらいで、嬉しさと共に切なさが湧き上がった。
そして私は気づいたのだ。西井は隣りの席に座る女子バスケットボール部の小窪早知に対して笑顔で話していることを。
1年前は私が小窪早知の立場だった。
しかし西井との間に溝ができ、クラスも離れてしまい、埋められない距離を抱えている状況は、あまりにも大きな差という現実を見せつけるものだった。
私はそのことに酷く打ちのめされた。
私は、長く状況を変えられずにいることに疲れていた。
そして、寂しさと切なさに精神が削られ続けることに耐えられなくなった。
私は、西井への恋心に終止符を打つことを決めた。
それは酷く苦しく骨の折れることだったが、それでもそう決めたのだ。
諦め、その息の根を止め、2度と心を動かされ蘇ることのないよう、強い気持ちで葬り、迎えた終焉。
悲しみを伴う強いショックと望まない強い決意は、私の感情を鈍麻させた。
美由紀には、西井への恋を終わりにしたことを告げ、それまで情報を届け色々便宜を図ってくれた礼を伝えた。美由紀は了解しながらも少し残念そうだった。
転校後も時々会って遊んでいた若葉にも、同じように西井への恋の終わりを伝えた。両親の繰り広げる喧嘩の激化で、家庭内のストレスによっても疲れていた私は、そのことについても淡々とながらこぼしたせいか、若葉はどこか上の空で薄い反応だった。
その後しばらくして、同じクラスの卓球部所属の男子達が、西井の母親が亡くなったという話をしているのを耳にした。その日西井は学校を休んでいて、卓球部のメンバーは部活動を休みにして葬儀に参列するようだった。
まだ中学2年生で母親がいない生活も大変だろうという思いが過ったが、もはや私にできることもなければ関わることもない、という気持ちだった。
更にそれからしばらくして、若葉から連絡があり、私との交流を絶ちたいと告げられた。「友美は暗いから嫌い」と。
少し前に家庭の愚痴をこぼしたことに幻滅されたのだろう、と思い当たった。気心の知れた親しい間柄とは言え、明るく笑顔で元気よく、という内容ではないことが許せなかったのだろう。
絶交までされるほどのこととは思えないながらも、私は若葉の気持ちを尊重して受け入れた。
つらく悲しいことも、感情を麻痺させ意識して何も感じないようにしていれば、悲嘆で打ちひしがれることはない。
中学2年の2・3学期は、そんな心持ちで、酷く空虚で荒んだ生活を送った。
春休みに入る直前に、若葉から再び連絡があり、謝罪され絶交を撤回された。そんな気になった理由が知りたくもあったが、私は追及することなく、ただその申し出を受け入れた。
そのことで精神状態がかなり回復した私は、比較的穏やかに受験勉強に取り組む中学3年生時代を過ごした。
若葉とは絶交状態ではなくなったものの、互いに受験勉強で忙しくなったこともあり、以前のように機会を設けて会うことはないままになってしまったが、高校1年生の時に、文化祭に遊びに来てくれた彼女と偶然会うことができた。
部活動の出し物の準備中だった私は、2言3言しか言葉を交わすことはできなかったが、元気そうな笑顔の若葉を見ることができた。
高校生になって入った映画研究同好会は、同学年からの入部が私1人だけだったこともあり、先輩達には妹のように可愛がられ、たくさんの話を聞いてもらった。
冷え切った寂しい家庭事情についても、寄り添って聞いてくれる先輩達が自分のことのように怒ってくれたこともあり、随分と慰められ癒された。
進んだ大学でも映画研究サークルに入り、それが縁で知り合った仲間とも味わい深く豊かな交遊を持つことができた。
私の大学卒業を機に離婚した両親とは適度に距離を置いたまま、好きな映画研究に関連した仕事で働く今は、忙しい中にも充実した日々を送っている。
西井や三浜、若葉や美由紀がどこに進学し、その後どんなふうに暮らしているのかを私は知らない。
しかし、間違いなく西井と三浜は同窓会に出席する。
案内状に記された実行委員4人の中には2人の名前があったからだ。
中学1年生の3学期に学級委員を務めた三浜が打診され、西井を巻き込んで引き受けたのだろう、と想像された。
交流の断たれた11年の時を経て、私はどんな顔をして彼らに会ったらいいのだろう。
そもそも行くべきか、行かざるべきか。
私は、出席と欠席の言葉が記された返信用葉書を眺めながら、かなりの時間思案していた。

【連続小説】ただ、友達として1(2/全3回)へ続く。

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